大阪摂津 川西満願寺⑤ 開祖勝道上人 多田源氏ゆかりの地 新西国13番

 

満願寺は、聖武天皇が神亀年間(724-729年)に出された諸国に一寺の満願寺を建立せよとの勅願により、勝道上人が攝津国に建立した満願寺であるとされる。

金堂の「開眼阿弥陀如来」は、勝道上人の一刀三礼(一度刻んでは三回礼拝すること)の作と伝えられている。「魂を導く道を求め」神秀山 満願寺を開創された勝道上人の座像は毘沙門天堂にお祀りしている。

満願寺金堂

勝道上人は、下野国の役人若田高藤の子として735(天平)年に生まれた。そのため、俗称若田氏という。出流山などにて修行のの地、762(天平宝字6)年に、下野薬師寺で僧となり、勝道の号を得た。765(天平神護元)年に出流山満願寺を創建した。

 

西暦752年、華やかなりし頃の奈良時代とは裏腹に疫病の流行や農作物が十分に実らず、食物が欠乏して人々が飢え苦しみ、また地震など天変地異に見舞われるなどの災難が相次いでいました。庶民は救いを求め、私度僧である聖や行者の説く仏法に群がり心酔しました。
ちょうどその頃、藤糸は下野国を見渡せる山、大剣峰で6年間の荒行を経て、日本三戒壇(戒を与え正式な僧侶となる許可所)に授戒を受けるために下野国の薬師寺に現れたのは27歳の春でした。

 

観音堂

秘仏「千手観音菩薩」を祀る観音堂。満願寺奥の院の地より、明治17年に現在地に移建。

 

千手観音を本尊とするかっては49もの子院を有する大きな寺院で、多田に拠点を構えた源満仲が帰依したことにより歴代源氏一門の祈願所となった寺であった。

 

三男の美女丸は、受戒して円覚、その後源賢と改め当山の二世開祖となった。明治維新時に円満院のみに集約された。

 

年に1度、春の彼岸に本尊の秘仏「千手観音菩薩」が拝観できます。

 

観音堂には「睨み龍」の天井画が描かれています。

 

 

大阪摂津 川西満願寺 おわり・・・

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