大阪奥河内 金剛寺 ②奥河内の古寺を巡る 楼門は格別の素晴らしさ300年ぶりの大改修

 

 

山門(楼門)の前で暫く立ち止って見とれるくらいに素晴らしい雰囲気を感じさせてくれる山門です。堂宇も金堂他、素晴らしいものが多数ありますが、やはり重文の楼門には及ばない。

この寺院には国宝3点の他、重文も楼門他、多数を有する名寺です。庭園も含めてなかなか素通りさせてもらえない程度に素晴らしい見物が多数ある寺院です。

 

楼門の創建は不詳だが、建築様式から鎌倉時代後期の建造物と推定されている。建築部材に慶長10年(1605)修理の銘文が残されている(重要文化財)。

 

楼門前風景

別名、女人高野と呼ばれる大規模な寺院でした。金剛寺と言う寺院名は全国的に多数あります。

 

楼門前の天野川

区別するためには山号を付して「天野山金剛寺」と言うとここしかありません。新西国三十三ヵ所霊場の第7番札所として参拝しています。

 

絵図からかつての大寺院がうかがえる。奈良時代に聖武天皇の勅願により行基が開いたとされる。弘法大師(空海)も修行をしたとされている。

 

平安時代末期に高野山の僧・阿観(あかん)が金堂・御影堂などを建立し、再興した。南北朝時代には南朝方の勅願寺とされ、後村上天皇の行在所(あんざいしょ)ともなった。また、北朝光厳光明崇光天皇の行在所とされた時期もあった。その後、戦火にも遭うことがなく、貴重な文化財が数多く残されている。

 

南大門近くの水かけ三尊仏

元禄時代の修理から300年間、大規模な修理は行われていません。永年の風雨に耐えた建物は沈下や歪みが生じ、この度、解体修理をされます。

 

天野山金剛寺 平成大修理中

文化庁並びに河内長野市の補助を受けまして平成21年度より約9年間、総額約16億5千万円の時間と費用が必要になります。

 

金堂に安置のご本尊の大日如来坐像、脇侍の降三世明王坐像(ごうざんぜみょうおうざぞう)不動明王坐像、(すべて重要文化財)の三躯(さんたい)の仏像も修理される。

 

納経所、拝観料

 

食堂(天野殿) 

創建は鎌倉時代。後村上天皇が正平9年(1354)-同14年(1359)まで正殿として執務。

治承元年(1171)建立。慶長年間に大修理で改造された。

 

後ろは改修中の金堂覆い
本尊は木造大日如来坐像。脇侍を木造降三世明王坐像・木造不動明王坐像。(3体とも重要文化財)

 

 

境内からの眺めると楼門も趣が変わる。

 

次週は 大阪奥河内 金剛寺 ③奥河内の古寺を巡る 日本最古級の多宝塔 弘法大師も修行 です