伝統の鎮物と投資勧誘は無縁である。
甘言を見抜くための五つの視点。
福岡で元占星術師(占い師)が逮捕された。
「水晶+利回り」の甘言は詐欺のサインである
「水晶を埋めれば不動産価値が上がる」などと吹聴し、
七十人から二十億円を集めたという。
詐欺師は容疑を否認しているが、預かり書を発行し、
一部に利息を支払って信用を装った。
典型的な投資詐欺である。
事件の報道を見て私は苦笑した。
地鎮祭に水晶を埋める風習は確かに存在する。
だがそれは投資や利回りとは無関係である。
土地神に筋を通す神聖な儀式を金儲けの道具に変えた。
ここに現代社会の歪みが凝縮している。
考えてみてほしい。
霊性は人の欲望を鎮めるための知恵。
しかし現代では、欲望を刺激するための方法にされている。
「運が上がる」「財が築ける」などという言葉は甘いワナである。
信じたい心を利用され人は財布を開く。
それは信仰ではなく、ただの投資ゲームである。
この事件を笑い話にして終わらせてはいけない。
なぜ人は騙されるのか。
伝統と偽物はどこで分かれるのか。
なぜ占い師が投資話に関わるのか。
霊性の原則はどこにあるのか。
以下では、この事件を糸口に五つの視点から掘り下げる。
事件の手口、人間の心理、伝統との違い、占い師の動機、霊性の原則。
そこから導かれる結論は一つである。
批判的に見抜く力と冷静に距離を取る勇気こそが、現代人の護りになる。
事件の手口
詐欺の手口は単純である。
だが単純であるほど、効き目は強い。
古来から人を惑わす道具は「信頼」「権威」「欲望」の3つ。
今回もその例に漏れない。
まずは信頼の演出である。
舞台は幼稚園であった。
保護者同士という関係は、もっとも疑いを抱きにくい。
子どもの成長を共に見守る仲間を、
だれが「詐欺師」だと想像するだろうか。
「彼女なら大丈夫」「裏切らない」という思い込みは、
罠として完璧であった。
次に、豪華な暮らしを見せびらかした。
ブランドバッグ、外車、海外旅行……。
「成功者の顔」を惜しげもなく提示した。
人は金持ちの芝居に弱い。
豪遊を目にすれば言葉より先に信じてしまう。
札束は説得よりも雄弁である。
さらに、偽りの権威をまとった。
「一流企業にも風水部門がある」と語り、
占星術を統計学のように装った。
学問と魔法のあいだに線を引けない人は多い。
白衣を着た医者の言葉に逆らえない心理と同じである。
「専門家らしく見える者」の言葉は、素人にとって絶対であった。
小さな利息を返す手口も忘れてはならない。
「200万円を預ければ5〜10%を返す」と言い、実際に支払った。
一度金が戻れば人は安心する。
安心は欲望を増幅させ、さらに大きな金を差し出す。
まさに合法に見える違法行為である。
そして最後に、限定性である。
「今しかない」「特別枠だ」と煽った。
人は「失う恐怖」に耐えられない。
欲望よりも、逃す恐怖の方が強い。
その心理を突かれ、人は財布を投げ出す。
こうして、事件の舞台は整った。
信頼、豪華さ、権威、小さな成功、限定性。
詐欺師の五拍子は、美しいリズムを奏でていた。
その音に合わせ、七十人が踊らされた。
人が騙される心理
人はなぜ騙されるのか。
それは「欲望」と「思い込み」が結託するからである。
詐欺師はその結託点を知り尽くしている。
第1に、人間関係バイアスである。
親しい相手だから大丈夫という錯覚が働く。
「子どもの友だちの母親だ」「同じ町内会だ」
この一言で、人は疑う力を捨てる。
詐欺師はそこを突く。
第2に、同調圧力である。
「みんなやっている」と聞けば、やらなければ損をする気分になる。
人は孤立を恐れる。
集団から外れる恐怖は、合理的判断を奪う。
詐欺師は「多数派」という衣をまとい、疑いを封じる。
第3に、小さな成功体験である。
最初に利息が戻る。
その瞬間、脳は「本物だ」とラベルを貼る。
詐欺師は「証拠」をちらつかせ、信頼を強化する。
これは投資詐欺の常套手段である。
第4に、願望投影である。
「運気を上げたい」「財を築きたい」
そう願う人ほど、甘い言葉に弱い。
願望はレンズとなり現実を歪める。
見たいものしか見なくなる。
詐欺師はその視界に、幻影を差し込む。
心理学で言えば、確証バイアス、正常性バイアス、集団同調バイアス。
教科書に並ぶ言葉である。
しかし教科書を読んでも人は肝心の現場で気づけないものだ。
詐欺は「教科書的」であるからこそ、現実で破壊力を持つ。
詐欺の現場を想像してみるといい。
「彼女に裏切られるはずがない」
「友人も出資している」
「一度利息が戻ってきた」
「私もそろそろ運をつかみたい」
そう自分に言い聞かせながら、判子を押す姿である。
騙される人を愚かだと笑うのは簡単である。
だが、笑っているあなたも同じ心理構造を抱えている。
人はだれでも「信じたい」という欲望を持っている。
その欲望がある限り詐欺師の口上は決して消えない。
伝統と偽スピリチュアルの違い
事件を考える上で、まず押さえるべきは「伝統」と「偽物」の境界である。
地鎮祭は古代から続く建築儀礼である。
土地神に工事の安全と家の安泰を祈る。
その中心に「鎮物(しずめもの)」の埋納がある。
鎮物は七種一式とされる。
鏡、剣、勾玉、矛、盾、小刀、水玉。
地域によっては水晶玉を水玉に代える。
いずれも神への供物であり、利回りとは無関係である。
鎮物は埋めたら掘り返さない。
永久に土地と共に鎮まり、家を守る。
鎮物は投資商品ではない。
伝統を知らぬ者は、こうした行為を誤解する。
「水晶を埋めると財運が上がる」と言い出す。
霊性を商売に転用する時点で、すでに逸脱している。
鎮物は祈りであって、投資ではない。
実際、無作法な埋納で家運が傾いた例は少なくない。
地鎮祭を省略し、素人が勝手に石を埋めた。
その後、病が続き、事業が倒れ、やむなく撤去した。
撤去した途端、乱れが収まったという事例もある。
伝統を軽んじると、霊性は逆に牙をむく。
では、なぜ水晶が誤用されるのか。
背景には「四神五行」の思想がある。
東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武。
四隅に水晶を置き、中央に黄龍や麒麟を置けば「五神守護」となる。
これは中国の都市設計や墓制に用いられた。
今では、風水とパワーストーン文化が結合し住宅に応用された。
結果、「四隅+中央に水晶5個」という現代的習俗が広まった。
しかし、それは伝統の模倣にすぎない。
本来の地鎮祭とは異なる。
神職を通さぬ埋納は、土地神への無礼である。
無礼の上に「不動産価値が上がる」という嘘を重ねたのが、今回の事件である。
伝統は祈りの積み重ねである。
偽スピリチュアルは欲望の切り売りである。
両者の違いは明白である。
なぜ占い師が投資に関わるのか
占い師が投資に関わる理由は単純である。
金になるからである。
壺や印鑑を売っても数十万円。
そこには限界がある。
だが投資話なら数千万、数億円を動かせる。
桁が違う。
占い師は「財運=開運」という図式を持ち込む。
「風水で気を整えれば資産が増える」
「秘術で不動産価値が上がる」
言葉の響きは甘く、反論しにくい。
運と金を直結させると、欲望のスイッチは簡単に入る。
霊感商法の延長線上に投資詐欺がある。
昔は壺や数珠を売った。
次は墓石、次は印鑑。
そして今は「水晶と不動産」である。
霊感商法は商品をすり替えながら肥大化した。
ついに投資市場に足を踏み入れた。
さらに、占い師には「権威付け」の便利さがある。
「私は霊的に見える」
「私は星を読む」
こう言われると、素人は反論できない。
そういうことを信じない人は相手にもしないが、
中にはその手の話題が大好きな人もいる。
反論した時点で「信心が足りない」と責められる。
結果、沈黙するしかない。
占い師本人もまた「成功者」になりたがる。
ブランド品をまとい、
豪華な暮らしを見せつける。
顧客に対してだけでなく、
自分自身にも暗示をかけている。
「私は選ばれた者だ」
この思い込みが詐欺を正当化する。
投資詐欺に巻き込まれた人々は「なぜ占い師が?」と首をかしげる。
だが、占い師にとって投資はごく自然な延長である。
お金を扱えば扱うほど「財運」を語る言葉に説得力が増す。
需要と供給が一致する。
それだけの話である。
霊性の原則から見る注意点
投資や利回りは霊性から最も遠い領域である。
霊性は「守り」と「祈り」を本分とする。
お金を増やす仕組みではない。
この一点を押さえれば、偽物を見抜ける。
「秘術で不動産価値が上がる」
この言葉を耳にしたらまず疑え。
なぜなら、不動産価値は市場と国の政策に左右されるからである。
占い師に水晶で地価を上げる力があるなら、
国もその力を借りただろう。
しかし現実にはバブルは崩壊した。
それだけで、この話が嘘だと分かるはずである。
真の祈りは「安泰」「守護」「感謝」を願う。
利得だけを求めれば、その祈りは歪む。
呪術そのものが悪なのではない。
欲望を満たすために他者や自然を「操る」呪術が、霊性とは対極にある。
正しい呪術は秩序を整えるために用いられる。
霊能者が仮に未来を見通すことがあったとしても、
それを投資や利得のために使うのは禁じ手である。
未来を知っても沈黙するのが掟であり、
語ればただの欲望商法に堕ちる。
良心ある者は、分かっていても言わない。
霊性は人の欲望を鎮めるために存在する。
「もっと金が欲しい」と騒ぐ心を静めるのが祈りである。
欲望に火をつける言葉を吐く時点で、その人物は偽物である。
霊的な世界は、確かに現実を動かすことがある。
だが動かすのは「金」ではなく「縁」である。
縁が整えば、結果として仕事や生活が安定する。
そこに金が付いてくることはある。
だが順序が逆であってはならない。
「財運を上げる」という言葉は魅力的である。
だがその裏側には必ず「欲望の餌」が仕込まれている。
霊性を口実にした投資勧誘は、ほぼ詐欺と見なすのが賢明。
結び ― 読者へのメッセージ
伝統は祈りと守りのためにある。
それを金儲けに転用した瞬間、
伝統は偽物へと変質する。
詐欺師は「秘術」「利回り」という毒を混ぜ、
信じたい心を麻痺させる。
だからこそ、聞いた瞬間に疑う勇気が必要である。
霊性は欲望を満たす方法ではない。
むしろ欲望を鎮めるための道である。
祈りは「もっと金を」という願いを沈め、
「今ある縁を守れ」と告げる。
そこに耳を傾けるかどうかで、
人生は大きく分かれる。
信じたい心そのものは尊い。
人はだれもが何かを信じなければ生きられない。
しかし、その心を利用しようとする者が必ず現れる。
信じたい心は生きる力になる。
だが疑う力を失った瞬間、
それは「信じすぎ」に変わる。
確認もせず、相手の言葉をそのまま飲み込んだとき、
信頼は盲信へと堕ちる。
その境界を越えた瞬間あなたの財布は狙われる。
批判的に見抜く力が必要である。
冷静に距離を取る勇気が必要である。
霊性を守るとは、
つまり人間としての判断力を守ることである。
現代は情報が氾濫し、偽物が伝統の顔をして歩いている。
本物を見抜く目を育てなければならない。
その目こそが、あなた自身を守る最後の結界になるのだ。
**参考情報源**
・TNCニュース:「水晶を埋め込んで風水調整して…」占い師が70人から約20億円を詐取と報道 福岡TNCニュース
・朝日新聞:「元占星術師」が水晶を用いた架空投資話で70人・約20億円の被害か 朝日新聞
文責:麗月相談室 所長 中村雅彦(ペンネーム:はたの びゃっこ)
新著プロジェクト進行中
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