「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。それと同じように、
満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。」
満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。」
なぜか胸にずきゅんと響いた。
なぜかって!?
満足した豚と自分を重ね合わせてしまったのだ。
本質的に何かを感じたわけではない。
ただただ、豚に反応しただけだ。
そんな出来事を友達に共有した。
満足した豚と、自分を重ね合わせた出来事を。
そしたら、友達はいったのです。
いやいやマリは好奇心旺盛な豚だよ!
と。
豚は否定してくれなかったショックは束の間、
好奇心旺盛な豚について考えた。
『僕にはマックポークかトンテキになる未来しかないのに、君はカンヌで南フランスに行くこともできるんだろう?』
悪く言えば不満足な豚、
よくいえば好奇心旺盛な豚。
それがわたしなのだ。
さて、
「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。それと同じように、
満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。」
満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。」
この言葉を残して死んだJSミル。
本質的な意味は「感受能力の低いものは、それを十分満足させる機会にもっとも恵まれているが、豊かな天分をもつ者は、いつも、自分の求めうる幸福が、この世では不完全なものでしかないと感じるであろうことはいうまでもない。」
ということらしい。
だとすると、
JSミルは不満足な豚についてはどう考えるのか、わたしは聞きたい。
褒めてくれるかな。