2008年9月23日、15時30分。
約17時間の陣痛を経てチビ子が誕生しました
2年越しの振り返りになりますが、
チビ子誕生までの、10ヶ月と、
17時間を振り返りたいと思います
もともと生理不順だったので、生理が1ヶ月以上来ないことは多々。
そういうわけで妊娠に気づいたのはすでに妊娠3ヶ月に入ってからでした。
妊娠が発覚し初めて産科を受診したときにはすでに心拍が確認されていて…
「心拍が確認されるまでの親の不安感」ってものをゆっくりと感じることもないまま、
いきなり元気なベビーをお腹に発見したという感じでした。
(ちなみに悪阻は出産のその瞬間まで続きました)
娠5ヶ月で引越しなどもあり前職を退職。
妊娠経過に問題が生じることもなく、
妊娠7~9ヶ月は家にじっとしているのがストレスになり、おっきなお腹でフルタイムのパートに出る。
期間限定のパートが終了した後に、
臨月に入る直前の健診で、「お産が早まるかも」
と安静を強いられましたが、臨月に入ってからは
「どんどん動け~!!」
と、医師や助産師にせかされ、
毎日2時間近く散歩してました。
予定日の19日を過ぎてもお産がくる兆候もなく、
いよいよお腹のベビーは3000g越え。
様々なお産トラブル?を聞いていたので、焦りと不安と緊張で
ベビーに会える楽しみがある反面、
精神的にはかなり不安定になっていました
健診にいくたびに、
「ベビーちゃんどんどんおっきくなって、難産になっちゃうよ」
「早く生まなきゃね」
「次の健診は来ないようにね(次の健診までに産んでしまいなさい)」
と、助産師に言われることといえばそればかりな上、
子宮口をグリグリされてぶったまげるほど痛い思いをするのがほんとに憂鬱だったわたし。
(ここの助産師、酷くないですか?笑)
最後の健診日。
たまたま院外から来ていた医師にあたり、
わたしの焦りを察してくれたのか、
いきなりこんなことを言われました。
「あなた、TSUTAYAのカードある?今日、このあとTSUTAYAで面白そうなDVDを2~3枚借りていってください。
もしお産来ちゃったら旦那さんに返却してもらって。お笑いのでもいいし。」
わたし、一瞬ハテナでしたが、
「ベビーは一番いいタイミングでちゃんと出てきてくれるから。予定日過ぎると、焦るお母さんが多いんだけど、リラックスが大事だよ。」
「いっぱい笑ってリラックスしてください。」
そう言われて、
なんだか急に楽になりました
その健診の翌々日の夜中に前駆陣痛がきて、
その翌日の22時くらいからいよいよ10分間隔の陣痛がやってきました。
まさに生理痛のような痛さとお腹のハリ。
そのまま途中ウトウトしながらも痛みでやっぱり眠れず、朝5時に陣痛間隔4分。(わたしの行ってた病院は、初産婦で5分間隔まで自宅待機しなきゃいけないんです。医師不足なので。)
もう痛すぎで
「さすがにもういいっしょ?!」
と思いながら病院に電話しましたが、
なんだかまだまだしぶられている様子で
やっと来院許可が出たので、
おばばの運転でパパ夫付き添いのもと病院へ。
お産までに時間がかかりそうだと家に帰されると聞いていたのですが、なんとか入院させてもらえました…
その後痛すぎて吐きながら、約10時間を過ごしたのですが、
「吐きそうでナースコールしても誰もこない」
「吐いてるっつーのにどうぞとポンっと食事おいてく」
「子宮口全開で破水してめっちゃ生まれそうなのに医師到着まで1時間近くいきみを我慢させられる」
なんだかお産に関しては散々な思い出ばかりが
パパ夫のみ付き添いの予定だったけれど、
終始放置プレイな病棟だったので、
(呼んでも放置…)
結局産む瞬間までは
おばばも寝ずに協力してくれてました。
やっとやっと医師がきて、パパ夫立ち会いのもと2回のいきみでポーンとベビーが誕生(パパ夫に激似。)
泣き声と動きが半端なくて、医師や助産師も爆笑
外で待っていたおばば&義母も笑っちゃったらしいです。
色々とありましたが、
そんな2年前の思い出でした
医師不足問題って、ほんとに重大です…
※画像は2歳誕生日当日のチビ子。おばばにもらった掃除機のオモチャでせっせと掃除中。