大文字焼ならぬ和文字焼 | 31歳で肺がんステージⅣ 3年経過

31歳で肺がんステージⅣ 3年経過

2015年の5月下旬に肺がんにかかっていたことが分かりました。
セキツイに転移していて、ステージ4と言われました。ジオトリフを使い始めましたが、副作用がきついため6ヶ月くらいでイレッサに変更になりました。

みなさん、こんばんは。

今回はちょっと個人情報が多いですが、
差し支えない範囲で書かせて頂きます。
明るい話題と暗い話題ですが、ご了承お願いします。


明るい話題からです。
自分の実家、岡山の和気というところで、
毎年8月16日に和文字焼というお祭りをしています。

そのお祭りの花火が大きくて圧巻です。

写真では伝わりにくいのが残念なところです。

花火の大きさに大興奮です。
打ち上げ場所が200メートルくらい先なので、
大きく見えます。
目の前の夜空が花火でいっぱいになります。

観客が、

ぜってーこれはすげーで!

と言っているのに対し、

そーじゃろー!?

と応えたくなります。


清麻呂太鼓っていうのもすごいです。一押しです。

家族が写った写真もありますが、
顔の消し方が分からないので、またの機会にします。



次の話題はお盆的な話題です。
お墓参りに昨日今日と行きました。

たわしと雑巾で磨いてきました。

祖父母のお墓と
弟のお墓です。

5年前に交通事故で亡くなりました。

突然のことで、
ショックな状態が言い表せないくらいでした。

その後、毎年お墓参りに来てくれる友達や
お供えを持って来て下さる先生がいます。

有り難い存在だなと思います。

弟のことをつらつらと書いても読んで下さる方は気持ちよくないと思いますが、
大好きな弟だったんです。

中学生の時には、
生徒会長をしていて
正義感が強くて
転校してきたいじめっこがいじめをしていたら、
その子を呼び出して懲らしめて、
逆に校長先生に呼び出されてしまったらしいです。
懲らしめるのは良くないですね。

七つ年がはなれていて、
自分が中学生の時に弟は小学生で、
時々かけっこをしていました。
いつもはわざとギリギリのところで負けてあげていたのですが、
ある日「お兄ちゃんは遅いなあ」としつこく言ってくるので、普通に勝ったら母に「お兄ちゃんに負けた~。」泣きながら言っていました。

親戚の結婚式で、一緒に余興をしました。
自分の耳たぶがやたら大きくて、触ると気持ちいいらしく、寝てるところに布団の中に入って触りに来ていました。


高校生になったら一気にふけて、
二十歳の時には上地ゆうすけさんみたいな見た目でした。

石川りょうくんの方が似てた時もありました。

お盆は、懐かしむ時ですよね。

お盆以外でもよく思い出しますが(笑)