297   自分の人生を歩む | 普通に生きるべき

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宗教思想を語る団体〇〇〇、日夜彼らの更新を見るたびに都合よい解釈で物事を書いております。

世の中はそんなに甘くなく、自身らの考えが正しい、とは限らないものです。

同種を集め、同じもので共感しあえる関係を構築しているのでしょうが、

聊かそろそろ無理があります

 

例の高齢者講師は本当に病的な症状と言えます、あそこまで行くと完全に洗脳された人間と言えます。

また、たちが悪いのは、それを信じ込みすぎ犠牲者を増やそうと無意識に行っていることです。

宗教団体は彼の人生の責任は取りません、行き過ぎる思考言動にむしろ困っているのです。

 

彼は5,000回以上のブログ更新を数十年に渡り行いました。

そして現在はノートになり、有料記事を掲載しているようです。

 

この歴史が偽りであっては困るのは彼なのです、信じるしかないのです。

 

信じるために彼は〇〇〇が凄いもので正しいものでなければいけないのです。

〇〇〇をやる為に生まれ、ミッションがあり、救世主でなければ困るのです。

 

この考えを信者に浸透させ共感させるために必死なのです、これを世間では「洗脳」というのです。

 

人間の誕生は宗教を行うためにあるのではありません、男女が性交をし誕生します。

大体が望まれて誕生する神秘的なものなのです。

そこに乗っかり宗教をやる為に貴方は誕生したのだ、などと語るのは本当に頭がおかしい奴の発言なのです。

 

生まれた意味にミッションがある、それは宗教的なものを広げる布教活動をするため、というのも違います

目的や目標は自身で見つけるものです、親の願いに関しても共感すれば子は親と同じ道に進む場合もあるのです。

 

救世主に関しては本当に漫画の読みすぎとしか言えません。

党首と奥方が出会い、そこから始まり絶対平和が始まったと寝言を語っているようですが、今の世界は平和などではありません。

 

このような発言こそが「平和ボケ」した考え方であり、世界を見れていないということなのです。

 

高齢者は自身の「時事解説」などを有料で掲載しているようですが、世界を見れてない人間が語る妄想話でしかないのです。

必ず、最後はだから〇〇〇をやるしかないのです、〇〇〇しかないのです。となっているのは見なくとも分かります。

 

何でも自身らの都合の良い解釈は大人のやることではありません

見る限り幼稚な解釈と身勝手で強引な結びつけを行い、だから〇〇〇しかないのです!今なのです!と語ります。

 

今だ、今だ、と語り10年以上経過しています、つまり成し遂げられないものなのです。

 

それは何故か? 最初からそんなものは無いのです

 

金儲けの手段でしかないということです、

一部の精神的に弱い方が頼り、縋り、金を投資して救われようとしているだけなのです。

 

この方式はあらゆる宗教、スピリチュアルにも存在します、

こういうちょっと面倒くさい精神が弱い方がこのようなものを支えているのが事実と言えるでしょう。

 

また、高齢者が語る、他界した党首と奥方の出会いから現在までの話も実に強引で都合の良い解釈です。

やはり、人は思い出を美化するものです。現実の状況、心理は彼には分らないはずです。

 

また、党首は何故高齢者Hを育てたのか?彼は自身が選ばれたと思っていますが、実際は「使える人材」だと見極めたからなのです。

 

指令を忠実にこなし、セミナーを行い、ブログを毎日更新する、このような行動が党首Rに認められたのです。

つまり、お金になる、と思った話です。こんなのはビジネスでは当たり前の話なのです。

彼はそれを「ミッション」と脳内変化しているのです

 

むしろ、支えがなくなったHは歯止めが効かない状況でどんどんエスカレートしていっているのです。

故に、団体に迷惑をかける発言が続き、講師から除名されたのです。

 

だが、

Hはもう〇〇〇無しでは生きていけない状態になっているのです、

故にブログを続け、Rと思い出の中に生きることにしたのです。

 

最初は貯蓄を切り崩してやっていたのでしょうが・・やはり現実は厳しい、団体からの支援は殆どなくなった

故に知恵を絞り、ノートに切り替え、有料記事に手付始めたのです。

1,000~30,000円の有料記事を始め、それで収入を得ているのです。

 

宗教を広げたい、布教活動だけをするならば有料記事など必要ないのです。

 

ただでさえ、講師たちがセミナーなどの勧誘をしております、信者はそちらに流れるのが筋ではあるのです。

このような身勝手な行動ばかりする老人に団体は手を焼ているのが事実なのです。

 

 

しかし、思います・・・

何故、このようなものに講師たちは嵌りこみ生業としてしまったのか?

社会ではきっと鳴かず飛ばずの葛藤だらけの人間だったのだと思います、こんなはずじゃない、私は特別なはずだ、と思い生きていたのだと思います。そこをうまい具合に党首Rに使われたのでしょう。

 

講師になり、先生と呼ばれ、売り上げをあげ、報酬を貰う。きっと気分は良いことでしょう。

ですが、自身らの行っているものは正しきものではない、救われる人間も多少はいることでしょうが・・

 

所詮、ビジネストークでしかない。本当にその方を見ているのではありません。

見ているのは「幾ら出せるか(お金)」ということです。

 

セミナー受けたところで影響は多少はあったとしても続きません、持って10日くらで直ぐに今までの自身に戻ります。

故に何度もセミナーやカリキュラム、カウンセリングとなっているはずです。

そこもそう作られているのです、そうして回数を重ねるごとに洗脳が始まり強くなっていくのです。

 

〇〇〇退会者は皆、口をそろえて言います「話が違う」「騙された」「偽物」だ・・

何故、そのようなことを感じるのか?そこを信者は考えるべきなのです

続けていることが正義ではないのです。

 

親からの傷、プログラム、血統、ロイヤルファミリー、救世主、

こんなものをやらないで生きてきた過去があるでしょう?

それなりに楽しみも悲しみもあったと思いますが、家族から友人から変な目で見られることはなかった筈です。

 

でも、この宗教的なものを行い始めたら、友人は去り、家族からは反対をされていませんか?

 

それが本当に貴方の目指したものだったのか?と感じます

 

目を覚ますのです、もう十分でしょう。

団体に十分お布施をしてきたはずです、

 

自分の人生、自身で考えるべきなのです。