令和5年11月13日
乙巳 四緑 健 張
<まじない>について 麗月
まじない(呪い、禁厭)という言葉について説明します。
これは「マジナヒ」と呼び、「マジナヒ」とは交ざり合わせる意味で、ものを交ざり合わせて、その道を禁じ厭つ(たつ)と言う意味の言葉です。
禁厭の禁は禁止の意味で、厭とは鎮壓(圧)ということで「抑え止める」という意味です。
災いを抑え害を止める、神秘的な力によって災禍を免れたり起こしたりなど、不可思議な現象を生じさせる呪術です。
まじないは人を活かすようにも殺すようにも使う事が出来ます。
禁厭の文字をもって、まじないを読む時は善事に使い、悪事に使う時は、まじないを呪詛に変え、「マジナヒ」、「カジリ」、「ノロヒ」の発音と波動音を変え、文字は同じですが善と悪の両方の使い方が出来ます。
禁厭、呪、呪詛、禁呪、厭当など、まじないと読める字は数々あり、まじないというのは善悪正邪両方に用いられる術の総称なのです。
禁厭秘伝を知った人間は、悪法邪法に使わない、善力に使うと誓っても、所詮人間は弱い生き物です。
感謝や反省の感情より妬みや嫉妬、恨みの念には抑えがきかないのが人間です。
逆恨みや、他人のせいにしなければ納得がいかないのも人間の性の一つです。
人に善意を示すのは見返りがないと中々行動しませんが、仮に霊能者になりたい、出世したい、この人を自分のものにしたい、芸能人になりたい、金持ちになりたい、この人間さえいなくなれば、などと思い込むと自我の欲が恐さよりも、先に夢が叶えば恐いものはないと後先を考えなくなるものです。
人に善意を示す優しくしてあげる、お金を惜しまない。特に神社や神事に使うお金など。
廻り廻って、自分だけでなく家族や子孫まで助け船や宝船を作る目に見えない救い、財産に代わります。
ですが自我の欲を果たそうとして、禁厭を使うと3~4代祟るとされています。
動物を虐待したり殺生をすると6代祟ると言われています。
動物霊だけは中々収まりません。
悪法の呪詛は別名「かじり」、「とこい」、「のろい」と呼びます。
かじり=鼠が物をカジルなどというのと同じ意味で、だんだんと物に喰い入る様子を示す言葉です。
とこい=蠱と書き、説請言(ときこいごと)ということで、まじないの言葉を持って神に請い願って人に災を交えると言う意味です。
神様に祈って呪詛が出来るのでしょうか?
真の神様は呪詛など許すはずがありません。
役割を持つ神々を呪詛師が選び、呪詛師の欲と邪念を使い、依頼内容に対して、どの神が役割を持っているかを調べて神を決め、悪魔に仕立てるのです。
悪魔との契約の見返りとして、依頼者や依頼者の家族、子孫を生け贄に捧げる約束をします。
大祓詞に蠱物為罪と言う言葉が出てきますが、これはまじないによって人を呪った罪の事です。
蠱の字は中国の漢の時代に、蛇やガマガエル、ナメクジの三虫を皿に入れて呪いをしたことから始まりました。
のろいと言うのは「祝」の字を当てる事もあります。
現在は=おいわいと言い、おめでたいイメージですが、元々は=祝(のりこと)と読んで、まじないの言葉を宣(の)べると言う意味です。
西洋でも善=白魔術、悪=黒魔術があります。
洋の東西を問わず善術、悪術があり、人間の魂に潜んでいるのです。
非科学的なまじないを、科学的な医学薬学と同列に語るなど違和感を覚えた方もいると思います。
でも、それは現代人の発想です。
元々、薬はまじないの1つでした。
中国では医を醫と書きました。
薬を酒で煎じた事から始まった漢字です。
医を醫とも書くのは元々、医師と巫女は1つだったからです。
巫女を巫者と書き医者と巫者(witch doctor)は同じでした。
誰かが発病した時は、薬を体内に交えて病勢を禁じ病根を厭(た)ち除き、また法を持って病に交えて病を禁止し病を厭ち除いたのです。
薬も、まじないも病を禁厭する根源はまったく同じで、外から気によって感じさせるのと品物を内に服して感じさせるとの差異があるにすぎないのです。
現在に伝わるまじないには病気平瘉や健康を願うものがあり、信仰心や神仏を信じない人間でも厄払いや節句、行事、墓参り、仏壇など日本の風習だから行うと口先では理屈を並べたりもします。
しかし、人は死ねばそれまでだと思うのなら墓も仏壇も要らないはずです。
子や孫の節句などもしなくても良いはずです。
魂や血筋に流れている人間は神々が生み出したもの、信仰心を持った先祖の血が、まじない、祈祷、祓い、行事を拒否させないようにします。
祈祷や祓いを続けていたのに、それを信じて受け入れて来た者が最終的に見逃している原因の1つに、前世での悪術まじないを隠れて行っていた場合。あるいは先祖がしていたケースがあります。
このようなケースは中々表に出て来ません。
特に蠱を使ったやり方や頼んだりした場合は、呪術に関わる私でも中々見つけにくく霊視や透視、神降ろしをしても難しいのです。
普通の呪詛の障りや罪の因縁ならすぐに分かります。
見つけにくいのは「壁」が何枚も重なっているように感じるからです。
本格的なまじない、すなわち禁厭秘伝を使う呪詛師、あるいは禁厭秘伝を使った場合、簡単に祓える呪詛法ではありません。
それだけ善術、悪術の力は凄まじい力と悪術に使えば悪魔や悪霊は力もあれば力を倍増させる悪獸が合わさっています。
過去、それを見抜き祓いをした経験があります。
見抜けば邪魔が次々と惑わしに来ます。
本人と祓い師との戦いになります。
依頼者も根気と忍耐そして信念との勝負になります。
安易な気持ちから呪詛や呪いをかけてしまい、あとになって許して欲しいと神仏に祈ったところで、本格的に禁厭秘伝を使ってしまえば、その報いは自分一代では終らないと言う事を覚えておいて下さい。
麗月 謹上再拝