21世紀のグローバル投資・イノベーション史に、その名を深く刻む一人の男がいる――孫正義(そんまさよし)。韓国系のルーツを持つ在日コリアン三世として生まれ、一介の起業家から日本のみならず世界を代表する投資家・実業家へと上り詰めた彼の歩みは、まさに「ビジネス・レジェンド」と呼ぶにふさわしい。その半生と経営哲学は、熾烈なまでの先見性、並外れたリスクテイク能力、そして「情報革命で人々を幸せに」という一貫した情熱によって彩られている。本稿では、孫正義の伝説的なキャリアを、その核となる戦略思考と共に2000字で概観する。
第一章:礎石の形成 ― 類い稀な先見性と「人生50年計画」
孫正義の起業家精神の原点は、16歳で単身渡米した体験にある。カリフォルニア大学バークレー校で学びながら、自身初のビジネスとなる音声付き多言語電卓の特許を開発・売却。この成功が、後の投資家としての嗅覚の原点となった。
1970年代後半、マイクロプロセッサの出現に「コンピュータが机の上に乗る時代が来る」と確信した孫は、帰国後の1981年、「ソフトバンク」を設立。当初はパソコンソフトの卸売業からスタートするが、その際に掲げた社是は「情報革命で人々を幸せに」という、今に至るまで揺るがない核心理念であった。この頃、20代の孫は既に「人生50年計画」を策定し、将来の事業領域から引退後の社会貢献に至るまでを大胆に設計していた。この驚異的な長期ビジョン構想力は、彼の最大の特徴の一つである。
第二章:インターネット時代への先駆的投資 ― 危機を乗り越える胆力
1990年代、孫正義は世界に先駆けてインターネットの無限の可能性に賭ける。当時、日本ではほとんど注目されていなかったこの分野に、彼は積極的に投資を開始。アメリカのYahoo!への巨額出資は、当時「狂気の沙汰」とさえ言われたが、その後のネットバブルの潮流の中で、ソフトバンクの時価総額を爆発的に上昇させ、伝説的な成功譚となった。これにより孫は「インターネット投資の帝王」の異名を取るに至る。
しかし、その道のりは平坦ではなかった。2000年のITバブル崩壊では、ソフトバンクの株価は急落し、社債はジャンク級に格下げされるという最大の危機に直面する。個人資産のほとんどを担保に入れてまで会社を守ったこの時期の決断は、彼の「会社は何があっても守る」という執念と、圧倒的な胆力を示すエピソードとして語り継がれている。彼はこの苦境を、保有資産の売却や事業再編といった痛みを伴うリストラクチャリングで乗り切り、再起への基盤を固めた。
第三章:ビジョンファンドと「AIを核とする集合知」への大転換
復活を果たした後も、孫の野心はとどまることを知らなかった。2016年、彼はそれまでの通信事業者としてのイメージを一変させる史上最大級の投資ファンド「ソフトバンク・ビジョンファンド」を立ち上げる。これは、人工知能(AI)が社会のあらゆる側面を再定義するという確信に基づき、「AIを核とするテクノロジー企業の集合知(Collective Intelligence)を構築する」 という、彼の新たな「300年計画」の要となるものだった。
ファンドは、サウジアラビア政府基金などから巨額の資金を調達し、Uber、WeWork、DoorDashなど、世界のユニコーン企業への大型投資を次々と実行。その規模とスピードは世界に衝撃を与え、孫を「未来を動かす男」としての地位を確固たるものにした。しかし、WeWorkの上場失敗などの挫折も経験し、その「スピード重視・規模重視」の投資戦略は高いリスクを伴う両刃の剣であることも露呈した。
第四章:ARM買収と「次の情報革命」への不退転の賭け
孫正義の未来予測における最重要ピースが、2016年による英国半導体設計最大手ARMホールディングスの買収である。モバイル端末用CPUの設計で世界シェア9割以上を握るARMは、「インターネット・オブ・・シングス(IoT) 」時代の基盤となる「万物の頭脳」と彼が位置づける会社だ。「次の情報革命の中心になるのはARMだ」という確信のもと、ソフトバンクグループを挙げての大型買収を断行。2023年にはARMを再上場させ、大きなキャピタルゲインを実現した。これは、一企業の買収を超え、世界の技術インフラそのものへの支配的影響力を得るための戦略的投資であった。
第五章:伝説を支える哲学と矛盾
孫正義のレジェンドを形作るのは、以下のような独自の経営哲学である。
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「未来を描き、そこから逆算する」戦略思考:30年後、300年後の未来像をまず描き、そこに至るために今何をすべきかを逆算する。
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「起こりうるシナリオのすべてを想定せよ」:意思決定においては、あらゆる可能性を数値化・シミュレーションし、最善・最悪のケースを徹底的に分析する。
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「群戦術」:一つの分野に一点集中するのではなく、関連する複数の企業に同時多発的に投資し、全体としてのシナジーと勝率を高める。
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「失うものは何もない」という起業家精神:自身の全財産を賭けることも厭わない、圧倒的なハングリー精神とリスクテイク能力。
しかし、その伝説の裏側には常に壮大な成功と巨大な失敗が紙一重で隣り合わせであるという現実がある。WeWork問題に象徴されるように、その「スピードと規模」を最優先するスタイルは時に大きな批判を浴び、ビジョンファンドは巨額の損失を計上した時期もあった。彼の「未来予測」が絶対的な成功を保証するものではないことを、自らが証明する局面も経験している。
結語:レジェンドの本質は「未来への執着」
孫正義の商業レジェンドの本質は、単なる富の蓄積や事業の成功にあるのではない。それは、「情報革命が人々を幸せにする」という青年期からの理念を、半世紀近くにわたり、時代の最先端テクノロジー(パソコン→インターネット→モバイル→AI/IoT)に賭け続けることで具体化しようとした、途方もないまでの「未来への執着」 にある。彼は起業家であり、投資家であり、時に夢想家でもある。その判断は常に賛否両論を巻き起こすが、世界の産業地図を変えようとするその圧倒的なエネルギーと、数々の名言に込められた哲学は、次世代の起業家や経営者に「志の大きさ」とは何かを問いかけ続けている。孫正義というレジェンドは、未だ進行形なのである。