アウシュビッツ強制収容所
2012年04月08日 20時31分47秒 投稿
2012年4月7日(土)
ポーランドにいる間に、一度は行ってみたいと思っていたが、予想外に早くチャンスが来た。初めての休日、同僚を誘って、日帰りでアウシュビッツを訪れた。
知識として知ってはいるが、現場の広大なビルケナウのアウシュビッツ2号を歩きながら、声を失っていた。
約2km(未確認)ある、入り口の見張り塔から続くレールの中央部から入り口方面を見る。歩き疲れるくらい遠い。 

収容所の内部は、粗末な3段ベッド 

収容者をレールの終点、ガス室まで運ぶ列車 

終点には、記念碑が建っている。 

記念碑の周りにある、プレート。死亡した収容者の国々の言葉で、各プレートが並んでいる。狭いヨーロッパ中で、各国々が独自のアイデンティティと言語を守っていることに改めて驚かされる。 

収容所の開放直前、証拠隠滅のためナチスドイツが自ら爆破したとされるガス室の残骸

規模は小さいアウシュビッツ1号
入り口に「働けば自由になる」と表示がある。

収容所の内部が展示室になっているが、時間が無く全部を見ることができなかった

人間は、何かの条件で、ここまで狂気になる!!
2025年あとがき
いま、戦後の歴史を少し勉強すると、ナチスの行為を、表面的な勝者の歴史だけで判断していいのか? と自問することがあります。ナチが自爆したとされるガス室の残骸も、本当にガス室だったのか? 第二次世界大戦は誰が計画したのか? 日本もドイツも、「勝者の歴史」だけが公式な歴史として残されることに甘んじていいのか? 少しずつ歴史の裏側が明らかになってきています。
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