PLAY LIST♯223 | EAT THE MUSIC.

EAT THE MUSIC.

とにかくそれが音楽と思しきモノなら
何でも聴いちゃう節操なき超雑食系男子が
日々どのような音楽を「喰らって」生きてるかの
しょうもない雑記です。
共に喰い散らかして頂けたら幸いです。

唐突に再開。



安藤裕子"Middle Tempo Magic"

仮にこのようなクソブログさえ楽しみに、ルーティン的に覗くのを習慣にしてくれてるような、奇特にして律儀な、それでいて極めてセンスの宜しかろう方たちと言うのが居るとするならば、前回の更新から実に半年ぶりに更新、と言うのも失礼だったりするんでしょうかね。わり。

かと言って、ブログを中心に生活してる訳でもない訳だから、謝るのもなんか言い訳したりすんのも違うって言うか、寧ろおこがましい気がするしなぁ。
だいたい「陳謝」と書いて「屈辱」と読むオレなんでね。

いや、仕事がリア充過ぎて、としか言いようもないし、全盛期の浜崎あゆみか或いは、岡崎京子作品からの引用よろしく、あんなにハードワークをこなしながらも家一軒買えなかったピンクレディーか?と言うぐらいの忙しさ、
それに付随してあれこれ悩んだり、ドス黒い感情を渦巻かせながら憎悪と疲労と倦怠感と虚しさと、反してもっとポジティブな興奮とやりがいと愛しさと切なさと心苦しさと部屋とYシャツと私と友情・努力・勝利、目的・攻略・達成。と。
随分小刻みな精神的アップダウンを繰り返し、まるで躁鬱。

機嫌も日々違って、やるコト成すコト何もかもどうにも楽しくて仕方がなく、誰に対してもエセ親切を貫ける日もあれば、何もかも上手く行かず、世界中の誰しもがバカに見えて絶え間ない舌打ちと不平不満、罵詈雑言を世間にお見舞い、触れる者みな傷つけ、傷つけてるコトにも気づかない日もあったり。

機嫌の振り幅による物なのか、同僚には双子だと思われてるっぽい。
いやいや双子じゃねえし。双子ならとっくにマナカナ的な感じでデビューしてるし。

ホント、バカとか、目も当てられないぐらいダセぇ奴とか、たとえば上司に媚びへつらう同僚のそのセンスのないへつらい方とか、単純に身なりがダサい奴とか、そうゆう輩を見てるとオレ視界がニコニコ動画みたいな状態になっちゃって、
「バカバカバカバーカwwwww」
「コイツのファッションセンス救いようねえなぁorz」
「あからさまな世辞にマジレスとかwwwwwwwwwwwww」
「センスゼロベースww」
「オワコン(´Д` )」
「ゴマスリ乙」
「まぢ氏ねばいry」
みたいな形になるんですよね。

だもんで、職場内でも多少口が悪いなぁぐらいの評価は頂いてると思うんだけど、そんなレベルじゃないんだよね。

オトナになって多少感情のコントロールは上手くなったつもりなんですけど、管理下外の体からダダ漏れてる部分の、自分の本体とは別の所にある、つまりガスが抜けるみたいに醸されてる部分での他人に対する印象までは管理出来ないからね。
他人を傷つけるにしても、意識的に傷つけたり嫌わせたりするのはコントロール下にある、と言うかそれ以前に望んでやってたりするしね。
でも知らない間に人を傷つけてる所まではコントロール出来る訳ないし、ある境界線からはそんなのそっちの問題じゃね?寧ろお前の蚤レベルなメンタルこそ問題じゃね?とも思うしね。

で、その分大好きな友人は殊更大事にしてるつもりだけどね。

とまあ、ざっくり己の残念かつグロテスクな部分をこう書き連ねてみた訳ですが、仕事に置ける実作業でのリアルな肉体的疲労以上に、そこからバックされる精神的な疲労にやられた半年だったぜ、と言う話。
ここまで書きゃ、ブログ書いてる場合じゃねえのはご理解頂ける所じゃないでしょう。
いや、こうやって容易く理解を求めたり、勝手に他人に期待したり、そんなオレ自身の押し付けがましさ、独りよがりな所こそが全ての元凶の根源なのはわかってるんですがね。それをこうしてネットの世界にも図々しく持ち込む自分にウンザリ。

先んじて書いたように楽しいコトもあった半年なんだけど、リバウンドみたいにアップとダウンの落差がデカいほど衝撃もひとしおなのね。
感情も忙しくなるし、喜んだり怒ったり泣き喚いたり。アタフタしたり、緊張と弛緩を繰り返したり。貧乏ゆすりが止まらなかったり。舌打ちも鳴り止みません。

オレ乙、って話よ。

で、こんな偏屈かつ独りよがりな言い訳と与太話を持って、いつのまにか31人に増えてた読者様への陳謝に変えさせて頂きます。ペコリー。

ああ、屈辱。

で、半年間、そんな風に無益な自己分析を繰り返した結果、喜怒哀楽の中では取り分け「怒」の部分が人一倍充実してるオレを致し方なくなし崩し的に受容すると共に、更に取り分け「怒」カテゴリーの中でも「嫉妬」と言う小分類が発達してるコトを今更ながら改めて理解。
傷つくし、自分が誰かよりも軽んじられてるような気分になると泣きたくもなる。

で、今最もオレの中で如何ともし難いのが職場で一番仲良くしてくれてる男子。
好きな所もたくさんあるし、尊敬もしてる。同じような夢もあるし、モチベーションの持ち方も似てる。音楽やファッションとか所謂趣味の部分での共通点が無い分、仕事で繋がれる友人が出来たコトはとても喜ばしいコトだった、ハズなんだけども、みんなが同じタイミングで調子良かったりみんなが同じタイミングで悩んだり、なんて無いのが常。
彼が上司に褒められてるのを見るとどうしても素直に喜べない。で、そんな自分が凄く嫌。
俯瞰で見て、けしてオレも評価が低い存在ではないとは思うんですが、そんなんじゃ満たされない。羨ましくて仕方ないし、アイツがもらえる者をオレがもらえないのは何故?
そうやって意地汚く浅ましい自分にどうしようもなく惨めな気分にもなります。
近い存在だからこそ尚更そう感じる場面も多い。
そして反対にオレに対して敬意や羨望なんて微塵も感じてなさそうな相手にもまた腹が立つ。
こんなコトを当人にぶっちゃけても意味ないし、仕事を媒介にした付き合いなら尚更仕事ぶりで追い抜いてやるぜ、と言うのが建設的なアティチュードだと思う。
でもそこまでドライな、単純に「ただの同僚」と捨て置けないのがまた難しい所。何故ならやっぱり「友達」でもあるから。

いっそ遠い場所に居てくれれば。離れた場所で励まし合うぐらいの距離感になれれば楽なのかも、と思いつつ、近くにいるから助けてもらえた場面がたくはんあったコトも忘れた訳じゃない。

ホントに近くて、大好きで大切な、「隣人」だからこその難しさ。




"隣人に光が差す時"
(ALBUM"Middle Tempo Magic"収録)

せめて、オレに光が差した暁には「隣人」に劣等感を感じさせない配慮をしたい。

もしかしたらそれが相手に失礼なコトであったとしても、今オレが感じてる寂しさを味わって欲しくないからわ、

そして、数字しか見てくれない上司なんかじゃなく、一番近くに居て期待と信頼をしてくれる隣人に特別に感じてもらえる人間になろう。

そう思える今が、この半年で得た最大の財産。