2012年4月30日東京新聞こちら特報部の記事を紹介します
被曝2世 訴え続け30年余
「広島・長崎に投下された原発被害の苦しみを考えれば、原発を即座に廃止するべきだ」。
長年叫び続けてきた広島市の会社員木原省治さん(63歳)。
1945年8月6日、両親と姉は広島市内の自宅で原爆の被害に見舞われた。
爆心地から2.3キロの地点。
母親は後に生まれるもう一人の姉をおなかに宿していた。
「夜勤明けで帰った父親と朝飯を食べていた時だったようです。
爆風で家は吹っ飛び、母親は背中から肩まで大やけどを負った。
母親を大八車に乗せ父方の親が住む五日市に避難したと聞いた」
木原さんが生まれたのはこの4年後。
しかし4歳の時に死亡した父親の記憶は残っていない。
体内被曝した姉は、6年前に突然口から血を吐いて死亡した。
木内さんは語る。
「死亡と原爆との因果関係は分からない。
それでも、病気や体調が悪化した時には『もしかしたら原爆の影響かもしれない』との不安、恐れ、心配を抱えながら多くの被曝者は生きている。
福島原発の周囲の人も今後は同じ心配をしながら生きていくと思うと、悲しさを感じる」
木内さんは、毎年中国電力の株主総会に、
「会社は、人類の生存をまもるために。原子力の利用は行なわない」
との株主議案を提出している。
木内さんは、活動の理由を、
「これまで私の提出議案はすべて株主総会で否決されてきた。
しかし、13万人以上の株主に私たちの主張を伝えるのが最大の目的。
議案への賛否が分かれば、主張に賛同してくれた株主も分かる。
運動を広げていくことにも通じる」
と説明する。
木原さんが脱原発運動を始めたのは1978年。
米国市民団体の招きで、国連軍縮特別総会前の集会ツアーに参加したのが29歳の時だった。
20日間の米国滞在中、教会での寝泊まりやホームステイを続け、核兵器製造工場や使用済み核燃料再処理工場予定地、ネバダ州の核実験場などを見て回った。
「私たちは、広島原爆の8月6日と、長崎原爆の8月9日に、原発に反対する行動をしている」。
米国の市民団体の参加者がこう言うのを聞いて木原さんは衝撃を受ける。
前年には、反原発運動で逮捕者まで出していた。
「それまで原発にはあまり関心がなかった。
広島は核兵器、原爆に反対してきた街。
しかし、米国ではその広島、長崎の原爆日にあわせて、原発前で集会を開いていた。
これを知らなければ、わたしも脱原発運動はやってなかった」
帰国した木原さんは同年10月26日、国が定めた「原子力の日」に、「原発はごめんだヒロシマ市民の会」を設立。
サラリーマンを続けつつ、脱原発実現に向けて現在も代表を努めている。
東日本大震災から1年後の今年3月、木原さんは再び米国を訪れていた。
ジョージア州アトランタで開かれた脱原発集会に出席するためだ。
米国は今年、同州内への新たな原発設置を認可し、スリーマイル島原発事故以降初めて、原発建設を再開しようとしている。
採用される原子炉は東芝の子会社「ウェスチングハウス」が開発したものだ。
「日本の原子力政策の問題点は」
「ストレステストとは何か」。
米国の集会では福島原発事故のことで質問攻めにあった。
米国の市民が原発への懸念を深めつつある中、日本政府が大飯原発の再稼働方針を決めたことに木原さんは危機感を持つ。
「世界中が日本の世論を注視している。
再稼働は犯罪者の取り調べや罪の重さも決まらないまま、犯罪者を放ち、再び罪を犯すのを黙って見ているようなものだと思う」
中国電力は、2011年度の決算を公表した。
電力不足に悩む他社への融通などで売り上げは870億円の増収、経常利益も298億円。
「他人の不幸でもうかったようなもの」
「ヒロシマは、核兵器と人類は共存できないというメッセージをこれまで世界に送ってきた。
今後も反核・脱原発の期待に応えられるヒロシマでなければならないと思う。
それが私たち被曝2世の役割だと信じている」
~記事を編集しています~
米国の反核運動家と聞くと、俳優のマーチン・シーンを思い出します
彼も度々反核運動のデモなどで逮捕されていましたね
有名人が逮捕されることによって、世界中にニュースが配信されるので、わざと逮捕されるようにしていると聞きました
彼の息子のチャーリー・シーンは来日したとき広島を訪れていました
最近のチャーリー・シーンは、DMで逮捕されたなど、良くないニュースしか聞こえてこないのが残念です
ネバダ州の核実験のためにかり出された軍人、原発周囲の住民の中にも放射能被曝で苦しんでいる人が数多くいます
チェルノブイリ事故の後も、原発を推進してきた日本....
原爆も原発も放射能の危険性は同じです
被曝2世 訴え続け30年余
「広島・長崎に投下された原発被害の苦しみを考えれば、原発を即座に廃止するべきだ」。
長年叫び続けてきた広島市の会社員木原省治さん(63歳)。
1945年8月6日、両親と姉は広島市内の自宅で原爆の被害に見舞われた。
爆心地から2.3キロの地点。
母親は後に生まれるもう一人の姉をおなかに宿していた。
「夜勤明けで帰った父親と朝飯を食べていた時だったようです。
爆風で家は吹っ飛び、母親は背中から肩まで大やけどを負った。
母親を大八車に乗せ父方の親が住む五日市に避難したと聞いた」
木原さんが生まれたのはこの4年後。
しかし4歳の時に死亡した父親の記憶は残っていない。
体内被曝した姉は、6年前に突然口から血を吐いて死亡した。
木内さんは語る。
「死亡と原爆との因果関係は分からない。
それでも、病気や体調が悪化した時には『もしかしたら原爆の影響かもしれない』との不安、恐れ、心配を抱えながら多くの被曝者は生きている。
福島原発の周囲の人も今後は同じ心配をしながら生きていくと思うと、悲しさを感じる」
木内さんは、毎年中国電力の株主総会に、
「会社は、人類の生存をまもるために。原子力の利用は行なわない」
との株主議案を提出している。
木内さんは、活動の理由を、
「これまで私の提出議案はすべて株主総会で否決されてきた。
しかし、13万人以上の株主に私たちの主張を伝えるのが最大の目的。
議案への賛否が分かれば、主張に賛同してくれた株主も分かる。
運動を広げていくことにも通じる」
と説明する。
木原さんが脱原発運動を始めたのは1978年。
米国市民団体の招きで、国連軍縮特別総会前の集会ツアーに参加したのが29歳の時だった。
20日間の米国滞在中、教会での寝泊まりやホームステイを続け、核兵器製造工場や使用済み核燃料再処理工場予定地、ネバダ州の核実験場などを見て回った。
「私たちは、広島原爆の8月6日と、長崎原爆の8月9日に、原発に反対する行動をしている」。
米国の市民団体の参加者がこう言うのを聞いて木原さんは衝撃を受ける。
前年には、反原発運動で逮捕者まで出していた。
「それまで原発にはあまり関心がなかった。
広島は核兵器、原爆に反対してきた街。
しかし、米国ではその広島、長崎の原爆日にあわせて、原発前で集会を開いていた。
これを知らなければ、わたしも脱原発運動はやってなかった」
帰国した木原さんは同年10月26日、国が定めた「原子力の日」に、「原発はごめんだヒロシマ市民の会」を設立。
サラリーマンを続けつつ、脱原発実現に向けて現在も代表を努めている。
東日本大震災から1年後の今年3月、木原さんは再び米国を訪れていた。
ジョージア州アトランタで開かれた脱原発集会に出席するためだ。
米国は今年、同州内への新たな原発設置を認可し、スリーマイル島原発事故以降初めて、原発建設を再開しようとしている。
採用される原子炉は東芝の子会社「ウェスチングハウス」が開発したものだ。
「日本の原子力政策の問題点は」
「ストレステストとは何か」。
米国の集会では福島原発事故のことで質問攻めにあった。
米国の市民が原発への懸念を深めつつある中、日本政府が大飯原発の再稼働方針を決めたことに木原さんは危機感を持つ。
「世界中が日本の世論を注視している。
再稼働は犯罪者の取り調べや罪の重さも決まらないまま、犯罪者を放ち、再び罪を犯すのを黙って見ているようなものだと思う」
中国電力は、2011年度の決算を公表した。
電力不足に悩む他社への融通などで売り上げは870億円の増収、経常利益も298億円。
「他人の不幸でもうかったようなもの」
「ヒロシマは、核兵器と人類は共存できないというメッセージをこれまで世界に送ってきた。
今後も反核・脱原発の期待に応えられるヒロシマでなければならないと思う。
それが私たち被曝2世の役割だと信じている」
~記事を編集しています~
米国の反核運動家と聞くと、俳優のマーチン・シーンを思い出します
彼も度々反核運動のデモなどで逮捕されていましたね
有名人が逮捕されることによって、世界中にニュースが配信されるので、わざと逮捕されるようにしていると聞きました
彼の息子のチャーリー・シーンは来日したとき広島を訪れていました
最近のチャーリー・シーンは、DMで逮捕されたなど、良くないニュースしか聞こえてこないのが残念です
ネバダ州の核実験のためにかり出された軍人、原発周囲の住民の中にも放射能被曝で苦しんでいる人が数多くいます
チェルノブイリ事故の後も、原発を推進してきた日本....
原爆も原発も放射能の危険性は同じです