読書とは関係のない話だが、


クリスティーナグリミーさんという歌手の方が撃たれて亡くなったというニュースを見た。


それからYouTubeで調べて、ワンリパブリックのcouning starsをカバーしているのを観て、オリジナルの曲も観て、なるほどビッグタレントだなぁ。と思いながらも、射殺されたニュースで知ったのは複雑だった。


日本人にとってあまり射殺というキーワードはピンとこないものだし、もしニュースで出てきたら、国内よりは北朝鮮を想像してしまう。日本に生まれてから銃を握ったことは一度もないし、身の回りに撃たれて亡くなった知り合いもいない。


話が代わって、少し前の深夜にたまたまTVをつけたら、メジャーリーグのプレー集の後にある番組がはじまった、アメリカの高速道路に点在するレストラン「ダイナー」の料理を紹介しながら、そこの客にインタビューをするという番組だった。


そこでバージニア州のダイナーの時の話題がまさに「銃社会」についてだった。10年ほど前にバージニア工科大学で銃の乱射事件が起きて、そこにいた多くの人達が亡くなっている。


ビックリしたのはその人達の事件に関する感想で、


これが日本人であれば、銃なんかあるからそういう事が起きるんだよね。銃なんか規制してしまえばいい。という「銃なんか」説を多数派として議論が進むことと思う。


ところがバージニアはそうではない。全米でも屈指の銃の保有率を誇るバージニアでは、小学生の半分が銃を打った事があり、成人の保有率は70%オーバー、人によっては複数の銃を家に持っているそうだ。


だからこその銃乱射ともいえるが、彼等の見解は、乱射事件の時に銃さえあれば、あいつを撃ち殺せた。銃さえあれば。と「銃さえあれば」説が多勢を占め、事実、事件の後は銃がよく売れたのだという。


典型的アメリカ人というのは、外からの印象ではオープンでありながらも、合理的で冷静な判断を下し、交渉がタフで、自説を曲げない生き物だと思っていたが、この銃に関しての見解はおよそ合理的とは思えない。


これもまた別の機会に目にしたものだが、NRA(全米ライフル協会)という団体の会長が「銃をもった悪いやつを殺せるのは銃をもった良いやつだけ」とか「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」とか、なかなか面白い発言をしていて記憶に残っている。


彼等は俗に言う圧力団体で、政治家に多額の献金をすることによって自分達の政治的主張を認めさせようとする人達である。


上の二つの名言?(迷言?)からもわかる通り、彼等の主張は銃の正当化に集約される。


ただ、この主張にまず誤りがあると思うのだ。


「銃をもった悪いやつ」は「銃をもった良いやつ」にしか撃ち殺せない。


この部分は、そうかもしれない。撃ち殺す事には銃が必要だ。


じゃあそもそも、「銃をもった悪い奴」って誰だ。バージニア州の8割の人間は銃を持っている。どうやって判別する。


銃をもった悪い奴は、誰かに銃を構えて引き金を引こうとした瞬間に発生するのではないか。


つまり、悪い奴だとわかった瞬間には、もう頭に銃は突きつけられているのだから、良い奴の人生はそこで終わる。


手遅れだ。だから、銃をもって銃を制するやり方は合理的ではない。


グリミーちゃんも銃さえなければ死ぬことはなかった…


アメリカは英語でUnited States(州の集まり)という。それぞれが独立していることを示唆しているわけだ。


だから、銃にたいしても、「銃なんか」説がつよくて規制されていたりもするし、「銃さえあれば」説が根強く、銃を推進していたりする。


しかし、合衆国法にはその規定はなく、それぞれの州の意思を尊重している。


こういう悲しい事件を亡くすためには、是非銃規制を全米単位で行ってほしいものである。


読者の皆さんご機嫌よう。といっても、1年以上も更新のないblogを唐突に更新したところで作者など一人もいないのは当たり前だ。即ち、ご機嫌ようというよりは寧ろ、誰もいない家に返ってきた、そんな心境。





とりあえず、今回はこの本から。



Story Seller (新潮文庫)/新潮社




Story Seller、通称SS、シークレットサービスでもシルバースラッガーでもない、でも読書してるなら知ってて当たり前、SS。ぶっちゃけ古い本。





知ってて当たり前の根拠はその顔触れ、伊坂幸太郎、有川浩、本多孝好、道尾秀介など超豪華メンバーにてお送りしている。それぞれの作家にファンがいるだろうってレベル。





実はこれね、姉に借りた。





今回はそのトップバッターの作品、首折り男の周辺の感想文を書くよ。





まずね、最初に言っておきたいけど、のっけからとてつもなく冗長。





なんだよ、なんにも起こらないし、夫婦が隣の男がやばいやつなんじゃないの?って心配してるだけ。





短編のくせに展開が遅い。展開が遅いというよりも 、同時系列でいくつもの視点から書くから、一人視点より進みが遅く感じる。





これでほんまに最後までいけんの?ってそれはもう心配だった。





この短編92頁とやや長い。





70頁まで読んで、こんな感じで続くならこの人の小説は俺には合わんかったのかな。と思い始めた。





昔一冊読んだけど、やっぱりわりとシュールな小説を書く人だったからね。





『首折り男』という男を舞台に周辺を描写するのかな。とタイトルで予想したんだけど





文字通り首折り男の周辺を周辺視点で描いてるというある意味不思議な小説





その中で首折り男は謎の人物であり、誰かの役に立ちたい病であり、ある男のそっくりさんでもあり、いろんな所で伏線を張っていたわけだ。





最後まで読むといかに計算して書かれたものかというのがハッキリする





そういうのを見て、あぁ、やっぱり売れっ子の作家ってこれくらいのことをやれんだな。すげーよな。

って気持ちになった。





特に結びの一文は、この一文を決定打にする為に残りの90頁余りを撒き餌にされたような衝撃がある。





お笑いでいくと、小ボケを重ねるタイプじゃなく、長々やっといて最後にでかく落として、客をはっとさせるタイプ。





まさにシルバースラッガーさながらのここぞの1打が利くピリッとした小説だった。





是非読んでみてください。




Story Seller (新潮文庫)/新潮社

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青空文庫を久しぶりに使い、ランキング22位に来ていたのが梶井基次郎の檸檬。


短編で俺のスマホだと7ページ、実質6ページしかなかった。


体調が悪くなり始めた主人公が行きつけの八百屋で檸檬を見つける小さな幸せ系の話


文に時代を感じる。さすが青空文庫。


正直、なんというか当たり障りのない文章でなぜ22位になっているのかよくわからない。


高校の教科書にでも載ったのだろうか。そんなに面白い話ではない。


うつうつとした日常に檸檬というささやかな非日常を取り込み、主人公だけがそれに満足する。


なかなか感想を持ちづらい、これが教科書にのっていたとして、俺は著者の深淵までは読み取れなかっただろう。







今までに読んだ本はたくさんあるけれど、何かを残す事によって少しでも内容を覚えておきたいと思ったので、これからは読んだ本をちょっと売り込んでみる事にする。


一番最近読み終わった本。神々の山嶺(いただき)


もう20年近く前の小説なのだけど、これは俺にとって特別な本だったのかもしれない。


少し前からロッククライミングをはじめていたので、とはん(岩登り)には多少知識があったので山登りについての本を読もうと思ったのが手に取ったきっかけだ。


主人公はふたりいて、ひとりが語り兼カメラマンの深町、もうひとりは登山家、羽生丈二。


深町の心情を細かく描写、羽生の心情はほぼ描写なしという、対極スタイルで描かれる。


簡単なあらすじはこうだ


深町は自分の人生に悩み、山屋(登山家)をやめようか、そろそろ落ち着いた人生を歩むべきではないのか、と葛藤しながらカトマンズ(ネパールの首都)にいた。


なぜならば、彼は数週間前まで登山隊として仲間たちとエヴェレストの頂上を目指していた時に、7人のメンバーのうち二人が滑落死するのを目撃してしまい、それが脳裏に浮かんでくるからだ。


残った5人のうち、4人は日本に帰ったが、深町はカトマンズにのこる事にした。街を歩いてみると、現地のシェルパ(山岳ガイド)が海外の登山隊が残していった登山道具を売る店がいくつもある。深町はサガルマータ(エヴェレストのネパール名、大空の額の意味)という名前に惹かれその店にはいっていく。そこで深町はあるカメラを発見する。それは1924年にマロリーがエヴェレスト登頂したときのカメラと同型であった。


その後、そのカメラを最初に手に入れたのが、羽生という日本人であることをしった深町は、羽生という人間を自然に追うようになる。


そこで知る事になった、羽生という人間の山に対する執着、情熱。その人生。


自分は山に登りたいのではないか、山をやる人間ではないかと深町は気づく。


羽生の壮大な登山計画に気づいた深町。そのころにはカメラの事より羽生の事ばかり気にかかるようになっていた。


そして深町は羽生を追い山に登る。


ーーーーーーここから感想文


小説という体でありながら、まるで哲学書のような、深町を通して自分とはなんだろうか、と考えさせられるような本だった。


小説中に、生きる事とは、ただ生命を維持することとは違う。というようなことが書かれている。


考えてみれば、何の為にいきているか考えたときに、その目的が生きる為に生きる。では全く人生の味がない。


人生を味わうというのは、やはりもっと高尚な何かではないのだろうか。


大義などはないかもしれないけれど、欲望や野望は常にあるだろうし、自分の願いはなんなのだろうか。


願いがなくなってしまえばやはり生きる為に生きるってことになってしまうんじゃないか。などと、小説を読みながらに長考を余儀なくされた。こんな事は初めてだ。


他にも、「常に、ひとは、けじめのつけきれなかったものを抱えて、次のことにうつってゆかねばならない」など含蓄のある文に、立ち止まらされた。


勿論、話としてもものすごく面白かったのだけど、登山をテーマにしていることで、リアルな描写、特に滑落、凍死には恐ろしいリアルさを感じた。考えが死生感にまで及んだのもその、リアルな死の匂いにあてられた結果だろう。高所ビヴァーク(野宿)の描写の生々しさは是非他の人にも読んで体験してもらいたい。


羽生丈二の手記のシーンが二回あったが、二回とも最初は漢字まじりの文章を書いているのに、体力が低下するにつれひらがなだけの文章になっている。活字なのにそういう恐怖の表現があるのか、と思ったと同時にやはり怖かった。


命の大切さは、やはり死を意識して初めて感じ取ることのできるものなのかもしれない。そういう事を分からせてくれる本だ。

















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