次の文章をよく読み、後記の問に答えよ。

ヨーロッパの諸都市を旅行していて目をひくのは、ベスト退散の巨大な記念碑である。これらの記念碑から、ペストがヨーロッパに与えた影響がわかる。
古代世界では(a)聖ソフィア聖堂を建立したことで知られる(あ)ユスティニアヌス帝の時代に、ペストが大流行した、との記録がある。しかし、ペストが、ヨーロッパの社会・文化に影響をおよぼしたのは、なんといっても、14世紀半ばにおいてであった。この時の感染経路は、こうであった。
まず、(い)イタリアの商人が、交易先の(う)コンスタンティノープルでペストに感染した。この病原体が、イタリアやフランスの港から内陸部へと広がって、ついには、ヨーロッパの全域におよんだ、といわれる。このように大流行したペストは、患者の皮膚が一定の色を帯びる、という症状をともなった。このため、ペストは(b)この色に由来する病名のもとにおそれられた。
この大流行により、人口が、激減した。そのため、領主は、農民の待遇改善をしいられた。これが、(え)独立自営農民の勃興を促進した、といわれる。ペストは、当時、感染原因が不明であったところから、社会的偏見をも助長した。とくにユダヤ人が毒物をまいたという風説がひろまり、これが(お)ユダヤ人に対する迫害につながった。また、ペストによる死が、すべての身分をおそったことから、(か)骸骨と鎌で表現された死が上は王から下は庶民まで訪れるという主題の絵画・彫刻が、のちに流行した。
この14世紀半ばにおけるペストの猛威は、(き)フィレンツェ商人の子であった(c)ジォバンニ=ボッカチオの作品の序章にあきらかである。
そののちも、ペストは、しばしばヨーロッパで大流行した。とくに有名なのが、(く)1665年ロンドンでの大流行である。そのすさまじい状況は、のちに、(d)ダニエル=デフォーによって、その作品『ペスト』において、克明に描かれた。
ペストの大流行ならびにそれによる大量死は、20世紀になっても、小説の主題として取り上げられた。そのなかで、(e)アルジェリアの一都市でのペストの大流行を小説にした(け)アルベール=カミュの作品『ペスト』は、わが国でも翻訳されていて、なじみぶかい。ペストの恐怖は、その(こ)病原体が発見された現在でも、ヨーロッパの人々のこころの奥底に、ふかく宿っているのである。

問1 文中下線部(a)~(e)に関する下記の設問に答えよ。なお、通常、漢字で書かれるものについては,正しい漢字で書け。

(a)この聖堂は、いかなる建築様式の代表とされるか。
(b)この病名は、何か。
(c)かれの友人で「叙情詩人を著した人文主義者の詩人は、誰か。
(d)かれの1719年の作品で、孤島での生活を描いたものは,何か。
(e)この地の独立を1962年に承認したフランス大統領は、誰か。

問2 文中の下線部(あ)~(こ)に関する下記の設問に答えよ。ただし、解答は、それぞれの語群から選択し答えよ。

(あ)かれが征服したアフリカの王国は、何か。
(1)ヴァンダル王国 (2)西ゴート王国 (3)東ゴート王国 (4)ブルグント王国 (5)ロンバルド王国
(い)かれらが、おこなった貿易は、何と呼ばれたか。
(1)勘合貿易 (2)東方貿易 (3)奴隷貿易 (4)バルト海貿易 (5)北海貿易
(う)この地をおとしいれることを、第四回十字軍に要求したのは、どの都市の商人であったか。
(1)ヴェネツィア (2)ジェノヴァ (3)ナポリ (4)ピサ (5)マルセイユ
(え)かれらは、イギリスでは、何と呼ばれたか。
(1)コロヌス (2)ジェントリ (3)ジャックリー (4)ユンカー (5)ヨーマン
(お)かれらの強制居住区は、ドイツでは、何と呼ばれたか。
(1)アゴラ (2)ゲットー (3)シティ (4)フオールム (5)ミール
(か)この主題は、なんと呼ばれたか。
(1)最後の晩餐 (2)死者の書 (3)死の灰 (4)死の舞踏 (5)西洋の没落
(き)この地のサンタ=マリア大聖堂の大円蓋を完成したのは、誰か。
(1)ギベルティ (2)ドナテルロ (3)ブラマンテ (4)ブルネレスキ (5)ミケランジェロ
(く)この当時のイギリス国王は、誰か。
(1)ジェームズ1世 (2)ジェームズ2世 (3)チャールズ1世 (4)チャールズ2世 (5)メアリ2世
(け)かれの作品には、ほかに、何があるか。
(1)異邦人 (2)嘔吐 (3)壁 (4)自由への道 (5)変身
(こ)これを研究する細菌学の発展に貢献したドイツの学者は、誰か。
(1)コッホ (2)ジェンナー (3)パストウール (4)メンデル (5)リービヒ



正解
ビザンツ様式 黒死病 ペトラルカ ロビンソー=クルーソ ド=ゴール
1 2 1 5 2 4 4 4 1 1