皆さんこんばんわ。クリスです。


今日はデートでした。K君と。

いきなり

「明日は外食」

とメールが来て、私がいつも帰ってきてご飯をバタバタ作るのに気を使ってくれたんだなあ…と。


あ、ちなみに父ですけどね。


人のお金で食べるご飯って最高!みんなおごって!



さて、突然ですが、皆さんは、

「ありがとう」

という言葉、よく使っていますか?使うならどんな時に使っていますか?


「ありがとう」

シンプルだけど、素敵な言葉ですよね。心がこもっていれば!


私には、どうしても腑に落ちない「ありがとう」があります。


いつごろからか、各地の公衆トイレや商業施設のトイレなどに貼られるようになった

「キレイに使っていただき、ありがとうございます」



いやいやいやいや…

絶対掃除してくれている業者の人そんなこと思ってないって!


だって、人のいわゆる汚物にまみれた空間なんですよ。それをきれいに使ったからと言って

「ありがとう」

の思考にたどりつかないと思うんです。


トイレの貼り紙の件に関しては何年も前からあらゆる人が議題にしては論争を巻き起こしてきたとかきてないとか、正直どうでもいいとか、いろんな意見がありますが、私はおかしいと思います。


自分に当てはめ考えてみる


まず、自分が掃除の業者さんになったと仮定しましょう。


あなたが毎日掃除しているのは、多くの客でにぎわう、新規オープンの商業施設だとしましょう。老若男女問わず、いろんな人がトイレを利用します。


男子トイレでは、床におしっこがまき散らされ、女子トイレでは手洗い場に髪の毛が散乱し今にも排水溝が詰まりそう…みたいな状態にあなたはうんざりしています。


商業施設側の配慮により、例のあの張り紙が張り出され、運よく以前に比べ、トイレの使用状況が良くなったとします。


まず、あなたがここで

「ありがとう」

と思うならだれにでしょうか?


私だったら、思ったとしても商業施設側ですね。自分たちのトイレ掃除を少しでも楽にできるよう、配慮してくれたのですから。


トイレを利用するお客様に対して

「今日はキレイにつかってくれたんですね!ありがとう」

という思考にはならないと思うんです。思ったとしても

「前よりマシ!」

くらいじゃないですか?



そもそも、自分の知らない人がトイレを正しく、キレイに使えたからって、褒めたり感謝したりします?しなくないですか?


ありがとうの効果


とまあ、これまで、相当ひねくれた思考を披露してきたわけですけれども、そもそもなんでこのような貼り紙が使われるようになったのでしょうか?

人の心理を逆手に取った結果だと聞いたような聞いてないような。


また、トイレとは別のシーンですが、

このような事例もあるようです。



少し改善したり、よくなったりした過程に対して評価・感謝をすれば、人の行動は変わる。たしかにそうかもしれません。


私も結果ばかり求められてうんざりするタイプなので、結果だけでなく途中の過程をきちんと見てくれる人に自然とついていきたくなります。


あと、やっちゃダメ!といわれたら、逆にやりたくなるって心情に近いですよね。

当たり前のことを、ああしなさい、こうしなさいと指示されると歯向かいたくなったりとか。


このように、人は否定されたり、一方的に指示されるよりも、自分の行動を受け入れてくれる人の言葉になら従う傾向にあります。


と考えると、トイレに貼られたありがとうにも価値はあるってことになりますが…。


ありがとうの飽和が慣れを生む


確かに、人の心理を操作するという意味では、トイレのありがとう貼り紙は、何かしらの効果もあるとおもいます。


ですが、あまりに貼られすぎじゃありませんか?

同じ文言、イラストも一緒、明らかに量産されたそれが、トイレの各個室や手洗い場にペタっと。


貼られ始めた当初は、今までにないパターンで、人の目をひきつけたありがとうの貼り紙も、飽和しすぎて、人々の慣れを生んでいると思うのです。


人は一旦慣れると、つい怠けたり甘えたりしがちです。誰にだって思い当たる節があると思います。


トイレの貼り紙も色んなところで見かけて、当たり前になってしまったら、目にも入らなくなるし、目に入っても「あーはいはい」ってなるのがオチではないでしょうか?


私がこのトイレの貼り紙がおかしいな、違和感があるなと感じるのは

  1. 感謝の方向がわからない
  2. 貼られすぎ

というところにあります。


ありがとうに代わる対策(案)


と、ここまで、トイレのありがとう貼り紙への思いの丈を綴ってきたわけですけれども、じゃあ他のやり方があんのかよ!ってなりますよね?なりませんか?あ、そうですか…


でも、ちょっと私なりに考えてみたので、見てってください。


子どもの力を借りてみる


【用意する物】

  • 不安・悲しそうな子どもの画像(フリー素材)
  • ラミネート

まず子どもの顔を縦半分に余白はそのままにカットします。そして、余白部分にコメントを書き込みます。例えば…

「その場所、おしっこ床に飛び散らない?」

「僕上手におしっこできたよ!」

「キレイな髪の毛落ちてるよ」

とかどうでしょうか?

子どもに指摘されているという罪悪感で、ちょっと改善されたりしないですかね?子どもに指摘される大人ってのも何となく恥ずかしいし。


謙虚に願望を伝える


態度のでかい私がいうのもなんなんですが、人って謙虚であればあるほど、受け入れられやすくなりませんか?私は態度がでかいので敵だらけです。


例えば

「床がきれいだと、うれしいな♡」

「排水管つまったら困るな~」

なんかはいかがでしょう?キレイにしてほしいという気持ちがやんわりと伝わってきませんか?かといって、押しつけがましくない。これが


「床に飛び散らないように一歩前へ」

「ここで髪を梳かないでください」

とかだと、神経逆撫でしてしまって効果がないし、今までのありがとうが無駄になると思います。あくまでキャッチ―にしてみてはいかがでしょうか?


それか、いっそのこと

「汚いトイレだと怒られるので、よかったらキレイなトイレづくりにご協力お願いします」

のように、正直にぶちまけた上でキレイなトイレ維持するの手伝ってくれませんか?っていうのもアリかなと思います。

ホントに大変なんだなーと思って、協力してくれる人が出てくるかもしれません。


リアルタイムの感想を活用する


量産的に作られたありがとうの貼り紙に心が見えないのが、違和感を感じさせる原因の一つであるならば、心をこめればいいと思うんです。


リアルタイムでトイレの現状を見ているのは掃除をした人ですよね。この人たちが本当に

「今日は掃除がめちゃくちゃ楽だった~」

と思ったときに、ささっと紙や100円ショップなんかに売ってるホワイトボードに

「今日はめちゃくちゃ掃除がスムーズに進みました。皆さんのご協力のおかげです。ありがとうございます。これからもキレイなトイレづくりにご協力お願いします」

のように書くのです。


リアルタイムに書き込まれたそのトイレのありがとうには、少なからず、量産的な貼り紙より心がそこにこもっていると思うのです。


あと、この写真を見てください。

私が、ほぼ毎朝通っている某トイレなのですが、ホルダー壊れの貼り紙に、利用者から(ウォシュレットの指摘は省いて)ありがとうとかお疲れさまなどの労いの言葉が書かれているのです。


まあ、大半がノリで書いているんでしょうけど、ここにありがとうって書ける人は、ちゃんとキレイにトイレを使ったという自負があるはず!


女性トイレに限られてしまうのかもしれませんが、各個室に小さい紙を貼りつけて利用者側からのコメントをかけるようにしたら、掃除をしてくれている人がいるという意識を持つことができるのではないでしょうか?


まあ、めっちゃ汚かったよとか書かれたら元も子もないですが…。



さて、長々と、くだらないことをまた書いてしまったのですが、トイレのありがとう貼り紙への違和感を持ちながら、私が毎日便器に座って戦っていることは伝わったのではないでしょうか?


毎朝、家でもないトイレで安心して、大胆かつ繊細に生理現象を執り行えるのも、掃除をしてくださっている方々のおかげです。


私も、ことが終われば必ずくまなくチェックし、私の残り香すらもしない状態にして個室を出るようにしています。


掃除してくれる人がいるだけで超ラッキーなんですよ。外できれいなトイレ使えるだけで、イッツソーハッピー!!


「皆さんのおかげで、今日もこのトイレは平和です」


どうもご清聴ありがとうございました!


via なごと
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