『赤十字マーク』は、皆さん一度は見たことがあると思います。
『赤十字マーク』は白地に赤い十字ですが、何故そのようなデザインになったのでしょうか?
1859年6月、ソルフェリーノの戦い(第二次イタリア独立戦争の一つ)の後の戦場を、スイスの実業家「アンリ・デュナン」が見回っていました。
この戦いでは、両軍合わせて20万を超える軍隊が衝突し、4万人にも及ぶ死傷者がいましたが医療を受けている者がほとんどおらず、負傷者がただ横たわっているだけの状況に、デュナンは愕然とします。
デュナンは、救援活動をしている地元の女性たちの群れに入り、自らも救援活動に参加、1週間そこに滞在しました。敵味方分け隔てなく救済しており、なぜそのようなことをするのかと尋ねられた時、デュナンは「人類は皆兄弟だからだ」と答えたのは有名な話となっています。
1862年にはこの体験を書いた「ソルフェリーノの思い出」を出版し、ヨーロッパ各国の政治家や軍人に送りました。その後11カ国語に訳され、多くの国で読まれるようになります。
そして、ソルフェリーノの戦いから3年後の1863年、ジュネーヴで現在の赤十字社の原型となる組織「国際負傷軍人救護常置委員会」という会が作られます。
この会は、前線での医療奉仕の改善を話し合うための国際的な会で、メンバーは、医師、法律家、将軍、ジュネーヴ公共衛生委員長、そしてデュナンであり、別名「5人委員会」とも言います。
その会の提案の中に、ボランティアであることを示すための旗「白地に赤十字を記した国際的シンボルの採用(赤十字マーク)」がありました。
『赤十字マーク』は、デュナンの母国である「スイスの国旗」の配色を逆にしたものとされています。
実はこの『赤十字マーク』には寸法や色、形などの厳密な定めはありません。
「赤新月マーク」や「レッドクリスタル」など、いろいろなデザインで存在しています。
理由は、『赤十字マーク』のついている施設は「負傷者の治療などを行っている場所である」ことを示すので、基本その施設には「攻撃ができない」と定められているのですが、厳密にデザインを定めてしまうと、わずかなズレなどを理由にそこの施設が攻撃を受けてしまう恐れがあるからです。
『赤十字マーク』が使用できるのは法律(ジュネーヴ条約)で定められている組織(赤十字病院や自衛隊の衛生部隊など)のみで、定められていない医療機関(一般の病院や薬局)、救急箱などの商品、看板などには使用することはできません。『赤十字マーク』に類似したマークも使用制限があります。
「赤十字の父」と言われるデュナンは、1901年に第1回ノーベル平和賞を受賞、1910年10月30日、82歳で静かにその生涯を閉じるまで質素な生活を貫きます。死後、ほとんど手付かずだった賞金は、遺言によりスイスとノルウェーの赤十字社に寄付されました。
デュナンの誕生日、5月8日は「国際赤十字デー」となっています。
参考資料:
50の事物で知る 図説 医学の歴史(著:ギル・ポール)
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