大阪摂津 東光院萩の寺③ 萩の庭に集う人々 正岡子規 俳句のメッカ

 

萩の寺では、弟子である高浜虚子、青木月斗など壮々たる俳人たちの集う句会が催され、俳句のメッカとして重要な役割を果たしてきました。

子規をはじめとした色紙、短冊、屏風に書かれた数多くの奉納句が当山に伝わっています。

そして9月の萩まつり道了祭には、「子規忌ヘチマ供養」と「萩の四季俳句会」が開催され俳句を愛する多くの人が、今も吟杖を曳いて来山する。

 

子規忌ヘチマ供養

萩まつり道了祭期間中、忌日である19日に、子規居士を偲んで献句を募り、その中の特選句を当山で植栽されたヘチマに萩の筆で印して子規句碑前にお供えします。辞世の句にちなんで子規の霊をおなぐさめする萩の寺伝統の風物詩です。

 

正岡子規 句碑 昭和9年甲戌年3月建立
硯石の形をして、子規の筆跡を正しく模刻しているらしい
「ほろほろと石に こぼれぬ萩の露 子規」
正岡子規は、明治二十八年十月日清戦争従軍記者として、郷里松山を離れ、大阪・京都・奈良に吟杖を曵きこの句を詠みました。
 
高浜虚子(きょし)の句碑  平成14年9月18日 建立
「おもひおもひに坐りこそすれ萩の縁」
「我のみの菊日和とはゆめ思はじ」

一句目は萩の寺での奉納句でオリジナルです。虚子が萩の寺に吟行で立ち寄り、美しい寺庭の萩を詠んだものです。

句目については、昭和29年(1954)11月3日に虚子が文化勲章を受章したときの句で、もっとも有名な虚子の句のひとつです。虚子がこのとき古今の師友、ホトトギス同人を思い浮かべていることは想像に難くありませんが、同時にこのとき思っていたのはほかならぬ子規であったと解釈する人も多数です。

 

青木月斗(げっと)の句碑昭和31年(1956)6月建立 うぐひす社建之

「門前すでに 丈余の萩の 盛りかな 月斗」

本名、新護。明治12年大阪生まれ。大阪道修町の天眼水本舗の主人としても有名な豪商。初め月兎、のちに月斗と号した。

 

 

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