誰でもこうしたいと思い、そのために努力することは当然であるし、それを意欲的にできるなら、大抵のことは実現するだろう。そして、それは素晴らしいことだ。いわゆる夢の実現である。私のような天の邪鬼は、実現するなら夢じゃないなどとやっかむわけだが、そうなるには、絶え間ない努力と忍耐、挫折を乗り越える強さが必要だ。誰にでもできることではない。
しかし、こんな話もある。結婚したいとずっと思っている人が、もう結婚は諦めようと思った途端、結婚相手が現れた、というのである。これと似た経験をした人は案外多いのではないだろうか。昔、駄菓子屋にはくじがあった。一等をどうしても当てたいと思って、お金と勘を使うがなかなか当たらない。結局賞品を諦めてしまう。しばらくして、ここのくじは当たらないから、もうやめよう、ここの駄菓子屋も来るのよそうと思って、久々にくじを買うと一等が当たってしまう。前と比べるとそれほど欲しい賞品ではないが、大事にする。そして、また駄菓子屋に通うようになる。
世の中には、待つことが大事なことがよくある。そういうものは一生懸命努力して求めても得られない。しかし、それは努力が不必要ということではない。努力は必要なのだ。実際に手に入った時のために、努力が必要なのだ。つまり、努力は、それが自分のところにやってくる準備となるのである。
なぜ、それはもっと早くやってこないのか。それは自分の欲望というものが、それがやってくることを邪魔しているのだ。欲望は単に望むこととは違う。欲望が、それがやってくるための準備そのものを妨げているのである。最近の話題を例にすれば、平和が欲しいと思っても積極的に平和を求める人間にはやってこないだろう。その姿勢そのものが準備ができてないことを示している。
演奏家は、その曲を演奏するときは、自分の構想に従って演奏する。そうできるように準備をする。しかし、そこに、そういう構想通りの演奏をしたいという欲望があると、ミューズの神は降りてこないに違いない。
