DYNAMO BLOG (ダイナモブログ)

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人は誰でも生まれてくる前に、自分の人生の計画を立ててくるんだ、ということを先回書いた。が、じゃあ自分は一体どんな計画を立ててきたんだろうと考えてみても、なかなか分からない。


でも生きていて、「何のために生きているんだろう?」て考えたり悩んだりすることは、特に十台、二十台の間には結構あるんじゃなかろうか。「なんとなく生きているけど、本当にこれでよいのかな?」「自分に意味があるのかな?」と。


何の目的もなしにこの世に生まれてくる人は一人もいない。誰だって必ず、「生まれたら、自分はこういうことがしたい」と思って生まれてきた。この世に生まれるからには、なにかしら、やはり成し遂げたいと思った目標や、これまでの過去の人生では克服できなかった、が、今度こそ乗り越えようとしている課題というものがあるはずだ。


それは何か?それは自分の心に一生懸命問いかけてみるしかない。時々、心の深いところから、「心のうずき」とでも言うべきものを感じることがあるだろうか。もしあれば、そのうずきこそが、今は忘れてしまっているけれども、自分が掲げた目標を教えてくれるものなのかもしれない。


ひとつYoutubeの動画を紹介したい。


坂本竜馬の言葉

幕末の志士、坂本竜馬の言葉である。



以前、「オーラの泉」という番組があった。美輪明宏、江原啓之、国分太一の3人が、毎回ゲストをお迎えして、ゲストの悩みや将来への思いといったことについて、スピリチュアルな観点でもってトークをするというものだ。結構面白くて、よく見ていた。その中でゲストの守護霊がメッセージを伝えるという場面もあった。しかしそもそも守護霊とは一体なんであろうか。


私たちには、それぞれ「魂の兄弟」というのが存在するという。通常は6人一組で、6人が順番に地上に生まれていくという。地上での経験は、魂経験として共有されることになる。魂の兄弟の誰かが地上に生まれたら、他のだれかひとりが必ずつきっきりになって、インスピレーションを与えて、地上の人間を指導することになっている。それが守護霊なのだ。


私たちはこの世に生まれてくる前、何も考えずに生まれてくるわけではない。次はこういう目標をたてよう、こういったことを経験しよう、等々、様々な人生の計画を立ててくる。しかし、いったんこの世に生まれてしまうと、あの世での記憶は忘れ去ってしまう。もちろん生まれてくる前に立ててきた計画も。


守護霊は地上に生まれた魂の兄弟が、人生において立てた目標を達成できるように、インスピレーションという形でアドバイスを与える。そのインスピレーションに気づくことができるかどうかは、地上に生きる人間の心がけ次第である。


そもそもあの世での記憶を忘れ去っているわけであるし、生きていると様々な出来事に次々に直面することになる。その中でも自分を見守ってくださっている守護霊の思い、そして、生まれてくる前に決意してきた自分自身の思いに気づくことができるかどうか。


振り返ってみると、きっと守護霊の方がいろいろインスピレーションを送ろうとしてくださっているのだけど、それに全然耳を傾けようとしていないしていない自分に気づく。毎日バタバタして、目の前のことだけで時間が過ぎる。でも時々、ちょっと思索的になったり、何かのタイミングが訪れたりして、ふと気づくような瞬間もあるかもしれない。


つらいことがあったとき、守護霊に助けを求めれば助けてくれるかというと、そういうわけでもないようだ。そのつらいことが、地上に生きる者にとって学びのためであるのならば、守護霊はただただ黙って、「頑張れ」という思いの中で見守るのみなのだ。つらいからといって、それを取り除いてしまったら、それは地上に生きる者が大切な学びを得るチャンス、気付きを得るチャンスを奪ってしまうことになるからだ。


人生に無駄なものは何もないという。たとえつらい経験であれ、全ては自分にとって必要なものだから与えられるのだ。そこからたとえその場は逃げることができたとしても、また後になって同じような形で、再び自分の前に現われることになるだけなのだ。


結局はなんとか自分自身を奮い立たせて、ちゃんと向き合って解決していくしかないのである。


・・・・・。


自分で書いておきながら、嗚呼、なんて耳が痛い。

人の心は移ろいやすく、まるで周りの影響に左右されながら流されていく、風まかせに海をすすむ小舟のようであるーーーということを先回書いた。時には優しい気持ちになることもあれば、時にはちょっと怒った気持ちになることもある。得意になったり、自己嫌悪になったり、反省したり・・・。いろいろある。


優しい気持ちでいれば、同じような思いをもった人や物事を引き寄せ、怒った気持ちでいれば、それもまた、同じような思いをもった人や物事を引き寄せることになるという。


そのことを「波長同通の法則」と言う。「波長」とは、「あの人とは波長があう」の波長である。この言葉の意味は、要は「類は友を呼ぶ」ということである。「波長」が「同」じ者同士は「通」じ合う、というところだろうか。自分がある思いを抱いていると、同じような思いを持っている人や、出来事を引き寄せる、そのようなことが法則としてある、ということである。ならば移り変わる思いの中でも、できるだけ愛の思いを持ち続けたい、などと思ってしまう。


心の中の「思い」というものは目には見えない。でも「思い」には「波動」というものがあるそうだ。目には見えずとも、自分が心の中で抱いた思いは、周りに向かって発信されている・・・らしい。もちろん自分には全く分からない・・・。

昨日、全く変動のない天気予報を見て驚いたが、やはり天気は安定しない。

今日は朝、晴れていた。自分は出かけるときに雨が降っていなければ、基本的に傘を持っていかない人なので(その代わり職場には置き傘を欠かさない)、夕方から雨と知っていたが、やはり持たずに出かけた。午前10時ごろにはもう曇り。そして仕事を終えて夜、やはり雨。気温ももちろんだが、湿度が高い。ジトッとした熱気の中、家に帰る。

天気以上に安定しないのが心の中である。晴れ模様あり、雨模様あり・・・。ここ一週間は曇りの日が多いかも!?とかく心の中は、時々刻々さまざまに思いが変化する。「一念三千 」という言葉がある。「三千世界」とは多くの世界という意味で、「一念三千」とは、それだけ人の心の針というのは様々な方向に向くのだということである。時には天使のような心に、そして時には悪魔のような心にもなる。そして心の針は一所を指し続けることなく、あちこち向きを変え続ける・・・。

なるほどなぁと思う。自分も「今日からはこうしよう!」と、何か決意をしたとしても、そのときは一生分の決意をしたつもりなのに、その心意気がなかなか持続できない。正直、1時間も維持できれば良い方である。外から何か新しい情報が入ってくると、それまで考えていたことなんてあっさり忘れてしまったりする。


とかく心は、周りの影響に左右されながら流されていく、風まかせに海をすすむ小舟のようである。

・・・しかしそんな風まかせで良いのだろうか!?