最近交換セッションをさせていただいた方で、過去生由来の悪魔との契約があるように観えた事があった。

契約した時の状態や理由、それによる学びを確認して解消していく流れで聞いていった。

契約して何かの力を得たようで、自分の美徳を明け渡している分弱くなっていたり、エンティティを使い魔にしていることもあるけれど、自分のエネルギーを使っているのでやっぱりその分弱くなっていたり。
そもそも悪徳を増長させているので、最終的に足枷的な契約を打ち消すような学びがあって、新たな美徳や愛ある学びがゴールのはず。

なんだけど、契約したら強くなったというところで堂々巡りで進まず。強くなっただけなら、手離す理由も学びの気づきにも至らない。
強くなっただけでなく、手離せなかった理由が恐怖の対象と同化することで強く怖さを克服したように感じる、というように観えたこと。

本当にその恐怖心を勇気を持って克服出来たなら、同化じゃなくて冷静に向き合えるかじゃない。
 
その感じが分かるのは、以前私も過去生由来の恐怖心をセルフワークで観ていた時に、一体化して恐怖心を感じなくなろうとしていたから。
外から観ていると恐怖の対象なんだけれど、一体化して自分もそれそのものと思うと平気になったような気がした。
けれど本質的に克服していないので、それに対する恐怖心は依然としてあるし、感じないように暗示にかけているような状態にみえて、その状態を更に俯瞰で7層から観ているとズレた感覚でしかない。

それが観えたということは解消し時なので、理由や学び諸々観て終わらせたら、スッキリ。もう一体化して云々とかナンセンスだし、強いようにも観えないし、別にそれについて恐怖の対象でもなくなったのでした。

強くなりたいということはそもそも弱い設定なので、正攻法で克服していかないと単なる遠回り。
その遠回りも必要なこともあるけれど。

わかりやすい強さの同化は、神やその人の強いと思う存在などあるある。

昔、満員電車で雪崩れるように人が入ってきて、奥に行きますと喚きながら入ってきた人のたまたま隣の私が押した形になった時に、降りるまで天罰が当たるといい続けていた。
神を思い通りに出来るのか、それとも神と思い込んでいるのか、それでモーセの海が割れるが如く、人々よ道を開けよと喚いていたのか...。
自分で決めないと変わらないので、手離す、克服すると腹を括らないとそれ以上は、他人は何も出来ない。

その学びが成就しますように、と祈るのみ。