89京都産業大学(経済)から 古代ギリシア史
紀元前3000年ごろのバルカン半島南部,エーゲ海の島々には,オリエント文明の影響を受けた青銅器文明が成立していた。これをエーゲ文明という。前2000年ごろにはいくつかの王国が生まれ,なかでも先住の地中海人種に小アジアからの移住民が加わってたてたクレタ王国が有力になった。首都【クノッソス】には大規模な宮殿があり,オリエントにみられない海洋的で明るい文化が栄えていた。
前2000年ころからギリシア本土に幾次にもわたって移住してきたインド=ヨ一ロッパ語族は,先住民と混交してギリシア民族を形成し,クレタにならって王国をつくった。その中でもアカイア人の【ミケーネ】が強大で,前1400年ごろにはクレタ王国を滅ぼし,一部のギリシア人は小アジアにも進出した。これら小王国の文明は平和的なクレタ文明と異なり,戦闘的な性格が強かった。王は険しい崖の上に巨石を使った堅固な城砦をたてて住み,人民には上納を強制し,多数の奴隷を所有していた。ホメロスの二大叙事詩『【イリアス』『オデュッセイア』は,このころの出来事を主題としたものである。
前1200年ごろになると,このようなエーゲ之明の地域も含めた央地中海一帯に人規摸な民族移動がおこり,ヒッタイト王国が滅亡し,エジプトもその領土を縮め,フェニキア人の活動が活発になった。このような激動の中で、ギリシア本土でも,あらたにギリシア人の一派(【ドーリア】人)が南下して,先住のギリシア人の部はエーゲ海の島々や小アジア西部に追われていった。そののち,ギリシア人が広くエーゲ海一帯に移住し,ここにギリシア人の世界が誕生した。
民族移動の主人公は未開な農耕民であったため,その支配の確立につれて先住民の文明は破壊され,以後数世紀にわたり「ギリシア史の中世」と呼ばれる暗黒町代が続いた。各地に分立したギリシア人は,はじめ村落也活を営んでいたが,前9~8世紀にかけて,祭祀の場所である小高い丘(【アクロポリス】)の周辺に,貴族を中心に人々が集まり住むようになり,市民の集合する広場(アゴラ)を政治・経済のかなめとしてポリス(都市国家)が成立した。
前8世紀以後,ギリシアは人口が増えたが,平野が少なかったので,積極的に海外に進出し,広く地中海沿岸に移住した。移住した人々はもとのポリスから独立して新しいポリスをつくり,互いに貿易を行ったので,フェニキア人をしのいで地中海貿易で活躍した。
数百といわれるポリスのなかで,強大な勢力を誇ったのは,スパルタとアテネであった。スパルタでは,少数の市民が,征服した多くの先住民をポリス共有の【ヘロット】(農耕奴隷)として支配していた。この支配体制を守るため,市民の間に貧富の差が生まれて没落者がでるのを防ぐ方策がとられ,市民を戦士として鍛えるきびしい教育が行われた。
スパルタが農業と陸軍の国であったのに対し,アテネは強大な海軍力を備えて海上貿易に力を注ぎ,商工業の発達によって豊かになった。この結果富裕な平民が生まれ,また,みずからの費用で武装しやすくなった平民は,重装歩兵として軍隊の主力となった。そこで平民たちは,それまで貴族族が独占していた政治への参加を求め始めた。前6世紀,平民の力を背景に独裁政治を行う悟セが現れたが,やがて【7オストラシズム】(陶片追放)による僭主防止などの改革が行われ,前6世紀末ごろには民主政の基礎が築かれた。
前5世紀初め,アケメネス朝ペルシアの人軍がギリシアに侵人して,ペルシア戦争が始まった。ギリシア人は力を合わせてこれにあたり,3回にわたるペルシア軍の攻撃を退けることができた。戦争で最も活躍したアテネは,ペルシア軍の再来に傭えて結成されたデロス同盟の盟主の立場を利用して,戦後ますます強大になった。国内では,軍船の漕ぎ手として働いた無産市民が政治への発言権を強め,前5世紀半ば,【ペリクレス】の指導のもとに民主政が完成した。文化の面でもアテネは最盛期をむかえ,3大悲刺詩人(アイスキュロス,【ソフォクレス】,エウピデス)が次々に出現して人間の本質をえぐる作品をあらわした。ヘロドトスはペルシア戦争史を書いて「歴史の父」となり,彫刻家フェイディアスは「アテナ女神像」や「ゼウス像」をつくった。
アテネの支配の強化に対して,ペロポネソス同盟をむすんでいたスパルタやコリントは反発し,対抗した。こうして両勢力は,前5世紀後半,ギリシアを二分する長期の戦争に突人した(ペロポネソス戦争)。アテネはいちじ優位に立ったが,疫病に襲われ,また煽動政治家(デマゴゴス)による衆愚政治に附して失敗を重ね,ついにスパルタ側が勝利をおさめた。戦争の結果,ギリシアの農地は荒廃し,平民間の経済上の不平等は拡大して,各ポリスの軍事力は低下した。傭兵に頼らざるをえなくなったため,ポリスの民主政の基盤はくずれ,スパルタの地位も低下した。前4世紀にはいるとテーベが一時有力となったが,多くのポリスはペルシアにあやつられて抗争を続けた。
こうした退廃期に,アテネの文化は最後の華を咲かせた。喜劇詩人アリストファネスは『女の平和』を書いて戦争に明け暮れる男どもを皮肉った。真理の絶対性を説き,既存の宗教・倫理,を考え直そうとしたソクラテスは,告発され死刑に処されたが,その思想,は弟子のプラトンらの手で発展を遂げて,後の人々の心の糧となった。歴史家【トゥキディデス】はペロポネソス戦争を扱ったその書『歴史』の中に,冷徹無比の筆で当時のギリシア諸勢力の混乱に満ちた行動を克明に記録している。