違和感を感じて、最近特に気になっていたこと。
それは

人の反応が、すごく気になる

ということ。
特に、母、夫、
自分にとって大事な人たちの反応。



私は、10年ほど前に過食症になってから、
自分の内面とたくさん向き合ってきた。
たくさん自己対話をしてきた。
瞑想もたくさんしてきた。
宇宙の叡知を、自分の中に取り込んできた。

特にHTLに入ってからは、
自分自身を可愛がれるようになった。
生きることが楽しいと思えるようになり、
新たな夢への一歩を踏み出すこともできた。






それなのに!
未だに、人が目の前にいると
相手の反応が気になって、
窮屈さを感じてしまう💧
人の反応、評価なんて手放そう!
何度思ったことか。
でも、上手くいかない。


ふと思った。
人の反応が気にならなくなったとしたら?
私の中には、
実はどんなキャラクターが眠っているんだろう??






そんな時、私の目の前に現れたチャンス!!

HTLの仲間が、
インスタライブの配信を使って、
公開インタビューをしていたのだ。

穏やかに、でも鋭いインタビューを繰り返し、
回答者の心の奥を掘り下げていく彼女✨
インタビューというか、カウンセリング状態だ。
インタビューを受けた人は、
最初より、ずっと表情が軽やかになっていた。
その配信を見て、ワクワクした💓

次にインタビューされたい人を募集していたので
ドキドキしつつ、申し込んだ。





数日後、インスタライブ配信スタート...
彼女は、
私がなぜそんなに人の反応が気になるのか?
どういう時に、誰の反応が気になるのか?
罪悪感?自己否定がある?
時間をかけて、じっくり様々な質問で
私の内面を掘り下げてくれた。

そんな中、ついに
ズバッと芯を突いた指摘をもらったのだ💦

私:
自分自身のことは、けっこう好きだと思うのだけど。
小さい頃は母に褒めてほしい思いが強かったのに叶わなくて。
結婚後はダンナに褒めてほしかったのに叶わず、
そういう人だと諦めたんだけど...。

彼女:
それかも!
くうさんは、自分のこと好きで褒めたいし、
相手にも、同じように褒めてもらいたい。
なのに、大切で尊敬している人達は、
頼んでも褒めてくれないから、
やっぱり自分も調子に乗ってちゃダメだ…
って、苦しくなってる。

一度、くうさんの頭の中から、
人を全部出しちゃおう。
それで、例えば美味しいご飯を作れた時、
思いっきり自分のために自分を褒めてあげたら?
私は、くうさんが拍手喝采を浴びているイメージがわくよ照れ

うわ~~~ラブ✨それいい!拍手喝采いい!
と、一瞬で嬉しくてたまらなくなった。

そうだ。
私は私のこと、認めてはいたけど、
認める位じゃ足りなかったんだ。
ソース(ハイアーセルフなど高い視点の自分)のように、
私は私自身を
無条件に、
拍手喝采!褒めて、愛したかったんだおねがい
でも、小さい頃から母の反応を見てきて、
それは良くないことという思い込みを持ってしまった。

なーーーんだニヤリ
ただ、自分自身に拍手喝采していたかっただけ!
夫婦関係とか、親子関係とかの問題じゃなかったかも。
単純でアホ過ぎる自分に、ゲラゲラ笑えた!笑い泣き

彼女に言われた。
罪悪感とか、怖れとか、みんなマボロシ~☝️
だったねウインク

これからも、怖いマボロシも見るだろうけど、
その都度、思い出したい。

そして何度でも、
思う存分、
頭の中で、自分自身を褒めまくろう💓
そう全力で許可した。







...そしたらなんと、もう1つ、
すっかり忘れていた、
大切なことを思い出した✨

今は人見知りで、人付き合いが得意ではない私だけど、
幼い頃、単純に周りの人間が全員大好きだった💕
人見知りなく、
遠くからでも近所のおばちゃんを見つけると、
嬉しくて大声で呼び掛けるような子だった。
まさに、人々に無条件で拍手喝采をしているような子だった。

でも幼稚園に入った頃から、
母のしつけが厳しくなり、
集団生活を経験する中で、
気がつけば、
私自身が誰よりも、
比較やジャッジをする人間になっていた💧


私は本当は、幼い頃のように、
純粋に人が好きで、人にも拍手喝采をしていたいんだ✨
それでいいんだって思ったら、
また嬉しくて、ニヤニヤが止まらなくなった照れ






私は、比較競争のある時代に生まれて、
それを経験しまくった上で、
それでも、無条件に自分と誰かに拍手喝采をする👏
生まれてきた目的の1つを、発見したような爽快感だ✨

あーーーほんと、単純だな私って。
単純な私に、拍手喝采👏