【日本書紀 巻第三十】
持統十一年 八月乙丑 八月乙丑朔。天皇定策 禁中 禅天皇位 於皇太子。
【続日本紀 巻第一 起丁酉年八月】
文武元年 八月甲子朔 元年八月甲子朔。受禅即位。
現在、文武天皇の即位は「ユリウス暦 697/08/22」であったとされております
※持統十一年、文武元年は共にユリウス暦697年
日本書紀と続日本紀では、即位日干支が差異一日となっております
日本書紀編纂当時は、「元嘉暦」を主にしていたようですが、隣国「唐」で使われていた当時最新の暦法「儀鳳暦(麟徳暦)」へ移行するに辺り、併用したともいわれております
日本書紀には、「持統四年 十一月甲申 十一日 奉勅 始行 元嘉暦 与儀鳳暦。」(ユリウス暦690/12/17)の記載
※元嘉暦は、宋(南朝宗または劉宋) 元嘉二十癸未年(443)より使われた暦法
※儀鳳暦(麟徳暦)は、唐 麟徳元甲子年(664)より使われた暦法(儀鳳暦の由来は諸説あり)
持統十一年、文武元年の暦法に拠る朔日時
元嘉暦 平朔 | ||
正月 | 697/01/28 | 10:47 |
二月 | 697/02/26 | 23:31 |
三月 | 697/03/28 | 12:15 |
四月 | 697/04/27 | 00:59 |
五月 | 697/05/26 | 13:43 |
六月 | 697/06/25 | 02:27 |
七月 | 697/07/24 | 15:11 |
八月 | 697/08/23 | 03:55 |
九月 | 697/09/21 | 16:39 |
十月 | 697/10/21 | 05:23 |
閏十月 | 697/11/19 | 18:07 |
十一月 | 697/12/19 | 06:51 |
十二月 | 698/01/17 | 19:35 |
儀鳳暦(麟徳暦) 平朔 | 定朔 | |||||
正月 | 697/01/28 | 11:06 | > | 697/01/28 | 18:47 | |
二月 | 697/02/26 | 23:50 | > | 697/02/27 | 04:49 | 進一日 |
三月 | 697/03/28 | 12:34 | > | 697/03/28 | 13:25 | |
四月 | 697/04/27 | 01:18 | > | 697/04/26 | 21:09 | 退一日 |
五月 | 697/05/26 | 14:02 | > | 697/05/26 | 06:31 | |
六月 | 697/06/25 | 02:46 | > | 697/06/24 | 17:04 | 退一日 |
七月 | 697/07/24 | 15:30 | > | 697/07/24 | 05:27 | |
八月 | 697/08/23 | 04:14 | > | 697/08/22 | 19:46 | 退一日 |
九月 | 697/09/21 | 16:58 | > | 697/09/21 | 10:59 | |
十月 | 697/10/21 | 05:42 | > | 697/10/21 | 06:01 | |
十一月 | 697/11/19 | 18:26 | > | 697/11/19 | 23:36 | |
十二月 | 697/12/19 | 07:10 | > | 697/12/19 | 16:10 | |
閏十二月 | 698/01/17 | 19:54 | > | 698/01/18 | 07:05 | 進一日 |
日本書紀編纂当時は、元嘉暦も併用の儀鳳暦も平朔換算では、差異一日は無いので即位日は持統十一年、文武元年八月朔日(697/08/23)乙丑日となる
後年編纂の続日本紀では、当時の暦法「大衍暦」に拠る定朔暦日計算であった
前暦法である儀鳳暦の暦日計算は、儀鳳暦の暦法に則り、定朔にて暦日計算したことで即位日は持統十一年、文武元年八月朔日(697/08/22)甲子日となる
日干支は相違するものの「八月朔日」であることに相違は無い
日本書紀の記された日を見ると八月朔日までであり、元嘉暦に拠る暦日で良いかと
また続日本紀の記された日を見ると八月朔日からであり、儀鳳暦の定朔に拠る暦日で良いかと
日付か日干支かで解釈は変わるということですね
それはそうと現在では建寅月を正月とする夏正ですが、儀鳳暦(麟徳暦)唐朝の頃、短期間ですが、建子月を正月とする周正の頃でもありました
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日本書紀
天武天皇(673/03/20-686/10/01)の勅に拠り、諸皇子、舎人親王を中心に紀清人や三宅藤麻呂等が編纂
元正天皇の養老04年(720)頃に奏上されたといわれる
約40年におよぶ大事業であったといわれる
続日本紀
淳仁天皇(758/09/07-764/11/06)の御代、藤原仲麻呂(恵美押勝)政権下で編纂を開始したものの未完成
桓武天皇(781/04/30-806/04/09)の勅に拠り、菅野真道、藤原継縄を中心に編纂
延暦16年(797)に奏上された