兵庫県赤穂 花岳寺 ① 語り継がれる歴史ロマン忠臣蔵 新西国31番


赤穂の花岳寺といえば、東京の芝高輪の泉岳寺とともに、赤穂浪士で有名な寺です。徳川三代将軍家光公の頃、浅野長直公が常陸笠間から、赤穂へ所替えになったとき、浅野家の菩提所として建立されました。


浅野家断絶後も歴代藩主の菩提所であったが、何といっても浅野家と赤穂義士ゆかりの史跡である。

 


花岳寺はまず、山門が珍しい。赤穂城の塩屋総門を明治の初めにここへ移したものである。

 


境内よりの山門。この山門は元禄時代を偲ぶ数少ない建物としてよく知られている。

 


境内に入ると正面に二重屋根、扇垂木、伽藍造りの立派な本堂がある。

 

 

浅野家と大石家の家紋幕

 

 

本堂には御本尊の釈迦如来をお祀りしている。

 



本堂に入った直ぐの天井に天井絵が描かれている。

 


壁には忠臣蔵年表。賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう) 。

この絵はもともとは五月の節句の幟として描かれた虎の絵といわれており、安政元年(1854年)に赤穂の画家である法橋義信によって描かれたとされている。


迫力のある顔をしているが、見た目には虎という感じはせず、何か獰猛な架空の動物を思わせる。

 

 

 

次週は 兵庫県赤穂 花岳寺 ② 仇討ちと武士道 浪人から義士へ です