大阪摂津 川西満願寺③ 金ちゃんが眠る 多田源氏ゆかりの地 新西国13番

 

満願寺を訪れたのは初めてでした。源氏にゆかりのあるお寺で、その名の通り願いが叶うというありがたいお寺だとか。ここの一番の見所は、坂田金時のお墓があることでしょう。幼い頃に読んで貰った金太郎さんのお墓がありました。

金堂の右手から林の中に入り、少し登ったところに”坂田金時”の墓がありした。

 

動物とたわむれる姿が童話や童謡で有名な金太郎にはいくつも伝説が存在します。 そんな金太郎は天暦10年(956年)5月に生まれました。金太郎は足柄山で熊と相撲をとり、母に孝行する元気で優しい子供に育ちました。

 

そんな金太郎に転機が訪れたのは天延4年3月21 日(976年4月28日)。金太郎は足柄峠にさしかかった源頼光と出会いました。そこで金太郎の力量が認められ頼光の家来となりました。

 

その後、金太郎から坂田金時(きんとき)という名に改名し、源頼光と共に京にのぼり頼光四天王の一人になりました。

 

ちょうどその頃、丹波の国の大江山(現在も京都府福知山市)に住む酒呑童子(しゅてんどうじ)が都に現れては悪いことをして民衆を困らせていました。寛仁元年(1018年)3月、源頼光と四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武、藤原保昌などの強者の家臣)たちは酒呑童子を退治するために大江山に向かいました。

 

頼光と四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武、藤原保昌などの強者の家臣)たちは山伏に身をかえ神変奇特酒(眠り薬入り酒)を使って酒呑童子を退治し、最大のミッションを終えました。

 

寛弘8年12月15日(1012年1月11日)九州の賊を征伐するため築紫(つくし・現在北九州市)へ向かった坂田金時ですが道中、作州路美作(みまさか)勝田荘(現在の岡山県勝央町)にて重い熱病にかかり死去してしまいました。享年55才でした。

 

坂田金時の幼少時の姿は、鉞(まさかり、大斧)担いで熊の背に乗り、菱形の腹掛けを着けた元気な少年像として、五月人形のモデルになり、丈夫に育つ男の子のシンボルとして、今もなお日本中に親しまれています。

 

神秀山 満願寺では毎年5月5日の子供の日に、子供の「成長」と「成功成就」をお授けする金時まつりが行われています。

 

 

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