皆さま
✦ 令和七年 五月五日 ✦
この日は、ただの祝日ではありません。
五節句の一つ「端午の節句」と、
季節の節目を告げる「立夏」が重なる、
陰陽が交差する稀なる一日です。
こうした重なりは、十数年に一度あるかないか。
気のめぐりが変わる日として、古くから重んじられてきました。
「祓いの日」と「始まりの日」が交差するこの日は、
日常の延長では捉えられない、魂の調律の時です。
今回は、その意味と迎え方を、
霊性の視点から丁寧にお伝えいたします。
▽ 端午の節句とは ─ 五の重なりが意味するもの
「こどもの日」として親しまれる五月五日は、
もともとは“祓い”と“物忌み”の日であり、
特に女性の身を清めるための行事でした。
古代中国では五月を「悪月」と呼び、
その最初の五日には病災や邪気が強まるとされ、
菖蒲や蓬を門に掛け、薬湯で身を清める風習が生まれました。
それが日本に伝わると、
人形による祓いや薬草信仰と融合し、
五節句の中でも特に重要な「祓いの日」として定着します。
「五」の数字には特別な意味があります。
陰陽五行説では「五=中央」「五=火」であり、
転換・炎・意志・魂の核を象徴します。
五が重なる五月五日は、
“内なる火”が暴れやすい日でもあり、
それゆえに「祓い」の力が必要とされてきたのです。
▽ 立夏とは ─ 陽気の扉がひらかれるとき
立夏は、二十四節気において「夏の始まり」を告げる日です。
けれども、それは単なる季節の変わり目ではありません。
古来の暦では、春分から陰気が次第に減じ、
立夏を境に陽の気が高まり、陰陽が転じる瞬間とされてきました。
自然界では草木が一斉に伸び、
虫が這い出し、田に水が入る。
それと同じように、人の身体と魂にも、
“新たな気”が流れ込む準備が始まります。
ところがその切り替え時には、
眠気、焦燥感、心の迷いといった“揺れ”が起こりやすく、
それをこじらせると、夏の病や運気の偏りに繋がっていきます。
つまり、立夏は始まりであると同時に「試される節目」でもあるのです。
▽ 端午と立夏が重なる日──陰陽の結界
その二つの節が重なる今年の五月五日は、
極めて特殊な“陰陽の重なり”が生まれる日です。
「祓い」と「始まり」。
「終息」と「再起」。
相反する気が一点に交わることで、
その場には一種の霊的な“結界”が形成されるとされます。
こうした日は、見えぬものが揺れ、動く日です。
・偶然に見える出会い
・ふいに湧き上がる過去の記憶
・言葉にならない違和感やひらめき
そうしたものが起こったときこそ、
魂が節に共鳴している証。
だからこそ、この一日を無意識に流してしまうのではなく、
「意識して過ごす」ことがなによりの祈りとなるのです。
▽ 古代人は「節」に生きていた ─ 暦は魂の地図
現代では、日付はカレンダーの数字にすぎません。
けれども、古代の人々にとって「節(ふし)」とは、天地の呼吸に合わせて生きるための座標でした。
人は、ただ流れるように生きるのではなく、
節のあるところで立ち止まり、
自らの内を整え、過去を祓い、新しい命を迎える──
そのようにして「運命を生き直す」機会を大切にしていたのです。
節とは、季節の変わり目ではなく、
魂の向きを調えるための“時間の境目”。
現代に生きる私たちも、
忙しさの中で流されそうになるときこそ、
こうした“節の思想”を思い出し、
自分の内側にそっと問いを投げかけてみることが必要なのかもしれません。
▽ 穢れとは何か ─ 日常に潜む“気の曇り”
ここで少し、「穢れ」について触れておきましょう。
穢れとは、何か悪いことをした報いではなく、
日々の中で自然とたまっていく“気の滞り”のことです。
・嫌な言葉を聞いて何も言い返せなかったとき
・理不尽に耐え、怒りを飲み込んだとき
・自分の本音を押し殺して笑っていたとき
そのような時間の中で、
私たちの魂には「曇り」がたまり、
やがて動けなくなってしまいます。
祓いとは、それを責めるためのものではなく、
本来の自分に戻るための「ゆるし」と「通し」なのです。
▽ 魂の軸がずれるとき ─ 理由のない違和感に気づく
心も身体も大きく崩れているわけではないのに、
なぜか人間関係だけがぎくしゃくする。
いつもと同じ道なのに、やることが裏目に出る。
そんなとき、魂の軸がわずかに“ずれている”ことがあります。
魂の軸とは、自分本来の在り方、
内なる声と外の行動が噛み合っている状態のこと。
忙しさや我慢を続けることで、
少しずつこの軸が歪み、
気づけば“別人のような自分”で生きているような感覚が訪れます。
祓いとは、そのずれを元に戻す作法でもあります。
「正す」ではなく、「整える」。
魂が本来の音に戻るよう、
静かに、深く、内側に調律をかけること。
節目の日に行う祓いは、
この軸を「神ながら」に戻す大切な手だてなのです。
▽ 5月5日をどう迎えるか ─ 小さな整えのすすめ
この特別な一日、
難しいことをする必要はありません。
けれど、丁寧に過ごしてみてください。
◎ 朝:身体の祓い
・塩水で口をすすぐ
・菖蒲湯に入る/菖蒲を首・肩・背中に当てる
・静かに深呼吸を3回
◎ 昼:言葉と食で気を整える
・粽(ちまき)や柏餅など、節句の食をいただく
・一つだけ「この夏の願い」を書き出す
・祖霊や家族への感謝を心の中で唱える
◎ 夜:灯と静寂の祈り
・ろうそくを灯し、五分間、目を閉じる
・今日感じたことを一言書く
・「いまの自分を赦す」と心の中で唱える
▽ 祓詞の力 ─ 言霊は気を動かす
ある女性がいました。
日々の忙しさのなかで、どうにも心が晴れず、
夜になると、わけもなく涙がこぼれることが続いていました。
そんなある日、彼女は祖母から聞いた「祓へ給へ 清め給へ」の言葉を、
就寝前にそっと唱えてみたのです。
意味もよくわからないまま、ただ声にして。
すると不思議なことに、数日たったころから
心のざわめきが静まり、眠りが深くなっていきました。
言葉には、気を通す力があります。
そして、祓詞は“気を整える音の道”でもあるのです。
最後に、簡易の祓詞をひとつご紹介します。
祓へ給へ 清め給へ
神ながら 守り給ひ 幸へ給へ
この言葉には、
穢れを祓い、清め、神とともに歩むという、
霊的な流れのすべてが込められています。
「給へ」は願いではなく、すでに起きている事象への感謝。
「神ながら」とは、神の御心のままに、という自然信仰の核心。
唱えるたびに、魂が本来の響きに戻っていくような詞です。
静かな時間に、心を込めてひとことだけでも唱えてみてください。
それだけで、気の向きがほんの少し変わるかもしれません。
▽ あなたの節目は今どこにありますか
ふとしたときに思い出してほしいのです。
「今日は節かもしれない」と。
気持ちが乱れた日。
不安が言葉にならない日。
誰にも言えない違和感を感じた夜。
それらは、魂の奥が気づきを求めているしるしです。
今年の五月五日という節目が、
あなたにとって“戻るべき場所”と出会う一日となりますように。
麗月より
謹んで、心よりの再拝を申し上げます。
夜道を照らす月明かり
迷える人の道しるべ
声なき声に耳を寄せ
夢と現のあわいまで
静かに祈る言の葉よ
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