天才では無い凡人がクズを嗤う

天才では無い凡人がクズを嗤う

書籍・ドラマ・漫画・ゲーム・実体験……。
それらを通じて学んだことを基に、現実に蔓延る『クズ』の意見を否定するブログです。

『天才では無い凡人がクズを嗤う』を閲覧頂き誠にありがとうございます。

当ブログの趣旨は『其の零 まずはご挨拶』にて記載しておりますので、そちらをご覧ください。


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2.きちんと論じることの出来ない人間の書き込みは禁ず。

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要するに……意見に噛みつきたいのであれば、最低限の日本語能力を身に着け、論理的に意見を述べよ。出来ないのなら噛みつくなクズが……。と、言うことです。

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少々――いや、かなり時期を逸した話であるが、いい加減に書くことも底を尽きつつあるので、今年に入って立て続けに騒動になっていた『不倫・浮気』というものについて語ろうと思います。

 

まず最初に、一部のバカが口にする『浮気は犯罪』という荒唐無稽な発言を訂正しておきましょう。

犯罪とは『刑罰が科せられる違法行為』を行って初めて犯罪なのであり、罰則規定の存在しない不倫・浮気は犯罪行為ではありません。不法行為ではあります犯罪では無い。

これは議論の余地のない絶対的な事実であることを認識しなければなりません。その上で話を進めて行きましょう。

 

さて、不倫や浮気が報じられると世間では謝罪を求める声が上がります。

――なんでお前らに謝る必要があるんですかね。

騒動に関与する当事者の家族や、イメージダウンによって損失を被る企業。

そんな人たちが謝罪を求めるのは道理に則った行動です。

しかし、単なる野次馬に過ぎない一介の民衆に対し、何を謝る必要があると言うんでしょう。

愚昧な大衆の中には理解出来ていない人が多いようですからはっきりと言いましょう。

不倫騒動は当事者間のみの問題であり、野次馬には口を挟む余地など最初から無いんだよ。

 

不倫とは正しくは『貞操義務違反』にあたり、民法で規制されています。

貞操義務違反は不法行為にもなりますし、離婚事由にもなります。が、それはあくまで当事者間においての話。当事者が問題視しなければそれで終わる話です。

単なる野次馬に過ぎない無関係な大衆が、あーだこーだと騒ぐことがそもそも論外なんですよ。

 

個々人の好き嫌いはもちろん自由ですし、それを口にするのは自由です。

ですが、中傷や適当な批判、営業妨害にも当たるような発言は認められていません。

この国の保障する自由は無制限でも無ければ、無責任に保障されるものでもありません。

単なる不法行為に過ぎない不倫より、何の権利も無いくせに誹謗中傷を繰り返して他人を傷つける行為の方がよっぽど卑しく浅ましい行為であることを自覚して欲しいものだ。

 

イジメを原因とする自殺。

今年に入ってからもいくつも報じられましたし、報じられない年は無いほどの深刻な問題と言えるでしょう。

これらの事件が報じられると、マスコミやネット民、一部の有識者ぶった著名人が学校や教師を叩くことに終始します。――やってることがイジメと同じだという自覚すら無く。

そして連中は決まって口にします。

「社会からイジメを失くすにはどうしたら良いのか」と。

 

バカか、お前らは。いや、断言しよう

バカだお前らは。

そんな思考だからイジメ問題は解決の方向にすら向かわない。

 

イジメを失くそうなんていう荒唐無稽な考えはさっさと捨てろ。

寧ろ、イジメが全く起こらない子どもの集団は健全に成長していないとさえ言える。

――何故か、理由は簡単だ。

人間に最も近しい動物の一種たる猿の群れを見るといい。或いは犬、オオカミの群れを見るといい。群れで生活を営む動物は、『力による上下関係』を築くのが当たり前なんだよ。

子どもたちが『集団生活を営む』ということを学校で学んでいる以上、その中で力による上下関係の構築は起こって当然のこと。それが健全な成長と言うものだ。

 

このような発言をすると、短絡的なバカはすぐに『イジメを肯定するなんて社会の敵だ』などと食って掛かってくる。――実に愚かで救いがたい連中だ。

『イジメの発生を容認すること』『イジメを放置すること』は全く別。

この違いが分からない手合いが実に多い。

 

イジメが何故問題なのか。

極めて簡単に言えば、犯罪行為に当たるからだ。

暴行や犯罪教唆、恐喝……etc.

個々人で誰かを嫌うことは問題にならず、イジメが問題になるのはただ一点。『犯罪行為に当たるか否か』の違いだ。

故に、親や教育者たちは集団生活を営む上で遵法意識を持たせる為にイジメを止める責務を有している。

 

そう、『イジメが起こらないようにする』なんて考えは論外で、『当然に起きるイジメを止め、人間社会のルールを教える』のが有るべき姿なのだ。

こんなことは少しでも知恵があれば、誰でも分かることだと言うのに、教育評論家を名乗る有識者面した人間すら気づけない。

 

子どもはまだ人間では無く、動物なのだ。

人間社会のルールが体に染みついておらず、本能が理性に打ち勝つことも珍しくない。

そんな当たり前のことから目を背けるから、教育者たちから躾ける力を奪い取っていく。イジメを止める力を奪っていく。その癖、責任だけは教育者に押し付ける。

――貴様らは他人のイジメを語る前に、自分のやっているイジメを止めるべきなんだ。

 

 

日本の選挙は投票率が低い。

少なくともわたしが物心ついた頃には言われていましたから、少なくともかれこれ30年近く言われ続けていることでは無いでしょうか。

その間、選挙によっては一時的に投票率が高まることもありましたが、総合的に見ると投票率が上がったとは言い難い状況です。

選挙が近くなれば決まって『選挙に行こう』という呼びかけCMが放送されるようになる有様です。

 

 

ところで、何故投票率が低いのが問題なのでしょうか。

問題があるからこそ、政府もメディアも投票率の低さを問題視している筈です。

ですが『何が問題なのか』を取り上げることは殆どありません。

 

――というか、本当に問題なのでしょうか。

 

この国は民主主義国家です。

国民が主権を行使する場が選挙なのですから、投票率が高い方がより民意を反映できる。

それは間違いないでしょう。

国民が知名度で政治家を選ぶような間抜けの集まりで無ければ……ですが。

 

民主政治は衆愚政治とも呼ばれる諸刃の剣です。

民衆が愚かであれば、愚かな民衆によって政治は誤った方向へと進んでいく。

それが民主主義社会。主権の行使というものです。

政治にかんして何も知らない、それどころか知ろうとすらしない。

そんな主権者と呼ぶのも憚られる人間が、その場のノリと勢いで投じる一票。

それがその後数年間に渡って、政治の方向性を決めかねないんです。

その方がよっぽど恐ろしいことでは無いですか。

 

投票率が低い。良いことじゃ無いですか。実に歓迎すべきことだ。

自分の住んでいる国が歩んでいく方向、歩幅、それらを決めることに興味も示さず、我関せずとばかりにのうのうと生きている連中の気まぐれなんて必要ない。

自分の頭で考え、目の前にぶら下がった人参では無く、その先に続いている道を見て進路を決められる人間だけが票を投じて為政者を選ぶ。――それで良いではありませんか。

 

この国において、投票率は『低く』あるべきだ。