missyのブログ

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自由に気ままに書いていきます。かなりフランクだったり、かなり堅苦しかったり。
basketball/study abroad/Japan/Canada/movie/snowboading/
reading books/NBA/sports/education/international studies/job hunting/

Amebaでブログを始めよう!
最近カナダの田舎町での生活にもすっかり慣れて、
一人暮らしを始めた。

といっても、
大学が所有してある寮みたいな感じやけど。

元々WindsorParkっていうホテルやったんやけど
それを大学が買い取ったんやね
すっごく古そうやし、
実際友達もone of oldest building in this cityって言うてたし。

まぁちょいちょい改装加えて
元々ホテルだっただけあって中はキレイやけど!

ほんで今日、
食糧買いにFood Basicsへ足を運びました!

Green pepperをとって
その横の赤いパプリカをゲットしようと思ったとき....
ふとその札に目をやると
'RED pepper'

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一週間ほど前Lanceと一緒に
PINO'Sのバーガーをゲットしに行ったときの話。

バーガーのお肉は焼いてくれて
バンズをくれるんやけど
基本的に後はセルフ。

で、ケチャップやらマスタード、パプリカを入れた。
美味しかったけどなんか思った味と違うかった。

その数日後にSubwayに行った。
いつもと違うトッピングにしたら
すっごい辛くてなんじゃこりゃ!って思った。

LanceがそれはRed Pepperのせいじゃない?といった。

あー、あれRed pepperやったんかー
ミスったー辛いの好きじゃないのにー

って思ってた。

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そして、Food Basicsにて
はっ!となった!

もしかして赤いピーマンは
Red Pepper = 辛いペッパーなんか!?!?!?!?!?!??!!?

呼び名が違うだけかと思った。

さっそく帰ってGoogle

なんとこっちでは
赤いピーマンが売っていて、
パプリカではない模様!

えぇぇえええええ
パプリカ甘いと思って入れてたのに
それが辛いから先週のバーガーやサンドウィッチやら
辛くなったんかーー!!!

っとここで初めて気付く(笑)

今もconfusedしたままで
どうやって赤いパプリカと赤いピーマンを
見分けたらいいのかわからないw

一体全体何が起こってあぁなったのか。笑

というところ、
また有力な記事を発見。

なんとこれはあの中学校のときとかに習った
遺伝の法則によるものらしい..

ピーマンと唐辛子をともに植えて育てると
ピーマンの形の辛いものや、
唐辛子の形の甘いものが出来るらしい。

そういえば
よくお母さんとお父さんがしし唐のロシアンルーレット
とか言って
食卓で盛り上がっていたな

あれはまれにしし唐に辛い遺伝子のやつが現れるから
あぁなったのか!

とか色んなことが一気にmakes senseで
なんか今日はすごい一日でした。(笑)


私は全く持って聞き上手の人間ではない

もっと正確に言うと
人の相談相手に向いてない。

弾丸で喋って喋って喋りまくって
とにかく喋る側に居たいって人間やけど
まぁ人が困ってたり相談してきてくれたときには
あーこの人こんな私にでも相談したいと思ってくれたんだなっと思って
とりあえず聞く。

話をひたすら聞いて
うん、うん、と頷く。


私、個人の経験からしてこの手のタイプの人から相談を受ける
『人の悩み事』ってのは
"どうしたらいいと思う?"という形の問いは実は少ない。

必ず"~~で~~で~~やったんやけど、おかしいと思わん?"とか
"私、間違ってると思う!?"というタイプの問い。

つまり相談している本人の中に
すでに答えがあるっていうこと。

そのとき
人は何を求めてるかって
絶対に"同調"

決して反対意見や現実的意見じゃないねん


私は申し訳ないが人で判断してしまう


人によって
本音で

"それは自分が間違ってると思うで"

と言うときと
単に

"そうやな、そうやな。それは理不尽よな、その気持ちわかるで"

って言うときに分かれてしまう。

なぜかはわからないけど
多分その人のハートの強さとか自分との関係や
その物事の大きさとかで判断してるんだと思う。


でも逆に自分が相談したときに頭ごなしに
"そんなんやめときー!絶対失敗するって!"って
言う人は信用ならんなって感じる。

本当に大切な人や応援してくれてる人は

"うーん,,それはあんまり現実的な案ではないと思うけど
ほんまにやりたいんやったら良いと思う!"

ってな形で必ず最後は応援してくれる。

失敗するよ

無理やって

って言う人は人の不幸を願ってる。

人が成功するのを妬むタイプの人間。

でも実は人間ってその感情をみんな持ってる。
誰かが成功して
富や名声を得ていく中で
"なんやねん、あいつ"って気持ちがある。

羨望と嫉妬。

だから同じフィールドにいる人間を
その先へ行かせまいと蹴落とそうと周りの人間はしてくるんだ。

でも自分はそれに引きずられてはいけないし
惑わされてもいけない。

自分が決めて信じて
努力を怠らない自信と情熱があれば
きっとその先にいける


少なくとも人より
"その先"へ行った人はみんなそうだったと思う。


だから仲良くてもね、
良い友達でもね、
否定から入る人はあなたのことを本当に思っていない気がする

きっと大丈夫だよって言ってくれる人が
一番親身なんやと思う。

人間はもっと暖かい存在。

蹴落としあっては
もう"その先"へ進める時代じゃないと私は思う。

個人としてではなく
国として私たちは"その先"へいかなければ
日本って国は今までのように
世界に名を知らしめる存在ではなくなるだろう。

特に嫌いなやつがいる。


英語評論家みたいなやつ。


別にさ、英語レベルがどうこうって

うざったいの、なんのって。


日本の英語力に危機感!


TOEFLiTPのリーディングで

早稲田の学生の平均が45、東大ですら50!

とかどうでもいい。


危機感を感じる必要もないと思う。




第一の理由。


極論、重要な場面では通訳つければいい


どこでも英語得意な人、ってかネイティブに英語ガイド作ってもらえばいい。




第二。


個人的には簡単なコミュニケーションさえとれればいい。


”簡単なコミュニケーションさえとれない

日本人、私も同じ日本人として恥ずかしい!”


とか言う人が結構いるけど、

日本訪れたネイティブも英語で喋ってくるのも

大体どうなの?って感じ。


ここ島国、日本でっせ?


郷に入っては郷に従え。


日本人はフランスに行くとき

「フランスでは一言目はフランス語じゃないと

フランス人は耳貸してくれないらしいから、

ある程度の簡単なフランス語は覚えていかないとダメだよ!」


なんて話をよく耳にする。


フランスいったらフランス語喋ろうとするんじゃん。


じゃぁ同じ姿勢で

日本に来た人は日本語喋ろうとしろよ

ちょっとぐらいって話。


もしくはちょっとは日本事情知ってから来て

ゆっくり喋らなきゃ通じないとか考えた方がいいと思う。



そんなネイティブスピーカーの

はんっやいスピードで喋ってノンネイティブに通じると思っている

ネイティブの方が考え甘いじゃないのって。



だって英語圏の人

母国語喋ってるんだから

ネイティブスピードでペラペラなの当たり前でしょ


日本語の環境で育ってきて

どうして彼らと同じ位置に立つ必要があると思っているの?



第三の理由


受験英語は無駄だと思っている、もしくは間違ってると思っている。


無駄じゃない。


間違ってるかどうかはわからないけど。


ただまぁ公立高校のカリキュラムとセンター試験が

マッチしていないのはすごく感じる


センター試験だけが

気持ち先走って発音やらリスニングやらイントーネーションの問題

増やしまくり。


それはそれでどうぞ。


じゃぁ学校のカリキュラムも変えましょう。


学生のレベルがレベルがって言うけど

その学生を育てたのは

今の社会や、大人たちです。


文部科学省、教員、大学入試センター


学生に責任なすりつけたり、

危機感とかいってプレッシャーかけたり

就職活動時に異様に英語力求めたりって

自分たちなんなの?ってなる。



第四の理由


日本には植民地の歴史がない。


敗戦後アメリカの半植民地だったとはいえ、

日本には日本の文化を維持し、

自立を求められた。


おなじアジア圏のほとんどの国は

公用語が英語、もしくは植民地の歴史を持つ。


つまりいつも比べられる学生世代の彼らは

生まれたときから、英語の環境で育ち、

もはや母国語同然なのである。



あとは中国。


中国の場合、グラマーの語順が同じなので

英語は比較的学びやすい


また中国のTOEIC, TOEFLの数字をたたき出しているのは

子供のときから

英才教育を受けることのできる

富裕層育ちのリッチな子供たちである。


ちょっと都心から離れれば

同国民にすら通じない中国語を話す人々が住んでいるのである


むろん英語に出会う機会などない。

彼らの英語力はゼロ。


その彼らももしTOEFLを受けたら

平均なんてリーディングセクション10点以下ってのも

考えられるであろう。




てなわけで英語に危機感を感じる必要はない。


ということでした。


みんなそれぞれのペースで

中学、高校の与えられた英語をきっちりとこなしていけば

それなりに英語の基礎は身に付くと思います。


中学、高校で習った英語表現、構文、単語

パーフェクトに覚えている人いますか?


それぞれの付属CDとか全部聞いたことありますか?


多分大多数の人が

当てはまらないですよねぇ


私ももちろん取りこぼしてばっかりです。



ただ私の友人は

その二つを徹底的にこなしたため

海外に一度も出たことがないにも関わらず

初めてのTOEFLiTPでは550点以上取っていました。


もちろんハーフでもありません。



骨格がしっかりしていれば

あとは肉付けしていくだけ。


英語はスポーツと同じ。


焦らずじっくりコツコツ積み重ねていくしかないのです。


危機感感じたところで

何も変わりません。


危機感与えてくる人は無視しましょう。



私にとって人生の基盤、


私という人格の形成の基盤となったもの




それは間違いなくバスケットボール




バスケは7歳のときに始めた




正確には6歳やけど7歳になるとき。




きっかけは兄がやってたから。




母が保護者の当番のときに


キティーちゃんの人形もって遊びに行ってた(笑)




ある日、監督が気を使ってか


明日から一緒にやっていいよって声をかけてくれた




(覚えてない)




バッシュを買ってTシャツを買って


バスパンも買って、バッ足も買った




(格好から入るタイプだったらしく、体育館シューズじゃ嫌って、ねだったらしい)




バッシュを一人で履けるように


蝶々結びの練習をした




これは覚えている




初めての練習は覚えていない




初めてシュート決めたのも


初めてボールに触れたのも覚えていない


残念ながら。




ただまぁ日曜日だけ練習に参加していた




アップの方法すらわからないから


前の人のまねしろって言われてわけのわからないまま真似してた。




レイアップは右のときは


右、左ってステップ踏んで


左のときは左、右って踏むんだよって教えてもらった


シュートは両手で打ってたけど案外届いてた




ドリブルの練習なんかは


7歳ながらに結構本格的に習った




小学2年生になると土曜日の練習にも参加した




片手のレイアップを上級生に教えてもらった




上級生がみんな片手だから


それが格好良くて自分のやっと習えて嬉しかったのは覚えている






こんなに事細かに


記述すると何時間でもかかってしまうので


以下省略。






ただ、私は監督に出会えて


監督に一番初めにバスケットを教えてもらえて


本当によかったと思っている。




感謝の気持ちしかない。




小学校卒業以来めっきりご無沙汰しているが、、、






監督のバスケットは


ミニバスで勝つ、ただそれだけのバスケットではない




ミニのバスケは


基本的にみんなnon-talentedだ




だから勝つのは監督の戦略次第


極論、走り込みさえすれば勝てる




でも監督はただ勝つバスケットが嫌いだった




特に市民大会で


ワンマンチームに対しても全員でディフェンスする


それがディフェンスだと




ただ至極負けず嫌いな人で


どうしてもそのチームに連敗するのが嫌で


一度、苦肉の策でボックスワンを使ったことがある






試合には勝ったものの


あれはミニバスとしてはやるべきことではない


と言っていた。






真っ向勝負が好きな人だった。






もっとロジカルにスマートに


バスケットに基づいてバスケットを教えてくれた




たとえばディフェンスの際、


ボールに近づく人に対してはディナイ、


離れていく人は無視


ただしリング下に近い位置では持たせるな


ボールマンに対しては必ずインライン




しっかりとしたガイドラインがあった。




だからこそ迷うことがなかったし、


違うプレーにでくわしてもそれにのっとってプレーすればよかった。






彼はいつも


私たちがミニで終わるのではなく


中学、高校とバスケを続けていくことを念頭において


ミニにおいての


基礎を提供してくれていた。








彼のバスケットへの精神、考え方、練習


全てが今日までの私を支えてくれている。




実際、本格的に彼から指導を受けたのは


小学4年、5年のときだ




彼の素晴らしいところは


その成長段階に応じたレベルを要求する、


導いてくれるところだ




悪いところはとことん怒る




良いところはとことん褒める




チャレンジしての失敗はいい




恐れての失敗は許されない




消極的でネガティブなプレーは許されない。








積極的かつ楽観的。




オフェンスは休憩しても


ディフェンスは絶対に休むな。




練習は120%で取り組んで初めて試合で100%の力が出せる。




練習の型にはまるな、臨機応変にプレーしろ。






たとえば3メン


基本的には最初は右の人にパスをして


真ん中にリバース、そして左の人にパスをして


左の人がレイアップを決める




ただし、これは速攻の練習であり


速攻においての一番のロジカルな考え方は


ボールをより前に持っていくこと。


より前に走っている人にボールが渡るようにすること。




だから右の人からリターンパスを受けたとき


真ん中の人は判断しなければならない。




だれが一番前を走っているか。




もし自分が一番前なら


ドリブルで持っていく。




右の人が左のウイングの人より速く走っていれば


もう一度その人にリターンパスして


その人がシュートを決める。




練習の基本的なメニューは無視。




なぜならその人が一番前を走っている。という速攻の考え方からである。




これがロジカルでスマートな


バスケットである。




だから小学3年生でも


私はバスケットの考え方が非常に柔軟だった




決して技術的には上手くなかったが


ミニバスであれほど


バスケットらしい考え方をできる子どもは


そう多くはいなかったであろう






小学5年以降、


まともに技術を教えてもらったのは高校1年の1年間だけ。




あとは基本的に各地点での私が持っていた技術の


100%を要求されただけ。




しかしミニで教わったバスケットの骨格は


どこに行っても通用するし、


あとは肉付けしていくだけでよかった




だから中学、高校と


下級生ながらスターターを勝ち取ることができた




のちのバスケットにおいては


指導者に恵まれなかった




1年おきに指導者が変わったり、


まったくバスケットの知らない指導者にも


何度も巡り合った




私はその時々に合わせて


自分のバスケット(監督のバスケット)に基づいて


その人の要求を足していくという


方法をとるしかなかった




だからこそ、どのようなタイプのチームでも


そのタイプに合わせてプレーするという


柔軟さを身につけれたのかもしれない。




小学、中学と私はかなりオフェンシブなプレーヤーだったが


高校がかなりのディフェンシブなチームだったので


そこでは私はチームとしてディフェンス力を求められた。


保守的な考え方も身につけた。




しかしオフェンスの個人レベルにおける1対1などにおいては


これも同じで、監督のバスケットに基づいてプレーした




県内1で全国ベスト8の相手のディフェンスでも


ヘルプの来ない1対1の場面なら


ドライブからレイアップを決めることができた








私のバスケットは


日本から遠く離れたカナダでも通用している。




特にカナダ人の多くのバスケットは


破滅的だ。




まったくもってロジカルではない。




皆が自分がシュートを決めることを考えている。


もしくは疲れたら全く動かない、攻めない。




かなりの自己中心的なプレーである。




だからこ日本人の私は身体的なハンディがあっても


ロジカルにプレーすることで


試合に出場し、得点することができる




バスケットにおいて最も大切なことは


タレントではなくバスケットの考え方の基盤である。




セレクション、それが一番大事なのである。




どの場面で


誰にパスをし、どちらにドライブをし、どのシュートをする




そのルールがきっちりしていれば


どんなときも迷うことはない。




あとはチームのナンバープレーや


コールを覚えるだけである。








バスケットをしているとき、


私は異常な集中力を発揮できる。




バスケットをしているとき自分が


一番強く、確固たる意思のある自分だと感じられる。




それ以外の場面では


非常に自分の意思薄弱で、


なんの取り柄もない、ちっぽけな人間だとつくづく思う




なぜなら自分のバスケットには


一つの真っ直ぐとした信念があるからである。




信念を貫き通す


一度やり始めたら最後までやり通す






バスケットは私の人格の基盤となり


人生において


いつも素晴らしい仲間を与えてくれた




バスケットをしていなければ


これほどお互いを知ることのなかったであろう


仲間が大勢いる






7歳にバスケットを初めて


以来、15年という長い月日が経ったが


私は今日もバスケットをしている。




決してプロフェッショナルになるわけではない。




なろうと思ったことは一度もない。




実際プロのプレイヤーでも


私よりバスケット歴の短い人がたくさんいる。




これだけ長い間バスケットに関わり続けているのは


またそれだけバスケットが


私に情熱と感動を与えてくれるからである。




また15年かけても


いまだに完成されない私のバスケットがあるからである。




バスケットは永遠で


どこまでも奥が深い。




きっと一生"完璧"になることはないのだろう。




だからこそおもしろい。




だからこそどこまでも追及したくなる。






バスケットは私の人生に


素晴らしい時間を提供してくれている。






そしてそう思えるのは


監督にバスケットを教わったからである。




きっと彼に教わっていなければ


道を見失うことがあっただろう。




彼はミニバスにおいての


たった数年で


先、10年の道しるべをしてくれたのである。






日本に帰国したら


まず最初に監督にお礼を言いに行きたい。








友達のツイートに
英語で書かれた
writing readingの手引き的な
ごっつい本の写真が添えられていて
ふと考えた。

彼女は帰国子女でもなく
留学前から凄くよく英語の出来る子で
(彼女の努力あって)
私同様に今は英語圏の国に留学中で
2nd languageの人を対象とした
英語クラスに在席している。

彼女は真面目だし
元々英語も出来るし、
こんなごっつい本網羅して
徹夜してプレゼンやら
ライティングやらしてて
きっとさらに凄く英語力
ついてるんやろなって思った。

英語クラスのレベルは
大学によって
本当にまちまちで
私の大学は他大学に比べて
楽勝中の楽勝だった。

(他の海外の大学と比べられるのは
私の日本での大学が卒業単位として
海外留学制度を学科全員に義務づけているため)

そう考えたら
私も英語クラスで
もっと英語力つけるべきなんじゃないかとか
こんな中学英語のような英語クラスをパスして
ウィンターセメスターから
現地生と一緒に
わかってるんかわかってないんか
いまいち掴めてない授業に
参加してて意味あるんかな?とか考えた。

でも少し考えなおしてみた

私は将来何になるのか

今、就職活動やらで
企業が口を揃えて求める能力

グローバルな思考、英語力
コミュニケーション能力

じゃあたとえばprepositionの使い分けや
adverbの正確な位置、等を
"完璧に答えよ"という上司からの指令があるか

あるわけがない

TOEIC900点?
英語検定1級?

そんなものは目安に過ぎない

TOEIC550点でも
コミュニケーションは取れる

要はどれだけアウトプットできるか

アウトプットするためには
たくさんの知識に触れ
その知識をインプットしなければならない

日本人に置き換えて考えると
わかりやすいかもしれない。

日本人は日本語が
ネイティブレベルで話すことが出来る


中卒の不良でも
日本語学習者の外国人からすれば
驚くほど流暢に正確に
日本語が喋れるであろう

しかし、いざその二人が
政治や経済、教育や環境問題について
話そう、と言ったとき
どうだろうか

(中卒の人=不良、or 中卒の人が必ずしも知識がないと言っている訳ではない。あくまでも一例)

日本語の拙い外人でも
知識は十二分にある。

ワタシ、考える。
おかしい、ウケタ原爆にっぽん
デモ、いつも原子電気パワー提案する

と仮に言ったとして
この人の日本語のレベルを
いちいちチェックする日本人が
いるだろうか?

彼は外人で母国語が日本語でないにも関わらず
日本の原発問題に関心があって
それについての意見を持ち、
なおそれを発信している。

その姿勢を否定する日本人が
どこにいるんだろうか?

この人が日本語能力検定何級か、
なんてのはどうでもいい

伝わればいいし
コミュニケーションが取れればよい

つまりはコミュニケーションてのは
発信者と受信者の両方に
コミュニケーション能力が問われるし、
仮に伝われなければ
what do you mean?
could you explain more clearly?
と正直に言えばいい

もしくはyou mean..と
意味を確認すればいい

日本人同士でも
それは頻繁に行われる行為である。

ぼそぼそ喋る人に対して
え、ごめん、なんて言った?
それってこういう意味やんな?

って聞いたことのない人が
いるだろうか。


ノンネイティブなのだから
言語能力がネイティブより
低いのは当たり前

ネイティブはそれを汲み取って
よりわかりやすい言葉を選んであげる、
より注意して話を聞いてあげれば
良いのではないだろうか


本題に戻ると
今、私は海外の留学先大学で
Anthropology
Computer Application
Understanding Society
Human geographyといった教科を
履修している

私たちノンネイティブは
授業前にテキストに目を通すことが
絶対に必要

required readingは
週に一教科20ページから50ページ

またそこでprepareした知識を持って
授業へ向かい、
さらに教授の知識を得る

ここではlistening
ということになるだろう

またそこで自らの意見を
アウトプットする

口頭の場合もあるし
ショートエッセイにまとめることもある

これらはspeaking, writingにあたる


ただ英語を学ぶ、のではなく
英語で学んでいるのである


さぁ、どっちがより
本当のコミュニケーション能力に
繋がるのだろうか?


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