ワークシート(20)中国史(3)前漢~新

 農民反乱である陳勝呉広の乱による混乱の中で、秦は前202年に滅亡した。【 】の乱をきっかけとした混乱の中で登場した項羽と劉邦は激しく争い、最終的に劉邦が【 】を破って漢を建国した。都を長安において漢を建国した【 】は高祖と呼ばれた。劉邦すなわち【 】は郡国制を使って中国全土を統治した。この【 】制とは皇帝の直轄地には郡県制を採用し、地方の支配は世襲を認めた王を配置して統治を任せる制度である。したがって地方の支配は封建制を復活させたといえる。すなわち中央を【 】制で、地方を【 】制で統治する制度が【 】制である。漢を建国した劉邦と同じ時期に北方の騎馬遊牧民族である匈奴は勢力を拡大していた。この【 】の支配者が冒頓単于である。【 】はモンゴル高原に加えて西域のシルクロードも支配し、騎馬遊牧民族の【 】は全盛期を迎えた。
 一方、世襲を許された地方の【 】達はやがて皇帝に反発するようになり、前154年景帝のときに呉楚七国の乱を起こした。したがって【 】の乱は諸王たちの反乱である。景帝は【 】年の呉楚七国の乱を制圧した。
 呉楚七国の乱を制圧した【 】の後を継いで即位した武帝は、地方の支配者である諸王を廃止し、中国全土で郡県制を施行した。さらに【 】は朝鮮を征服して朝鮮4郡を、ヴェトナムなどを征服して南海9郡を置いて領域を広げた。匈奴を撃つために大月氏と同盟を結ぶ目的で、大旅行家張騫を派遣して西域情報を得た。大月氏まで往復した大旅行家【 】は【 】との軍事同盟には失敗したが、汗血馬などの情報を中国にもたらした。
武帝は【 】高原と【 】のシルクロードの両方を支配していた【 】に対して大規模な遠征を行った。モンゴル高原に遠征したのは将軍の衛青、西域に遠征したのは将軍の霍去病である。このように【 】や【 】といった将軍の活躍によって漢は領域を広げたが、大規模な遠征の費用が大きく、漢の財政は苦しくなった。そのため塩・鉄・酒を国家の専売とし、均輸法や平準法を定めた。しかし、【 】・【 】・【 】を専売にしたり、【 】法や【 】法を定めて税収を上げようとした政策は失敗したため、紀元後8年に外戚の王莽が政権を略奪して漢は滅亡した。外戚の【 】が建国した王朝を新という。
漢の武帝の時代は安定していたので儒学が発展した。とくに董仲舒は五経博士を設置して儒学の国学化を進めた。【 】が設置した五経博士は五経を研究する役所である。漢の武帝の時代に【 】はおおいに発展したが、新を建国した【 】は儒学の思想に基づいて政治を行い、周の時代の政治を理想としたため現実社会と合わずに【 】が滅亡する原因となった。
また、漢の武帝は官吏登用法である郷挙里選を行った。この【 】という制度は地方の豪族が地元から役人を選んで中央政府に送り込むもので、地方豪族の力が依然として強いことを示している。そのほか、司馬遷が歴史書である『史記』を書き残したのも漢の武帝の時代であった。【 】が書いた『史記』は紀伝体で書かれた。この【 】体とは皇帝などの人物中心、出来事中心に編集して歴史の書き方で、時代順に書き進める編年体とは対照的な記述方法である。






ワンフレーズ・チェック
(1) 【 】を破った劉邦は【 】年に漢を建国し、都を【 】に定めた。
(2) 高祖が行った【 】制で配置された諸王は【 】年に【 】の乱を起こしたが【 】に鎮圧された。
(3) 呉楚七国の乱後に即位した武帝は【 】制を施行した。
(4) 武帝の時代、匈奴と戦うために大旅行家【 】を【 】に派遣して西域の情報を手に入れた。
(5) 武帝の時代、【 】と【 】の活躍で匈奴に勝利を治めた。
(6) 武帝の時代、【 】の活躍で【 】が国学化された。
(7) 武帝の時代、【 】という官吏登用制が採用された。
(8) 武帝の時代、財政再建のために【 】・【 】・【 】が専売され、【 】法と【 】法が制定された。
(9) 司馬遷が書いた『【 】』は人物・出来事中心の【 】体で書かれた。