第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分
と言えば広島に原爆が落とされた日ですね。
詳細はこちら → 広島市への原爆投下
私が産まれる約42年前こんなに恐ろしい事が起きていました。

変わり果てた街の様子


重度のやけどを負った人々


一瞬にして焼かれた母子

有名な1枚の写真:焼き場に立つ少年

出典:トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録
撮影者であるジョー・オダネル氏は写真にこんな添え書きをしています。
『この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の表情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。』
私たちは日本人として70年前に起きたこの事実を後世へ語り継いでいかねばならないと思います。
歴史を繰り返すのか、はたまた歴史から学び新しい私たちの在り方を導き出すのかまだずっと先の話かもしれませんし、そうでないかもしれません。
常に冷静に歴史から学び、もし次そうなった時に正しい選択が出来たと胸を張っていえる人物になりたいものです。
決して他人事ではありません。
あなたも70年前の8/6に起きた出来事をもう一度振り返ってみてはいかがでしょうか。
と言えば広島に原爆が落とされた日ですね。
詳細はこちら → 広島市への原爆投下
私が産まれる約42年前こんなに恐ろしい事が起きていました。

変わり果てた街の様子


重度のやけどを負った人々


一瞬にして焼かれた母子

有名な1枚の写真:焼き場に立つ少年

出典:トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録
撮影者であるジョー・オダネル氏は写真にこんな添え書きをしています。
『この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の表情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。』
私たちは日本人として70年前に起きたこの事実を後世へ語り継いでいかねばならないと思います。
歴史を繰り返すのか、はたまた歴史から学び新しい私たちの在り方を導き出すのかまだずっと先の話かもしれませんし、そうでないかもしれません。
常に冷静に歴史から学び、もし次そうなった時に正しい選択が出来たと胸を張っていえる人物になりたいものです。
決して他人事ではありません。
あなたも70年前の8/6に起きた出来事をもう一度振り返ってみてはいかがでしょうか。