あれから、薬を減量しようと調整していたら、

お腹がはってきたり、さらに出血したりで、子宮口が徐々に開いていった。。。

 

最終的に33週まで持ちこたえた。

33週に破水し、そのまま薬を全て中止したガーン

そして、陣痛くるのを待っていたけど、来ず。。。

 

陣痛促進剤を使い、約4時間後に出産した照れ

 

陣痛は痛かった、無痛分娩がない病院だったから。

分娩室までいくのがきつかった。

死に物狂いで痛みに耐えていた気がする。

産まれるころに、助産師から呼吸といきみのアドバイスを受けたけど、

わかっていてもできなかった。

そして、赤ちゃんをうまくだせないから、会陰切開をすることになった。

 

よく出産して感動で涙がでたとか聞くけど、

私は赤ちゃんの声を聞いて、呼吸ができているんだと安心した。

 

切迫早産の治療中、医師や助産師からは肺の機能ができればある程度安心と聞いていたから。

 

赤ちゃんはNICUに移動し、私は会陰切開の縫合を受けていた。

研修医に教えながらやっていたので、早くしてほしかった滝汗

 

そして、後陣痛がとてもつらく、夜眠れず、痛み止めを追加してもらった。

 

翌日には後陣痛の痛みも減ったけど、会陰切開部位は約2~3週間は痛く、

日常生活にドーナツクッションが必須だった。

 

出産したら5日後には退院。。。ガーン

約2ヶ月近く、寝たきりと産後ということもあり、まず歩けなかった。。。

階段がすごい障害だった。

 

退院して子供に面会行きたくても、一人じゃ行けず付き添いが必要だった。

 

切迫早産で入院中、赤ちゃんが無事かどうかずっと不安だった。

そして、薬の影響で自分の体も心配だったし、点滴や採血が毎週あり、

後半は静脈留置もすぐダメになったり、うまく入らなかったりで痛かった。

 

コロナ禍で家族と面会もできず、動くとお腹が張るから、

談話室も行けず電話ができなかった。

入院室からトイレの移動には常に点滴棒が付きまとい、

点滴は2つだったから電源の抜き差しが嫌だった(お腹にちから入るし、点滴入っているから手は痛いし)。

 

シャワーも後半は、お腹が張るのが怖くて毎日入れなかった。

 

天気が悪い日、そして夕方~夜中にお腹がはるため、怖かった。

ナースコールを読んでいいのかも迷った。

お腹張るのは嫌だけど、薬が追加や増量されるのも嫌で、

ナースコールどうしようかと迷っていたこともあった。

 

マグセントとリドとリンの2剤で、だるいし、熱いし、手は震えるし。

食事で病院のお茶は熱くて嫌だったし、お皿の蓋もうまく開けられなかったなショボーン

後半はどちらの薬も高用量で、マグセントでの不整脈がないかの確認のため心電図のモニターもつけ、増量した翌日は血中濃度をみるため採血もした。

 

とてもつらいこと、きついことがあったけど、

今、育児をしていて赤ちゃんを抱っこしているとき、

あの時頑張って本当に良かったと思う。

 

育児も大変だけど、赤ちゃんに無事出会えて、成長してくれていることを本当に嬉しく思う。

 

子宮口が開きかけてきたとき、

内診後に先生に

「この状況でいつ産まれますか?」と聞いたら、

「神のみぞ知る、ですねニコニコ」と言われたことをよく覚えている。

 

妊娠・出産は本当に、神秘的なことなんだと思った。

医療が進んで、体外受精して、妊娠はできるかもしれない。

いろんないい時期、時間が積み重なって赤ちゃんに出会えるんだと思った。

 

妊娠して出産を予定した病院で出生前診断の話を聞いた時も、

ここまできて、検査でひっかかったら赤ちゃんとお別れするという選択もあることを聞いて、

大きな壁を感じた。

何があっても育てたいから私は受けなかった。

 

子宮内膜症の再発、体外受精、妊娠、出生前診断(受けなかったけど)、切迫早産

いろんなことを乗り越えて、今は赤ちゃんと一緒にいられる。

 

長くなったけど、

今妊娠中の方、切迫早産で治療を受けている方、

赤ちゃんはお母さんの声を聞いてくれています照れ

助産師さんもそういってました。

 

いろんな不安があるけど、大丈夫ですビックリマーク

お母さんになったあなたはどんなことも乗り越えられるから、

悲しい思いや、不安な思いがあっても

応援してくれる人は必ずいますニコニコ

 

少なくともこの経験をした私は、応援してます!!

 

何よりもお腹の中で赤ちゃんがずっと近くで、

応援して一緒に頑張ってくれているから

笑顔になれる楽しみをたくさん想像してくださいねウインク