「いらっしゃいぃ~」 室町砂場で元祖天ざるを食べる | きょうは休肝日?

きょうは休肝日?

すでに休肝日は諦めているのだが、いまさらブログタイトルを変えられない

本日もやたらめったら長ったらしい文になりそう。

おいしい蕎麦を食べたいことは食べたい。

でも蕎麦通の嗜みみたいなものを誇示しながら食べるような輩の多い店はどうも敬遠してしまう。

だから自ずと勝手知ったる老舗の蕎麦屋に行くことになる。

このところ「神田まつや」と「池之端藪蕎麦」、「吾妻橋やぶそば」が多かったので、昨日は「室町砂場」を訪れた。

室町砂場

まずはつきだしの「梅くらげ」で生ビール。

酒は冷たい「菊正宗樽酒」に変わり、いつもの「卵焼き」と「焼き鳥」を頼む。


家内と2人で行ったので「卵焼き」はあらかじめ2皿に分けてくれる。ここの卵焼きはかなり甘め。

卵焼き


「焼き鳥」はいつもタレを選ぶ。「神田まつや」などより甘みを抑えている。

焼き鳥

いつも思うのだが蕎麦屋の焼き鳥はどうしてうまいのだろう。我が家で自家製の「かえし」を使って作ってもなかなかこうはならない。


そしてつきだしで出てきてうまかった「梅くらげ」を別途注文。これは酒のあてに最高。

梅くらげ

肝心の蕎麦はこの「室町砂場」独創の「天ざる」と「天もり」だ。

「天もり」「天ざる」は、ここが発祥の店だ。
ただし、ここのは、温つゆに蕎麦をつけて食べる「つけ麺」風のもの。
芝えびと小柱のかき揚げは温つゆに初めから入っている。「天ぬき」のようなものだ。
「もり」と「ざる」の違いはそば粉。「ざる」はさらしな粉を使い、「もり」は一番粉だ。海苔のあるなしは関係ない。

天ざる&天もり

江戸蕎麦らしくなんとも美しく細い蕎麦だ。繊細な食感を楽しめる。
ただ、かき揚げの香りが強いので、蕎麦を本当に楽しみたいのなら、普通の蕎麦つゆのものを頼んだ方がいいだろう。


<種ものの「天麩羅蕎麦」は江戸時代に>

いわゆる「種もの」(「かけ蕎麦、ぶっかけ蕎麦」に様々な具を入れたもの)としての「天麩羅蕎麦」が登場した時期は、はっきり分かってはいないようだが、文政10年(1827年)に読まれた川柳に「天麩羅蕎麦が御意に入り」という文句があるそうだから、その頃にはもう普及していたに違いない。(参考 岩崎信也著「蕎麦屋の系図」)


ちなみに種ものの中で最初に登場したのは「しっぽく」だそうだ。椎茸、蒲鉾、卵焼きや根菜類の入ったもので、長崎の中国風日本料理「卓袱(しっぽく)料理」にヒントを得てつくられたものだ。


<「砂場」は東京の蕎麦屋で一番古い暖簾>

東京の古い蕎麦屋といえば「藪」「更級」そして「砂場」という暖簾を多くの人が思い浮かべるだろう。


その中でも最も古い歴史を持つといわれるのが「砂場」だ。

この「砂場」の発祥の地が大阪(大坂)だというのは、砂場系の各店の関係者も否定していないのだから、そういうことにしてよいのかも知れないが、店名の由来が、大坂城築城の際の砂置き場云々という話は、いかんせん時代がさかのぼりすぎで信じがたいものがある。

ただ、今も営業を続ける「南千住砂場」「巴町砂場」は江戸時代から続く店ではある。「南千住砂場」は三ノ輪のアーケード街にあるが、中身、外観ともにごくごく普通の街場の蕎麦屋だ。

室町砂場」は幕末に高輪・魚藍坂に暖簾を得て独立。明治2年、現在地に移転したという。

いまの「天もり」が「室町砂場」で生み出されたのは昭和25年頃だという。クーラーなどなかった時代、暑い夏に種ものの天麩羅蕎麦よりマシ。ということだったのかも知れない。


<再びちなみに>

いまの天麩羅と蕎麦が別々に盛られてくる「天ざる(天もり)」は後発部隊だったので、登場した頃は「天麩羅が陸(岡)に上がった」ということから「岡天(おかてん)」と呼ばれていた。いまも数は少ないがこのような呼び方をする店はある。


<さらに蛇足>

「室町砂場」の店内に入ると「いらしゃいぃ~」(赤の部分は平板に高いまま)というおねえさんたちの声が迎えてくれる。この砂場だけでなく「かんだやぶそば」などもそうだ。


どうしてこの言い方なのだろうと勝手に想像してみた。何の根拠もない。ただの想像だ。


蕎麦屋というのは元来がざっかけないものであって気取って行くようなところではない。だから店の親父さんなどであれば、さしずめ「い、いらっしゃい!」と中高で言うか、「い」を省略して「へい、らっしゃい!」と威勢良く客を迎えたことだろう。
ところが女性の従業員の場合はそうはいかない。

かといって丁寧に「いらっしゃいませ」では賑やかな店の中では聞き取れるわけもないし、第一、蕎麦屋にふさわしくない。
というわけで、遠くからでも声の届くあの言い方になったのでは…。

と、私は妄想した。

ともかく、「いらっしゃいませぇ~」とだらしなく語尾が伸びる今どきの挨拶よりははるかにかわいらしい(例えそれが元むすめさんだとしても)。