週一更新のこのブログ!
社団法人ボードゲーム会長のブログ
https://ameblo.jp/boardgamepro/
こちらは毎日更新していますので、
是非毎日チェックしてくださいね!
本日も連載記事の続きを!
↓
平成7年4月 私は、一宮市立奥中学校に進みました。
とはいっても、奥町という田舎街は、1小学校で1中学校なので、奥小学校を卒業した面子がそのまま奥中学校に進学します。
しかし、私の生活は大きく変わったと思います。
勉強が苦手だった私は、中学校に入って真面目に勉強するようになりました。
学校で何位だったのかという、「成績」がつくからです。
成績に燃えるという性格はこの頃からありました。
中学卒業まで、約130名の生徒の中で、10位以内に入らなかった事はありません。
1度だけ、1位をとった事もあります。
そして、運動もあまり出来なかった私も、漫画『スラムダンク』の影響でバスケットボールを始めます。
大輔くんと一緒にバスケ部に入りました。
奥中学校バスケットボール部は、後に市内で3連覇・田舎の学校としては快挙の地区大会優勝、県大会ベスト16まで進みます!!
(これは、学校史上初の快挙で、現在も抜かれていない記録です。)
学校終わりや休日の過ごし方も変わりました。
公園や野外で遊ぶ遊び方から、スーパーファミコン・プレイステーションで遊ぶという内容に変わりました。
大輔くんの家には、その、文明の利器があったので、大輔くんの家に遊びにいきました。
しかし、ほとんど大輔くんとは遊ばなくなっていきました。
何故、大輔くんの家にいくのに大輔くんと遊ばなくなったのかと言うと、
実は大輔くんは3兄弟の末っ子で、その長男の「もっちゃん」(名前忘れました)と遊ぶ事が多くなったからです。
友人の家に行き、遊ぶのは、そのお兄ちゃんという、ちょっと不思議な中学生でした。
もっちゃんは、私より6つ上のお兄ちゃんで、当時はイチローの出身高校である、愛工大名電に通う高校生でした。
もっちゃんと、スーパーファミコンやプレイステーションで対戦ゲームで遊ぶのが私の学校以外の過ごし方の大半でした。
その中で、私のボードゲーム人生を大きく変えるゲームと出会います。
それは・・・
『いただきストリート』というゲームです。
格闘ゲームや、他のゲームもやった覚えがありますが、圧倒的記憶に残っているのは、
この、『いただきストリート』です。
桃鉄のように、ボードゲームをTVゲーム上で行うというタイプのゲームなのですが、
これがむちゃくちゃ面白いんですよね。
ボードゲームで言うと、モノポリーに近いゲームです。
交渉や拡大再生産もあるので、カタンの要素も少しあります。
そして何より、「成績管理」機能があるのです。
成績管理やレーティングシステムは、私がボードゲームをやる上で大事にしている要素です。
現在カタンの成績表にある、「最大騎士力」「最長交易力」の数などは、いただきストリートの成績から来ている要素なのです。
私のボードゲームとの出会いと原点の1つに、間違いなくこのもっちゃんとのいただきストリート人生は大きく関わってきています。
これがなかったら、今の私のボードゲーム人生はなかったかもしれません。
次回は、高校に進学してからの私の人生に関して書いていこうと思います。
続く・・・
by岩田慎太郎