インタビューライターの小川志津子
さんに
プロフィール に続いて私のライフストーリーを書いていただきました。
昨日の
私のライフストーリー①◆子どもの頃から不眠症
に続いて今日は②③④一挙に公開いたします。
お芝居をしていた思春期からのストーリー
◆エネルギーの渦中にある日々
「両親は、反対しましたね。
でも心は決まっていたので、母に話をして、
それを母から父に伝えるっていうのが、
いつの間にか、我が家の定石で」
お父さんは若い頃、とても苦労したという。
文学が大好きだったけれど、学校に行けなかった。
苦労続きだったからか、
映画も小説も「お涙頂戴もの」が嫌いで、
市子さんの出演舞台を、観にくることは少なかった。
「当時は、子どものそういう催しごとに、
父親が来るっていうのは珍しかったんですよ。
子育ては、母親の仕事。
だから母も誘わなかったんじゃないかな。
父と何でもフランクに話せるようになったのは、
大人になって、結婚してからだったと思います」
なんとか両親の承諾を得て、
上京した市子さんは、劇団「青俳」に進む。
蜷川幸雄、蟹江敬三、石橋蓮司など、
錚々たる個性派俳優が、名を連ねていた虎の穴。
「複数の劇団を受けて、受かったのが青俳でした。
名の知れた俳優さんがいることと、
養成所がしっかりしていることが決め手でしたね」
そこでお芝居をしていた時間が、
本当に楽しかったと市子さんは言う。
「虚弱体質だった私が、
病気にならなかったんですよ。
バイトをしながら、養成所に通って、
その上の研究所に残ることができて」
当時は木村功さんが劇団を率いていて、
石橋蓮司さんや緑魔子さんが事務所にいて、
蜷川幸雄さんも、芝居を教えに来てくれてて、
唐十郎さんのお芝居のお手伝いに行って……
……目まいがするようなビッグネームがぽんぽん飛び出す。
その環境から、市子さんは何を得たでしょう。
そう尋ねると、少しの静寂のあと、
彼女はこう言った。
「同じ方向を向いている、っていう感覚ですかね。
損得とか、嫌なことが何もなくって、
お芝居に対する純粋さだけがそこにある感じ。
誰も、出し惜しみしてないんですよね」
市子さんの声が弾んでいる。
「先輩方に『おい、ちょっとやってみろ』って言われる時、
私はあんまり気負ったり構えたりしなかったんですね。
下手っぴなのに、ほいほいやっちゃって、
いろんな学びがあったし、いろんな思いを味わいました」
彼らの前に立つ時にこそ、
一番、自分らしくいられたのではないか。
市子さんは今、そんな思いを温めている。
「本当にすごい人たちって、
相手に対して威圧的になったりしないんですよね。
劇団の外に出て、テレビ局の人とかに会うと、
威圧的な人たちばかりだったんだけど(笑)、
あの人たちは全然違った」
ひとつだけ、忘れもしない光景がある。
筆者はかつて演劇雑誌に、
記事を書く仕事をしていた。
蜷川さんの稽古場にも、
何度か通って、取材した。
蜷川さんはいつだって、
椅子の上に、裸足であぐらをかいて、
でもすぐ俳優たちのもとへ走れるように、
靴はきっちり、足元に揃えられていた。
芝居を始める時の合図は、
「アクション!」でも「スタート!」でもなく、
「よーい、どん!」だった。
その日は、蜷川さんの誕生日だった。
当然ながら制作スタッフは、
ケーキを用意して彼の到着を待つ。
すると彼は、両手にいっぱい、
おいなりさんと大福を買い込んできて、言うのだ。
「おーし、みんな、食えー!」
ケーキとか、いいからさ。
恥ずかしいから。お願いだから、やめて。
蜷川さんは、全身でそう訴えていた。
もちろん、稽古場で、激することもあった。
特に、全力を出していない若い俳優に厳しかった。
「もっと自分で考えろよ!」
「なんでみんなして、おんなじ芝居してるんだよ!」
「ただ立ってるだけなら、要らないんだよ!」
蜷川さんの怒りは、攻撃ではなく、
「じれったさ」だった。
こんなにも、自分を出すことを許された場所なのに、
どうして、君らはそれを出さないんだ。
蜷川さんは、全身でそう叫んでいた。
そう、すべてを、全身から放つ人だった。
会いたいなあ。
つい、つぶやいてしまうと、
市子さんも心を重ねてくれる。
「そうですね。
亡くなった時は、本当にショックだった」
ここにいない、ひとりの人を、
出会ったばかりの私たちが思う。
少しの静寂が、私たちを包んだ。
取材・文:小川志津子 さん
蜷川さんのことをご存知の志津子さんと
お話盛り上がりました。
続けてこちらもどうぞ
ライフストーリー③ ◆これが好き、これが嫌い。
ライフストーリー④ ◆自分次第で世界は変わる !
プロフィール に続いて私のライフストーリーを書いていただきました。
昨日の
私のライフストーリー①◆子どもの頃から不眠症
に続いて今日は②③④一挙に公開いたします。
お芝居をしていた思春期からのストーリー
◆エネルギーの渦中にある日々
「両親は、反対しましたね。
でも心は決まっていたので、母に話をして、
それを母から父に伝えるっていうのが、
いつの間にか、我が家の定石で」
お父さんは若い頃、とても苦労したという。
文学が大好きだったけれど、学校に行けなかった。
苦労続きだったからか、
映画も小説も「お涙頂戴もの」が嫌いで、
市子さんの出演舞台を、観にくることは少なかった。
「当時は、子どものそういう催しごとに、
父親が来るっていうのは珍しかったんですよ。
子育ては、母親の仕事。
だから母も誘わなかったんじゃないかな。
父と何でもフランクに話せるようになったのは、
大人になって、結婚してからだったと思います」
なんとか両親の承諾を得て、
上京した市子さんは、劇団「青俳」に進む。
蜷川幸雄、蟹江敬三、石橋蓮司など、
錚々たる個性派俳優が、名を連ねていた虎の穴。
「複数の劇団を受けて、受かったのが青俳でした。
名の知れた俳優さんがいることと、
養成所がしっかりしていることが決め手でしたね」
そこでお芝居をしていた時間が、
本当に楽しかったと市子さんは言う。
「虚弱体質だった私が、
病気にならなかったんですよ。
バイトをしながら、養成所に通って、
その上の研究所に残ることができて」
当時は木村功さんが劇団を率いていて、
石橋蓮司さんや緑魔子さんが事務所にいて、
蜷川幸雄さんも、芝居を教えに来てくれてて、
唐十郎さんのお芝居のお手伝いに行って……
……目まいがするようなビッグネームがぽんぽん飛び出す。
その環境から、市子さんは何を得たでしょう。
そう尋ねると、少しの静寂のあと、
彼女はこう言った。
「同じ方向を向いている、っていう感覚ですかね。
損得とか、嫌なことが何もなくって、
お芝居に対する純粋さだけがそこにある感じ。
誰も、出し惜しみしてないんですよね」
市子さんの声が弾んでいる。
「先輩方に『おい、ちょっとやってみろ』って言われる時、
私はあんまり気負ったり構えたりしなかったんですね。
下手っぴなのに、ほいほいやっちゃって、
いろんな学びがあったし、いろんな思いを味わいました」
彼らの前に立つ時にこそ、
一番、自分らしくいられたのではないか。
市子さんは今、そんな思いを温めている。
「本当にすごい人たちって、
相手に対して威圧的になったりしないんですよね。
劇団の外に出て、テレビ局の人とかに会うと、
威圧的な人たちばかりだったんだけど(笑)、
あの人たちは全然違った」
ひとつだけ、忘れもしない光景がある。
筆者はかつて演劇雑誌に、
記事を書く仕事をしていた。
蜷川さんの稽古場にも、
何度か通って、取材した。
蜷川さんはいつだって、
椅子の上に、裸足であぐらをかいて、
でもすぐ俳優たちのもとへ走れるように、
靴はきっちり、足元に揃えられていた。
芝居を始める時の合図は、
「アクション!」でも「スタート!」でもなく、
「よーい、どん!」だった。
その日は、蜷川さんの誕生日だった。
当然ながら制作スタッフは、
ケーキを用意して彼の到着を待つ。
すると彼は、両手にいっぱい、
おいなりさんと大福を買い込んできて、言うのだ。
「おーし、みんな、食えー!」
ケーキとか、いいからさ。
恥ずかしいから。お願いだから、やめて。
蜷川さんは、全身でそう訴えていた。
もちろん、稽古場で、激することもあった。
特に、全力を出していない若い俳優に厳しかった。
「もっと自分で考えろよ!」
「なんでみんなして、おんなじ芝居してるんだよ!」
「ただ立ってるだけなら、要らないんだよ!」
蜷川さんの怒りは、攻撃ではなく、
「じれったさ」だった。
こんなにも、自分を出すことを許された場所なのに、
どうして、君らはそれを出さないんだ。
蜷川さんは、全身でそう叫んでいた。
そう、すべてを、全身から放つ人だった。
会いたいなあ。
つい、つぶやいてしまうと、
市子さんも心を重ねてくれる。
「そうですね。
亡くなった時は、本当にショックだった」
ここにいない、ひとりの人を、
出会ったばかりの私たちが思う。
少しの静寂が、私たちを包んだ。
取材・文:小川志津子 さん
蜷川さんのことをご存知の志津子さんと
お話盛り上がりました。
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ライフストーリー④ ◆自分次第で世界は変わる !
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<SS健康法伝授会>
2018年1月の予定
1/8(祝) 10:00〜12:00 阿佐ヶ谷
1/9(火)13:00~15:00高田馬場
1/13(土)10:00〜12:00阿佐ヶ谷
1/19(金)10:00~12:00高田馬場
講座料:6000円(テキスト付き)
再受講:1000円(1回限り)
申込はコチラから
https://ssl.form-mailer.jp/fms/edd0572f533726
再受講:1000円(1回限り)
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