先日、「ポイ捨て」の行為を連続して見ました。
若い男性が2人歩いてきてその一人が空き缶を何の躊躇もなく、ぽいっ!と草むらに半円を描くように投げ込みました。
おいおい、あかんやろ!と思いましたが、自分は運転中で赤信号で止まっていた最中。
何とも言えないモヤモヤ感が残ったまま、彼らの行動を見ていましたが、そのあとすぐ、反対方向から5、6人くらいの男性の団体が歩いてきて、その中の一人がスナック菓子の袋を同じ場所に、ぽいっ!当たり前かのように捨てました。
いやぁ、もう2人目となるとイライラします。しかし運転中で何ともしようがない。
こんな時、皆さんはどうしますか?
注意しても仕方がないと思うでしょうか?
いやいや、注意しないといけないだろう!と思うでしょうか?
1964年、キティという女性が街頭で殺害された事件がありました。
犯行は30分以上にわたり続いたそうですが、その時の目撃者がなんと少なくとも38人いたそうです。しかし、そんなに多くいた目撃者は誰一人警察を呼ぶ人がいなかったんだそうです。
目撃者はなぜ誰も救いの手を差し伸べなかったのか?
1968年にジョン・ダーリィとビブ・ラタネという研究者がこの事件に興味を示し、ある実験をしました。
「学生生活における問題点の討論会」と題し、実験に参加する学生(本人たちは実験と思っていない。)はそれぞれ個室に入ります。会話は相手と面と向かってするのではなく、マイクロフォンとヘッドフォンをつけ、見えない状態で行われました。
そして、会話している最中に会話の相手(録音音声)の体が急変、その状況で傍観者はどのような行動に出るか?という実験です。
学生が「1人の時」と「集団の時」では、結果が異なりました。
学生が「1人の時」は、本人が『何とかしなければいけない!』という一種の圧力を感じ、『全員』が何らかの行動を起こしました。85%の人は会話が途中でも行動を起こしたそうです。
しかし、学生が「集団の時」、その圧力が分散され、『誰かがやるだろう。』『自分が助けるよりほかの人のほうがうまく助けることができるのではないか?』という考えを持ってしまい、自分の行動を制御してしまう人が多く見られたそうで、なんと『62%』の人しか報告をしなかったそうです。
多分、自分が見た「ポイ捨て」も、ポイ捨てした人が『1人』だった時、その人は「ポイ捨て」はしなかったのではないか?と思います。(希望的観測ですが。)
人間は何かと「集団」でいることに興味や意識を持ってしまうことがあります。
SNSや団体に所属することなど、いろいろな人と出会い、共通点を見出し、関係を築こうとします。
しかし、「集団」がいつもいいとは限りません。
無理をしたり、トラブルに巻き込まれたり・・・。
「一人を恐れない」、そんな思いは今の社会でも必要だと思います。
「一人でいる」ことは、自我を大切にできるということ。とても大切なこと、そして必要な時間です。
参考資料:パブロフの犬 実験でたどる心理学の歴史(著:アダム・ハート=デイヴィス)
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