皆さま
「祈っても救われない」「どれだけ願っても、現実は何も変わらない」――。
誰にも話せない苦しみや、夜ごと胸を締めつける孤独の重さを、抱えて生きている人は少なくありません。
特に、愛する人を失ったあと、供養や祈りをいくら続けても、消えない痛みや、夢に現れる亡き人の気配に悩み続ける日々。
「こんなにも想い続けているのに、どうして苦しみは消えないのだろう」と、深い絶望に沈む夜もあるでしょう。
今の社会は「孤独を癒やそう」「悲しみは手放そう」と繰り返し語ります。
けれども、本当の苦しみは、簡単に消せるものではありません。
ときに、祈りや供養さえ「届いていないのでは」と疑い、自分を責め、誰にも話せない痛みを内に隠したまま生きている――そんな魂の葛藤こそ、最も根深いテーマです。
私のもとには、こうした「誰にも言えない孤独や絶望」「供養しても癒えない悲しみ」「夢に訴えかける亡き人の声」と向き合う方々から、多くの相談が寄せられています。
なぜ、誰にも届かない想いは消えないのか。
孤独や絶望の奥に、魂は何を学ぼうとしているのか。
そして、祈っても救われない夜をどう生き抜けばいいのか――。
今回は、相談室に寄せられた実際の相談事例をもとに、「孤独と絶望の霊的役割」について深く見つめていきます。
あなたが「誰にも届かない想い」を抱えているとき、その痛みこそが魂を強くし、亡き人と自分自身を静かに癒していく力になる――
そんな“魂の灯”について、丁寧に綴っていきます。
夢に呼ばれる夜――孤独と絶望の入り口
「どうして、こんなに苦しいのだろう」。
夜、部屋の明かりを落とし、静かに手を合わせると、ふいに込み上げる孤独と絶望。
誰にも届かないこの祈りは、いったい何のためにあるのか。
そんな問いを胸に、麗月相談室に一通のメールが届きました。
Mさん――60代の女性。三年前に最愛の夫を亡くし、それ以来、夜ごと夫が夢に現れるようになりました。
夢の中の夫は「助けてくれ」「ここから出られない」と、苦しそうに訴えてくるのです。
Mさんは毎日、仏壇に花を手向け、お経や写経を続けてきました。
けれども、夢の夫の表情は一向に晴れず、
「私がきちんと供養できていないのでは」
「私のせいで夫が苦しんでいるのでは」と、自分を責め続けていました。
家族や知人にも打ち明けられず、ただ孤独と絶望に沈む夜が続いていた――
それが、相談の始まりでした。
誰にも届かない想い――魂の孤独の正体
「夢に現れる夫は、なぜこんなにも苦しそうなのか」。
Mさんの悩みは、祈っても、供養をしても、まるで“何も届かない”感覚に根ざしていました。
夫婦で過ごした四十年あまり。
定年後はふたりで穏やかな朝を迎え、日々を大切に重ねてきました。
しかし突然の病に倒れた夫を、最期まで看取ることはできませんでした。
「もっと何かしてあげられたのでは」
その悔いや罪悪感が、夫の死後もMさんの心を縛り続けます。
夢に現れる夫の姿は、時に無言でこちらを見つめ、
時に涙を浮かべ、「助けて」と訴える。
目覚めたあともその感触が残り、何度も仏壇の前に座り直す日々。
「私は独りなのだろうか。
この想いは、誰にも分かってもらえない――」
人は、愛する人を失ったあとも、
誰にも言えない痛みや後悔を胸に、ひとり祈り続けます。
それが、“魂の孤独”の正体です。
絶望の谷――祈りが届かない夜
Mさんは、夫のために朝晩欠かさず手を合わせ、毎月の命日には好きだった菓子を供え、仏壇の前で写経を続けていました。
それでも、夢の夫は助けを求め続ける。
「私はどれほど祈れば、夫は安らかになれるのか。
供養が足りないのか、それとも私が許されていないのか――」
答えのない問いに、日々自分を追い詰めていくMさん。
誰にも弱音を吐けず、「もうこれ以上耐えられない」と思う夜には、
「私だけがこの苦しみを背負っている」と孤独に沈みました。
この“誰にも届かない”痛みと絶望。
それは、魂の奥底にぽっかりと空いた穴のようなもので、
どれだけ祈っても、何も埋められないような喪失感となって続いていきます。
私たちの相談室では、Mさんのように「供養しても夢に現れる」「何かに囚われているような苦しさ」を訴える相談が少なくありません。
現世の苦しみと、霊的な孤独が重なり合うとき、魂はさらに深い谷へと沈んでいきます。
魂の底で“変化”が生まれるとき
ある春の夜、Mさんから「今夜も夢に夫が出てきました」とメールが届きました。
その夢では、夫は泣きながら「さみしい」「ここから出たい」と繰り返し、
Mさんは泣きながら手を伸ばしたと言います。
「私は夫を苦しめてばかりで、何もできない妻でした」。
自分を責め続けるMさんに、私はこう伝えました。
「夢は、亡き人の魂とあなた自身の魂が出会う場です。
ご主人はあなたを責めているのではなく、
あなたの“想い”に呼応して現れています。
祈りが届いていないのではありません。
むしろ、その苦しみも祈りも、すべて受け止めてくれているのです」
最初、Mさんは戸惑いながらも、
「自分の思いをもっと夫に伝えていいのですか」と尋ねてきました。
私は、
「はい。手紙を書いてください。
夢で感じたこと、現実で伝えられなかった言葉、全部書いてみましょう」
そう助言すると、Mさんは毎晩、夢の記録と手紙を書くようになりました。
やがて、手紙の中で、
「ごめんなさい」「ありがとう」「今もあなたを想っています」
そんな言葉を綴るうちに、
夢の夫の表情が次第にやわらいでいったといいます。
孤独が力に変わる瞬間
手紙を書き続け、夢と向き合う日々が数ヶ月過ぎたころ、
Mさんは初めて「夫が夢の中で笑ってくれました」と教えてくれました。
その晩、夫は「もう心配しなくていいよ」「君が元気でいてくれたら十分だ」と微笑み、 ふわりとMさんの肩を抱きしめてくれたそうです。
それ以来、夢の頻度は減り、
目覚めたあとも「苦しい」「申し訳ない」という気持ちではなく、
「夫と共に生きている」という静かなあたたかさが残るようになりました。
「孤独や絶望に耐え抜いた夜、祈り続けた時間は、
私にとって魂の“灯”だったのですね」。
Mさんは涙を浮かべてそう語ってくれました。
魂が本当に癒されるときとは、
痛みや絶望がすべて消える瞬間ではなく、
その痛みを抱えたままでも、自分の心が静かに安らぐときなのかもしれません。
誰にも届かない想いが“魂の力”になる
Mさんが経験した「祈っても届かない夜」「孤独と絶望の連続」――
そのすべてが、やがて祈りを通して“魂の力”へと転じていきました。
誰にも分かち合えなかった痛み、
人知れず流した涙、
それらは、魂の深い場所で静かに力へと変わっていきます。
亡き人の夢や祈りがもたらす孤独は、
ただの苦しみや悲しみではありません。
あなたがこの世を生き抜くための灯であり、
魂が成熟するための糧でもあるのです。
祈っても祈っても届かないと思う夜、
「それでも私は生きる」「私は私の痛みと共に歩む」
そう心に誓ったとき、
見えない世界からそっと支えられる瞬間が必ず訪れます。
唱え言葉
夢に浮かぶ影よ
苦しみも悲しみも
ただ祈りのうちに鎮まり給え
孤独の夜を越え
魂の灯(ひ)は消えず
静かなる安らぎへと導き給え
結び
祈っても届かないと思う夜、
誰にも分かち合えない痛みや絶望が心を覆うことがあります。
けれども、その祈りは、必ず見えない世界のどこかで響いています。
孤独を抱え、絶望の中でなお祈ること――
それは、あなたの魂が成熟し、
亡き人とあなた自身の魂をともに癒やすための、大切な修行なのです。
どうか、孤独や絶望の夜にも、
あなたの祈りが静かに灯り続けることを、心より願っています。
麗月より
謹んで、心よりの再拝を申し上げます。
夜道を照らす月明かり
迷える人の道しるべ
声なき声に耳を寄せ
夢と現のあわいまで
静かに祈る言の葉よ
心理学から見た「亡き人の夢」と癒し
今回ご紹介したような、「亡くなった家族が夢に現れる」「供養しても癒えない痛みが続く」という体験は、決して異常なことでも、幻覚でもありません。
心理学の分野でも、こうした現象には深い意味があると考えられています。
ユング心理学などの深層心理学では、夢に現れる故人は、亡くなった人そのものだけでなく、遺された人の心の奥――無意識――に残った思いや後悔、愛情などを象徴するとされます。
夢の中で繰り返し現れるのは、「まだ向き合いきれていない感情」が癒されるために、心が自分に“語りかけている”証なのです。
また、トランスパーソナル心理学の立場では、こうした夢や祈りは「魂の成長」「人生の意味の再発見」につながる“霊的な体験”だと考えます。
誰にも届かない痛みや孤独と向き合うこと自体が魂を深め、人間として成熟するための大切なプロセスです。
つまり、「亡き人の夢」「消えない痛み」は、心や魂が“本当に癒える”ために必要な過程であり、苦しみの夜を超えたその先に、新たな気づきや人生の意味が見つかることがある――
このように心理学の観点からも説明できるのです。
文責 麗月相談室 所長 中村雅彦(ペンネーム:はたの びゃっこ)
巫師麗月チャンネル
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