兵庫県太子町 播州斑鳩寺 ① 斑鳩寺の始まり 聖徳太子が建立1400年 新西国32番札所

 

斑鳩寺は、推古天皇十四年(606年)聖徳太子が天皇のために勝鬘経を講讃すると、天皇は大いに喜ばれ播磨国の水田百町を太子に賜った。太子は大和国斑鳩宮よりこの地に足を運ばれ、斑鳩荘と名づけられて伽藍を営まれた。それがこの斑鳩寺。

聖徳太子が建てから1400年の歴史をもつ寺院。
推古天皇十四年(六〇六)秋七月、聖徳太子は推古天皇のため、豊浦宮で勝鬘經のお話をされました。三日かかったといわれます。その夜、蓮華の花がその地に降りしいたと伝えられます。

 

 

かつては大寺院を思わせる大きな仁王門
この年また太子は法華経のお話も岡本宮でされました。推古天皇は、たいへん慶ばれ、播磨国揖保の郡に於いて、水田百町を太子にさし上げました。

 

 

聖徳太子はこの地を「鵤莊」(いかるがのしょう)と名付けられ、一つの伽藍を建てられました。

 

 

これが播州斑鳩寺の始まりです。往古には、七堂伽藍、数十の坊院がいらかを並べ、真に華麗を極めていたが、天文十年(一五四一)尼子政久氏の播磨侵入後の混乱の中惜しくも堂塔尽く焼失をしてしまいます。

その後再建され天台宗となる。

 

 

斑鳩寺の仁王門を入ると正面に講堂、左側に聖徳殿、右側に三重塔がある。

 



講堂、手前に聖徳太子銅像

講堂の御本尊は釈迦如来、薬師如来、如意輪観音の丈六坐像(重要文化財)で止利仏師一刀三礼の作と伝えられている。これらは秘仏で、毎年二月二十二~二十三日に御開帳される。

 

 

境内中央の香台
 

 

聖徳殿

聖徳殿の御本尊は「植髪の太子」といって聖徳太子自作の像に自らの髪を切って植えられたものであり、一般に「御孝養の御姿」という。

 

 

聖徳太子の愛馬「黒駒」。

聖徳太子を乗せて全国を駆け巡ったと伝えられる馬です。

 

 

聖徳太子 の生誕地奈良県明日香村 橘寺 と、墓所の大阪府太子町 叡福寺 を結んだライン延長上に、この兵庫県太子町 の斑鳩寺がなぜか位置する。
 

 

次週は 兵庫県太子町 播州斑鳩寺 ② 聖徳殿は法隆寺の夢殿に似せた八角 です