言いたいこと言おうぜ 憲法記念日 沢田研二さん、山本太郎さんに聞く
大震災から1年を経て迎えた憲法記念日。
この間、タブーと向き合ってきた2人に聞いた。
●ひそやかジュリー流
横浜の自宅近くを散歩していたら、青空にぽっかりと白い雲が浮かんでいた。
携帯電話のカメラで思わず3枚、撮った。
3日後、震災が起きた。栃木県内で音楽劇に出演中だった。
あれから1年あまり。
被災地で炊き出しをする人。大声で支援を呼びかける人。
でも多くの人は、気持ちはあるけど何をしていいかわからなかった。
「僕もその一人でした」
歌手の沢田研二さん(63)。
3月、被災地への思いを歌った4曲入りの新譜「3月8日の雲~カガヤケイノチ」を出した。
ジャケットに、あの雲の写真を使った。
「頑張ろう」という言葉も、派手な宣伝もない。
「ひそやかにやるのが今の自分に合っている」
メッセージは強烈だ。
福島の原発を表す「F.A.P.P」という歌では「死の街が愛(いと)しい」「何を護(まも)るのだ国は」「BYE BYE 原発」と叫ぶ。
還暦の前のあたりから「言いたいことを言わなきゃ」と思うようになった。
「60歳超えたら余生」だから。
4年前、「我が窮状」という歌をアルバムの9曲目に入れた。
「憲法9条を守りたい」と思う人たちに、「同じ気持ちだよ」とそっと伝えたかった。
アイドル時代、「表現の自由」はなかった。
「華麗なジュリー、セクシーなジュリーに似合わないことは、言えなかった」
芸能界でいま、反原発ソングを堂々と歌える歌手は多くない。
「様々なしがらみがつきまとうから」という。
山本太郎さんが反原発運動に参加して仕事が激減したと聞き、「いつか一緒に仕事がしたいな」と思った。
自身も「テレビに出られなくなるよ」と言われたことがある。
「それでいい。
18歳でこの世界に入り、いつまでもアイドルじゃないだろ。昔はジュリー、今はジジイ。
太ったっていいじゃない」
好きなことを、コツコツとやっていこうと思っている。
「昔の名前を利用しながら、ね」
(佐々木学)
----------------------------------------------
●太郎節、走り続ける
震災後、俳優の山本太郎さん(37)は眠れぬ夜が続いていた。
2人の自分が、言い争うのだ。
「『反原発』と思っているだけでは意味がないぞ」
「口を出すな。お前がやるべきは自分の仕事だろ」
大阪でテレビの生出演を翌朝に控えたホテル。
寝付けず、偶然見つけた原発の賛否を問うツイッターの書き込みに反応した。
「反対!」
涙がこぼれた。
やっと自分に戻れた気がした。
3・11から29日がたっていた。
翌日、東京・高円寺での反原発デモに初めて参加した。
事務所に無断で、帽子をかぶって。
すぐ正体がばれ、マイクが回ってきた。
その後も福島で、子どもを被曝(ひばく)から守る母親たちの活動を支援したり、玄海原発の再稼働に反対する佐賀県庁での抗議活動に加わったり。
「客寄せパンダでいいんです」
生活は一変した。
予想通り仕事は激減。ツイッターに「原発関連の発言が原因でドラマを降板した」と書き込むと、「降板させたテレビ局はどこだ」という犯人捜しが始まった。
「関心の矛先がずれて喜ぶのは、国や電力会社。浅はかだった」
降板の背景に、スポンサーからの圧力などがあったとは聞いていない。
強いて言うなら、「現場の空気読み」だったのだろう。
「調子に乗るな」と事務所に電話が殺到し、書き込みから2日後、事務所を辞めた。
収入は10分の1以下になった。
そんななか、沢田研二さんが応援してくれていることを知った。
「いまこの国が置かれた状況に対し、メッセージを発信してくれていることが心強かった」
後悔はない。
「いま声を上げないと、この国の未来を諦めることになるから」
先月、3カ月の契約社員として採用された太陽光発電システムの販売会社の入社式に出た。
新調したスーツは、靴代も含めて3万円だった。
(山本亮介)
朝日新聞 2012.05.04 東京朝刊 30頁
仕事って、お金もらえれば何でもいいって訳じゃないよね
人のためになって、社会に貢献できる....
それが仕事だと思う
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大震災から1年を経て迎えた憲法記念日。
この間、タブーと向き合ってきた2人に聞いた。
●ひそやかジュリー流
横浜の自宅近くを散歩していたら、青空にぽっかりと白い雲が浮かんでいた。
携帯電話のカメラで思わず3枚、撮った。
3日後、震災が起きた。栃木県内で音楽劇に出演中だった。
あれから1年あまり。
被災地で炊き出しをする人。大声で支援を呼びかける人。
でも多くの人は、気持ちはあるけど何をしていいかわからなかった。
「僕もその一人でした」
歌手の沢田研二さん(63)。
3月、被災地への思いを歌った4曲入りの新譜「3月8日の雲~カガヤケイノチ」を出した。
ジャケットに、あの雲の写真を使った。
「頑張ろう」という言葉も、派手な宣伝もない。
「ひそやかにやるのが今の自分に合っている」
メッセージは強烈だ。
福島の原発を表す「F.A.P.P」という歌では「死の街が愛(いと)しい」「何を護(まも)るのだ国は」「BYE BYE 原発」と叫ぶ。
還暦の前のあたりから「言いたいことを言わなきゃ」と思うようになった。
「60歳超えたら余生」だから。
4年前、「我が窮状」という歌をアルバムの9曲目に入れた。
「憲法9条を守りたい」と思う人たちに、「同じ気持ちだよ」とそっと伝えたかった。
アイドル時代、「表現の自由」はなかった。
「華麗なジュリー、セクシーなジュリーに似合わないことは、言えなかった」
芸能界でいま、反原発ソングを堂々と歌える歌手は多くない。
「様々なしがらみがつきまとうから」という。
山本太郎さんが反原発運動に参加して仕事が激減したと聞き、「いつか一緒に仕事がしたいな」と思った。
自身も「テレビに出られなくなるよ」と言われたことがある。
「それでいい。
18歳でこの世界に入り、いつまでもアイドルじゃないだろ。昔はジュリー、今はジジイ。
太ったっていいじゃない」
好きなことを、コツコツとやっていこうと思っている。
「昔の名前を利用しながら、ね」
(佐々木学)
----------------------------------------------
●太郎節、走り続ける
震災後、俳優の山本太郎さん(37)は眠れぬ夜が続いていた。
2人の自分が、言い争うのだ。
「『反原発』と思っているだけでは意味がないぞ」
「口を出すな。お前がやるべきは自分の仕事だろ」
大阪でテレビの生出演を翌朝に控えたホテル。
寝付けず、偶然見つけた原発の賛否を問うツイッターの書き込みに反応した。
「反対!」
涙がこぼれた。
やっと自分に戻れた気がした。
3・11から29日がたっていた。
翌日、東京・高円寺での反原発デモに初めて参加した。
事務所に無断で、帽子をかぶって。
すぐ正体がばれ、マイクが回ってきた。
その後も福島で、子どもを被曝(ひばく)から守る母親たちの活動を支援したり、玄海原発の再稼働に反対する佐賀県庁での抗議活動に加わったり。
「客寄せパンダでいいんです」
生活は一変した。
予想通り仕事は激減。ツイッターに「原発関連の発言が原因でドラマを降板した」と書き込むと、「降板させたテレビ局はどこだ」という犯人捜しが始まった。
「関心の矛先がずれて喜ぶのは、国や電力会社。浅はかだった」
降板の背景に、スポンサーからの圧力などがあったとは聞いていない。
強いて言うなら、「現場の空気読み」だったのだろう。
「調子に乗るな」と事務所に電話が殺到し、書き込みから2日後、事務所を辞めた。
収入は10分の1以下になった。
そんななか、沢田研二さんが応援してくれていることを知った。
「いまこの国が置かれた状況に対し、メッセージを発信してくれていることが心強かった」
後悔はない。
「いま声を上げないと、この国の未来を諦めることになるから」
先月、3カ月の契約社員として採用された太陽光発電システムの販売会社の入社式に出た。
新調したスーツは、靴代も含めて3万円だった。
(山本亮介)
朝日新聞 2012.05.04 東京朝刊 30頁
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