ただのセクハラでなかった!韓国大統領の訪米中報道官事件。http://ameblo.jp/fuuko-protector/entry-11529417449.html http://ameblo.jp/tosyusai-syaraku/entry-11529031920.html
5/13 11:43

大きかった北朝鮮「挑発のツケ」 兵士脱走、幹部が正恩氏を名指し非難「無謀な決定」http://sankei.jp.msn.com/world/news/130513/kor13051308330001-n1.htm“開戦ムード”の沈静化に動き始めたともされる。
5/13 11:49

太平洋戦争後、日本人は戦争を考えなくなった...「平和を欲する者は戦争に備えよ」というローマの格言は日本では禁忌になった。http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130513/plc13051303140001-n1.htm中共にとって戦争は
5/13 11:53

ほくそ笑む中国軍…自衛隊を悩ます“トンデモ交渉”の内実は?http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/653726/ 4月上旬、与那国町の外間守吉町長にインタビュー ■要求は無理筋ばかり
5/13 13:54

「アノニマス」又もや北朝鮮サイトを攻撃http://japanese.ruvr.ru/2013_05_13/kitachousen-anonymous-kougeki/ 6月25日に北朝鮮の複数のサイトに侵入する「大規模作戦」を準備中だと発表
5/13 15:19




温故一九四二/劉 震雲

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内容説明
日中戦争末期、飢餓地獄にあえぐ数千万人の河南民衆を救ったのはなんと日本軍だった!?
 現代中国屈指のベストセラー作家が埋もれていた真実に迫った。
 中国で映画化計画されるも当局の許可が得られず頓挫。 日本図書館協会選定図書。 「災害と文化」二00八年世界P.E.Nフォーラムで、「温故一九四二」の朗読(山根基世)・画(井上洋介)・音楽(森ミドリ)・脚色(吉岡忍)によるパフォーマンスが上演され、大きな反響を呼ぶ。
レビュー
 一九四二~四三年、中国河南省で旱魃(かんばつ)と蝗害(こうがい)による大飢饉(ききん)が発生した。農民は草の根、木の皮はもちろん、空腹を癒(いや)すため毒草や土を食った。人まで食った。餓死者は無慮三百万人。皮肉にも、大飢饉から農民を救ったのは侵略日本軍が放出した軍糧だった。 「歴史ルポ小説」と銘打たれたこの作品を読んで強く印象づけられるのは、飢餓に喘(あえ)ぎながらしぶとく生き抜いた農民の姿もさることながら、それとは対照的に描かれた政治権力の本性である。大飢饉に対して蒋介石(しょうかいせき)はほとんど何もしなかったが、それは実情を知らなかったからではない。彼にとって三百万人の餓死者よりも重視すべきことがほかにあったからだと著者はいう。しかも蒋介石は飢餓の実情を知らないふりをして、河南省から従来どおり重税を取り立てた。おそらくは一部フィクションをまじえることによって、この作品は政治権力の何たるかを鋭く抉(えぐ)り取っている。劉燕子(リュウイェンツ)訳。 評者・戸部 良一(防衛大学校教授) --「読売新聞」2006/06/05

 一九四二年、大飢饉で河南省の農民を救ったのは、日本軍だった―。そんな歴史の真実を捉え、ロングセラーとなっている中国の小説がこのほど日本で翻訳出版された。劉震雲さん著、劉燕子さん翻訳の「温故一九四二」(中国書店)だ。日中政府が歴史問題で対立を深めるいま、庶民にとっての歴史とは何か、二人の「劉さん」にたずねた。 「庶民にとって、歴史とは生活の連続。生活とは、食うこと。食べるものがなければ飢え死にするしかない」と、劉震雲さんは力をこめる。同小説は、日中戦争の最中の一九四一年―三年、河南省を襲った旱魃による被災者三千万人、餓死者三百万人という大飢饉の状況を農民、蒋介石ら指導者、米国人記者、日本軍の立場から多面的に描き出した。 飢饉の原因は天災だけでなく、中国軍の容赦ない軍糧のとりたてのせいでもあった。その中で、日本軍は餓死寸前の農民に軍糧を放出した。
 他の中国人から収奪したものだったとはいえ、農民はこれに応えて、猟銃やクワを握って武装し、軍糧を巻き上げてきた中国軍を武装解除させた。
 「民衆が死んでも土地は中国人のもの。兵士が死ねば日本人がこの国をわがものとする」と軍糧の過剰なとりたてを黙認する蒋介石に対し、食べることが何より優先事項だった庶民。「最後に歴史を動かすのは庶民の基本的生活の要求だった」と劉震雲さんはいう。 河南省生まれの劉震雲さんは、当初は故郷の災害史をまとめるつもりで、祖母や叔父らをインタビューし新聞記事を集めていた。
 史実に初めて触れて驚愕すると同時に「人の記憶は意外にあいまい。こんな大事件をみんなあまり覚えていない」と、ショックを受けた。それではいけないと、九三年に小説として発表。以来、読者の圧倒的支持を得て、今も重版が続くロングセラーになった。
 ”中国の山田洋次”と称される馮小剛監督による映画化も決定。当局の審査が厳しくクランクインが遅れているものの「遅くとも来年の冬には完成する」という。 翻訳者の劉燕子さんはこの小説に魅了された一読者だった。九一年に留学。今は大阪で、文芸誌「藍・BLUE」編集長を務める。「日中の懸け橋になりたいと思って文芸誌を編集してきた。この小説こそ日本の人々に読んでほしい」と、日本語で「劉震雲文学」の世界を再現した。翻訳に当たっては、防衛庁の戦史と照らし合わせ、史実を確認した。 昨年四月の反日デモから一年。しかし劉震雲さんは「故郷(河南省)の老人たちは、日本人に好感を持っている。子供のとき日本兵にアメをもらったりしたそうです」とほほえんだ。 --「産経新聞 2006/04/14