宣明暦(862-1684)の検証中に「没日」の日付が悩ましい箇所、5没日あったので調べてみました。

 

※没日について

https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/CBD7C6FC.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A1%E6%97%A5

 

■宣明暦の定数

章歲 = 3068055

統法 = 8400

通余 = 44055

秒母 = 8

 

換算すると

1太陽年 = 3068055 / 8400 = 365.244643

没日 = 3068055 / 44055 = 69.641471

 

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貞観12年

7月02日 立秋 AD0870/08/02 日法:6564.3(18:45:19) JD:2039039.281473

7月17日 没日 AD0870/08/17 日法:8399.7(23:59:59) JD:2039054.499990

7月18日 処暑 AD0870/08/18 日法:0000.0(00:00:00) JD:2039054.500000

8月03日 白露 AD0870/09/02 日法:1835.5(05:14:41) JD:2039069.718527

 

暦法を読む限り、各節気は、没日を除くと15日間隔、七十二候も5日間隔となるので前年冬至から当年冬至は、360日となるはずです。

貞観12年も同様に立秋から処暑までは、16日ありますが、没日を除くと15日になります。

また処暑から白露までは、15日になります。

 

ということで、計算通りの没日になっているか、暦日関連の文献で...

日本暦日原典に没日記載無いし...

日本暦日便覧も没日記載無いし...

とりあえず、図書館で、暦日文献を探すこと小一時間。

日本暦日総覧に没日の記載がありました。

 

ところが...

貞観12年7月17日は、没日ではなく「7月18日」処暑(AD0870/08/18)同日が「没日」

 

800年以上も行用されていた宣明暦ですから、貞観12年7月17日同様、限りなく節気日に近い没日があります。

 

天喜5年3月10日 没日 AD1057/04/16 > 3月11日 AD1057/04/17 穀雨同日

寛元元年11月3日 没日 AD1243/12/15 > 11月4日 AD1243/12/16 冬至同日

永享2年7月25日 没日 AD1430/08/14 > 7月11日 AD1430/07/31 立秋翌日

元和3年3月18日 没日 AD1617/04/23 > 3月19日 AD1617/04/24 穀雨同日

 

計算上の没日、永享2年7月25日を7月11日と15日も前に移動したりしているので、人為的な変更もあったようです。

※建仁2年11月3日(AD1202/12/18)の冬至2日後の没日も建仁2年閏10月29日(AD1202/12/15)冬至前日に変更されたようです。

 

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宣明暦の没日計算に問題があるのかも知れないので、湯浅吉美 著「宣明暦の没日・滅日について : 正日 にあらざるゆえ用いるべからず」を参考に宣明暦の上記の定数で計算してみます。

章歲 = 3068055

統法 = 8400

通余 = 44055

秒母 = 8

没日 = 69日+28260通余

※湯浅吉美 著「宣明暦の没日・滅日について : 正日 にあらざるゆえ用いるべからず」記載の次没日減算値「15795」は、15795 = 44055 - 28260 の値です。

 

貞観12年

戊申(44)27471 没日 2月26日(AD0870/03/31)

戊午(54)11676 没日 5月07日(AD0870/06/09)

丁卯(03)39936 没日 7月17日(AD0870/08/17)

となります。

 

各節気は、没日を除くと15日間隔で前年冬至から当年冬至は、360日を前提とするなら、7月17日の没日は、日法8399+秒7なので、7月18日とならないかと。

7月18日になるとするとJD値2039054.49999 > 2039054.5000としたからかも知れません。

たった1秒の違いのことなんですけどね。

 

そうそう。

日本の宣明暦行用時には、4連続の大の月を避けるとか、年385日を避けるとかなど、独特の暦日変更が行われていたようです。

 

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