安全安心

2021年6月17日

 

最近、政治家がよく「安全・安心の~」という言葉を吐く。気になってしょうがない。

曰く「安全・安心の東京オリンピック」「安全・安心のために自粛要請にご協力をお願いしたい」等々。誰が言いだした言葉だろうか。緑の狸か、菅総理か…。

 

「安全」は、科学的に根拠のある基準値を決めて、それを守るために具体的な政策を考えることが出来る。これは理解できる。エンジニアが設備をデザインするとき、材料を選定して、その極限強度に安全係数を考慮して部材のサイズ・構造を決める。その基準で設計しておけば、設備は壊れることなく安全に稼働する。

 

しかし、「安心」は十人十色、万人の安心を満足させるための政策など出来ようがない。政治家が政策を説明するため「安全・安心の~」と言うのは、どこか胡散臭さが感じられる。

 

ちなみに広辞苑を開いて見る。
「安全」:①安らかで危険の無いこと。②物事が損傷したり、危害を受けたりするおそれのないこと。
「安心」:心配・不安がなくて心が安らぐこと。

 

やはり「安全」は物質的、構造的なものであり、「安心」は精神的なものであると解釈できる。政治家が政策を説明する際には「安全な~」だけでいい。
それとも、彼らの頭には「洗脳して安心も満たしてやる…」との下心があるのだろうか。

 

テレビでは相変わらず、「今日は東京の感染者が500人を超えました。これで緊急事態宣言を解除してよいのでしょうか」とアナウンサーが危険をあおっている。

テレビの中だけの仮想世界のパンデミック。田舎町では周りに一人の感染者もいないのに、マスク、ソーシャルディスタンスを強要されている。現実の街では何の問題もないのにテレビの仮想世界が本物の世界と信じている。それをおかしいと思わない人たちばかり。おかしいでしょう!

 

PCR検査で嘘の感染者を作り、無症状の人から感染するという嘘でマスクを強要し、PCR検査陽性記録だけで、死者数を水増しする。最後は、危険な殺人注射で元気な人まで殺すという暴挙を行う政府に抗議するのは、一握りのSNSで真実を訴える人たちだけ。大手メディアは一切無視するので表面に現れてこない。ワクチン接種が進んだ欧米では、すでにワクチン(殺人注射)による死者は、新型コロナによる病気での死者の50倍とも言われている。日本でも、今のペースで死者が増えれば、コロナ病死を超えると予想する。しかも高齢者だけでなく、元気な若者まで殺してしまう。更に、数年後にmRNAが自己免疫機能を破壊する可能性があり、次の現実のパンデミックが怖い。

 

「千回も聞かされる嘘を信じることの方が、たった一回しか聞かされない真実を信じるよりもたやすい。」(エイブラハム・リンカーン)

 

毎日嘘のプロパガンダを吐き続け、国民を洗脳しているテレビ報道を規制する方法はないのだろうか。

 

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