神託(しんたく)とは、神が自分の判断や意志を、巫女(みこ)などの仲介者、あるいは夢・占いなどによって知らせることです。
託宣(たくせん)ともいい、神が人または物に憑依し、または夢に託して神意をお知らせになることです。その状態になることを神懸かりといいます。
当研究所では、シャーマニックな資質を持っている麗月を媒体として、不定期にではありますが神占の内容をお伝えします。なお、このメッセージは麗月から発せられた内容を口述筆記したものです。
令和5年11月10日
壬申 七赤 収 鬼
死について 麗月
死とは全ての終わりではない。むしろ誕生であると心得なさい。
誰もが明日も自分は元気でいられると思って生きている。
しかし、その保証が一体どこにあるのだろうか。
後悔しないためにも、今日を精一杯生きなさい。
今際の際に次の世を考える。
肉体は天から授かったもの。それは借り物に過ぎないのだ。
死とは終わりではなく始まり。
脱皮であり、再生への入り口である。
生は苦の始まり。人生という修行。
その中で天国と地獄を味わうことになるだろう。
くよくよと悩むだけ時間の無駄。
人生、これで終わりだと決めつけてはならぬ。
自分を弱め、傷つけ、責めるような言葉を発するのはやめなさい。
自分は弱くない。駄目な人間でもない。そう鼓舞して、勇気を奮い立たせよ。
本当の死とは諦めること。
まず、今の自分自身を受け入れること。
そうすれば、人の痛みも苦しみも分かるようになる。
人に慈悲の心を抱くようになるためには、自分の苦しみや悲しみに気づくこと。
争いや喧嘩を避ける必要はない。
対立を恐れる必要もない。
嫌われると不安になることもない。
自分の思いを包み隠さず相手に伝えること。
自分に正直に生きなさい。
自分を偽っても得るものはない。
失敗したからと悩むことはない。
失敗があるから成功できるのだ。
やり直しならいくらでも出来るではないか。
死は動物も植物も命あるもの全てに訪れる。
そしてまたこの世に生まれ変わってくるのだ。
生と死とは繰り返すもの。
その日のために、今日を大切に生きてゆきなさい。
麗月 謹上再拝