こんにちは!aikoです。
本日はブログにお越しくださり
ありがとうございます![]()
引き続き、高次存在との関係性を考えるの回です。
前回のブログはこちら![]()
さて、前回のブログ冒頭に書いたこれ
>自分にできない事が出来るなんて
>そんな存在は凄いと思うじゃないですか![]()
>だったら、出来る人にやってもらおう
>分かる存在ににお任せした方が確実でしょう!
>となるのは致し方ない部分もあったのでは…。笑
今回はここについて
自分の想いを書いてみようと思います。
まず、今の私のスタンスとしては
この世界に存在する生命体の価値は
全て等しいと考えております。
これ、私個人の考えなのでね、そこはご了承くださいね。
異論は認めますし、細かいこと言うと矛盾も出て来ますし。
でも、以前の私はそうでなはくて
人間ができない領域を扱える
高次元の存在は私よりも優れていて偉いのだ。
私にできないことが出来る存在は凄いのだ。
と思っていたんです。
まあ、それはそうなんだと思うんです。
自分にできないことができる相手に対しては
シンプルに尊敬しますしね。
しかしながらです。
私たち人間にしかできないこと
絶対的に高次存在が手を出せないことがあるのだ。
だから、何ができるのかは
立場と役割の違いだけであって
どちらが凄いということではない。
高次の存在だけが素晴らしいのではなく
私たち人間だって素晴らしい存在なのだ。
と最近は思うようになりました。
そう思うようになった理由は色々なのですが…
そうでなければ辻褄が合わないんだよなあ~
みたいな体験をいくつかしたんですよね。
今日は、せっかくなのでその体験の中で
印象が強かったエピソードを紹介させてください。
ある日、瞑想をしていた時のお話です。
気が付くと私は暗い空間にいました。
暗いけど全体が光っている
不思議な空間だったのですが
そこには「私」しかいませんでした。
「私」だけが存在している世界なので
そこから何も発展することはなくて
その世界で私は退屈していました。
本当につまらない世界だったんです。
そして、とても孤独でした。
その世界に飽きてしまった私は
「私以外の存在はいないのだろうか」と思い
自分を伸ばして空間を探って行きました。
幸い(?)身体のない意識体だけだったので
自由自在に自分の大きさや形を変える事ができました。
それなのに。
自分を伸ばして伸ばしても
そこにいるのは「私」でした。
どこまで行っても私しかいないのだ。
それに気づいた私は、その事実に絶望しました。
そして絶望と共に物凄い寂しさが襲って来ました。
身体の細胞全てから
虚無と寂しさが流れ出て行くような感覚で、
でもいくら流れ出ても
その寂しさは一向に減る事はありませんでした。
あまりにも寂しくて耐え切れずに
そこで瞑想をストップしてしまったんですけども
瞑想を終えて冷静になってみたら
今のは、宇宙のはじまりに似ているかも…?と。
スピの世界ではよく言われている
この宇宙が出来たのは
大元の存在が分離を体験したかったから…
という説にどことなく似ている気がしたんですよね。
全然違うかもしれませんが…!
とまあ、その真偽は一旦置いておいたとしても
「自分しかいない世界」の退屈なことといったら!!
そこには自分しかいない訳ですから
何かが発展することもなければ
後退することすらもないんですよ。
ただひたすら、たゆたっているだけ…みたいな?
あまりに退屈すぎて
今でも想像するだけでゾッとするんですけども(笑)
こんな何の変化もない世界にいたら
そりゃ~飽き飽きするよなあ!と。
そして、自分以外を求めたのに
どれだけ行っても自分しかいなかったら
ガーン
となるでしょうし。
そして、何よりも
世界に自分しかいない虚無感がもの凄かったので
分離したくなるのも仕方ないかもなあ…
とか思ったりしました。
という、瞑想からの妄想でしたけども…
もしも、私の感じたことが
宇宙のはじまりの仕組みのどこかに
かすっていると仮定したら。
宇宙が分離してこの世界に生まれて来た私たちは
宇宙の大元にいる"彼”から
明確な意図をもって生み出された訳で。
全てを持っていて、全てを知っている彼でさえも
出来なかったことがあって
その出来なかったことが出来るのが私たちなんですよね。
そして、彼になくて私たちにあるもの。
それはきっと『希望』なのだと。
あの虚無と絶望と孤独しかない世界から
彼が自分では生み出せなかった希望を託された私たちは
それだけで大分尊い存在だと感じました。
あとね、どうもブログの内容がまとまらなかったので
何か書くべきことある~?と
ガイドに質問を投げてみたんですが。
人は矛盾している生き物なのだ。
それを持っているからこそ
色々な周波数をその身で体現することができる。
万物を愛する心を持つ一方で
家族を疎ましく思ったりもする。
(これ、めっちゃ身に覚えあるなあ!笑)
だがそれでいい。
それが人というものだ。
その矛盾さを愛すんだよ。
みたいな事が返ってきました。
たしかに、矛盾さを持って生きている私たちは
同じ個体が善にも悪にもなり得ます。
素晴らしい言葉を発した次の瞬間に
呪いの言葉を発する事だってできる。
それはとても危ういことでもあるけど
とっても貴重なことなのかもしれない。
その、同じ個体の中に幅広い要素があって
その混沌とした生命体だからこそ
何らかの希望を生むのかもしれない、と思いました。
あと、その矛盾を持って生きられる生命って
案外この宇宙に少ないのではないかなぁ?
ある程度次元が上がると
持っていられない特質なのかも?とかね。
矛盾を抱えたまま
人がどのように進化していくのか?
そこが割と重要ポイントな気がしてなりません。
これまでは、二元性の世界でしたから
善悪・裏表がはっきりしていたけど。
どちらもあるのが人間であって
それを持ち合わせながら
マージしていく世界になるのかもですね。
だって、大元から分離して
ただそのまま統合したところで
またあのつまらない世界に戻るだけですから!笑
せっかく戻ったのに
「つまらんな~」と再分離されたら
たまったもんじゃないですしね~![]()
やり方は絶賛模索中ではありますが
大元の彼にも思いつかなかった何かを
あの世界をおもしろくさせるエッセンスを
持って帰りたいな~と思う今日この頃です![]()
という事で。
私たち人間にしかできない事がきっとあると
私が思っている理由を書いてみましたが
実は想定と全然違うところに着地してしまいまして![]()
書いていたら「え?そこ??」という感じになってしまい
正直全然まとまっていないので
うーんと思ったんですが
せっかくだし書き直すのも何なので
このままアップする事にしました。笑
抽象的で分かりにくい内容で恐縮ですが
そんな考えもあるのね~くらいに
お読みいただけますと幸いです![]()
それでは、本日はお付き合いくださり
ありがとうございました![]()


