彼目線:2話前半
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信長「昨夜、取り決めた。家康の御殿に貴様を預け、常時見張らせる」
信長の言葉を聞き、綾子が目を見開いていた。
(・・・・・・寝耳に水って顔だな)
(でも、それは俺の台詞だ)
「待ってください、何もそこまでしなくても! 第一、家康さんに迷惑ですし…」
信長「貴様が気にする事では無い」
「でも、家康さんは不本意なんじゃ.....」
(一応、わかってはいるんだ)
信長「家康の意思は関係ない。ただ、適任というだけだ」
戸惑った様子で、綾子が視線を送ってくる。
(ああ・・・・・・めんどくさい)
家康「.....まぬけな顔で人の事じっと見るのやめなよ」
「あっ、すみません」
信長「問題など何もない。だろう、家康?」
家康「.....ええ、そうですね。面倒でうっとうしいってことくらいで」
(・・・・・・本当は、問題以外の何物でもないけど)
(こんなお荷物をしょわされることになるなんて)
(だけど、信長様の命は絶対だ)
(それに、俺がこの子を預かる本当の意義は、理解してる)
(この子は気付いてなさそうだけど)
信長「話は以上だ。大人しく従え、綾子」
「そんな.....」
家康「いいから、さっさと荷物をまとめてきて」
「家康さん.....」
家康「ごねるアンタを、なだめすかす役目まで背負い込むのはごめんだ」
「─── じゃ、城門にいるから」
立ち上がり、家康は振り返らずに部屋を出た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
家康「.....荷物、たったそれだけ?」
「はい、これだけです」
綾子が持ってきたのは、風呂敷包み一つと、珍妙な形に袋だけだった。
(この子は、本当に身一つで、安土城に連れて来られたんだな)
綾子は不安そうな顔で、荷物を胸にぎゅっと抱きしめている。
(・・・・・・なんか、見てられない)
家康は綾子を見据え、手を伸ばした。
家康「.....貸して」
綾子の手から、荷物を取り上げ抱え直す。
(軽いな。わざわざ持ってあげるほどのことは無いけど・・・・・・)
少ない荷物を抱えて身を縮める綾子は、見ていて妙に痛ましかった。
「お気遣いありがとうございます…。でも、自分で持ちますから」
(気遣い・・・・・・?)
礼を追われ、急にての中の荷物がうっとうしく思えてくる。
(そんなんじゃない)
家康「別に、アンタを気遣ってるわけじゃない」
「城下町で人混みにまぎれて逃げ出されたら、俺が困る」
咄嗟に適当なことを言うと、綾子が目を見開いた。
「人混みに紛れて逃げ出す、か…。その発想はなかったです」
(は?)
綾子は感心たように頷いている。
家康「何納得してるの。バカなの?」
感心したような綾子を見下ろし、家康は呆れかえった。
「…っバカではない…と思います」
家康「.....へえ。一応、反論はできるんだね」
(おどおどしてるだけかと思ったら、そうでもないのかな)
(・・・・・・いや、どうでもいいよな、この子が馬鹿だろうとなんだろうと)
「今、なんて・・・・・・」
家康「──…別に。不毛な会話は終わりって言っただけ」
素っ気なく告げ歩き出すと、綾子は大人しく後をついて来た。
大勢の人でにぎわう城下松へ出た途端、綾子が周囲を見渡し、そわそわし始める。
家康「きょろきょろしないで、真っ直ぐ歩きなよ。それとも、本気で逃げ出す気?」
「あっ、いえ...」
綾子は大きく首を横に振った後、前を向いて黙り込む。
(やっと静かになった)
とぼとぼついてくる綾子は、何かを考え込んでいる様子だった。
しばらく進んだ時、綾子がぽつりと呟いた。
「家康さんが私に見張りに適任って.....どういう意味だったんでしょう」
家康「.....は?」
(・・・・・・ああ、さっきのことか)
━━━━────・・・・
「でも、家康さんは不本意なんじゃ.....」
家康「家康の意思は関係なし。ただ、適任というだけだ」
・・・・────━━━━
「家康さんに歓迎されてないことは、わかってます」
「逃げ出さないように見張るなら、他にいくらでも方法があったんじゃないかと思って…」
家康「それは.....」
(本当の事を話しても、仕方ない)
(この子が置かれてる状況が好転するわけじゃないし)
(でも・・・・・・何も知らせないままにしとくと、また色々聞かれそうで面倒だな)
しばらく黙った後、家康は口を開いた。
家康「...アンタの見張りに俺が適任って言葉には、俺も異論しかないけど」
「ただ、役割を割り振った結果、俺になっただけ」
(──話せるとこまで、話しとくか)
家康「今、織田軍は厄介事をいくつも抱えてる」
「前にアンタも聞いてるはずだけど、領土拡大の途上だった」
黙って耳を傾け、綾子が小さく頷く。
家康「西方の勢力を抑えておくため、守りの手勢を割く必要がある。同時に.....」
「本能寺で信長様を狙った賊を洗い出して捕まえないとならない。領土拡大の障害にならないうように」 「それから昨日、アンタを襲った男.....」
「アンタのの情報をどんな経路で入手して、何に利用しようとしてたのか、探り出す必要もでてきた」
「アンタはここへきて日が浅い。なのに、アンタと信長様の繋がりを知ってる人間がいるってことは…」
「...織田軍の情報が、漏れてるってことですか?」
(・・・・・・へえ、救えないほどのバカってわけじゃないんだ)
家康「そういうこと」
「間者がいるのか、外部から遂一行動を探っている奴がいるのか、どっちかはわからないど」
横目で綾子の顔を盗み見ると、唖然として瞬きを繰り返している。
(町娘には縁のない話だし、当然の反応か)
(だけど、織田軍に関わらなきゃならない以上・・・)
(ある程度の状況は把握させとくべきだろうな)
家康「政宗さんが当面、西方の守備増強の指揮を担うことになってる」
「光秀さんは本能寺の一件の捜索。で、秀吉さんと...もう一人の奴が信長様の身辺警護だ」
(三成のことまで詳しく話すことないか)
名前を一人分省き、話しを先に進める。
家康「俺は、アンタを助けたって理由でアンタを狙った浪人の素性の調査をすることになった」
「ついでに、アンタのお守りもね」
「っ…お世話になります」
話を真剣に聞き終えると、綾子は礼儀正しく頭を下げた。
「丁寧に説明してくれて、ありがとうございます」
(・・・・・・お人好しな女。命取りになりかねないくらいに)
(見張られる側が、見張る側に、なんで感謝してんの)
(本当は『見張り』じゃないけど・・・.まあ、いいか。聞き流しとこう)
家康「.....後から色々質問されるのが面倒だからね」
会話が途切れ、黙々と歩くうちに見慣れた自分の御殿へとたどり着いた。
仲へ足を踏み入れた途端、綾子はまた、きょろきょろと辺りを見回し始めた。
(好奇心旺盛なんだな)
(そんな奴に、今日から俺の御殿をうろちょろされるのか・・・・・・)
憂うつが胸に降り積もり、なるべく綾子を視界に入れないようにする。
(出来る限り顔を合わさずに済まそう。世話はもう頼んでるしな)
女中「お帰りなさいませ、家康様。綾子様も...お話は伺っております」
「は、始めまして.....」
出迎えてくれた女中さんが、私を見てにっこり微笑む。
女中「お困りなことがありましたら、何でもお申し付けくださいね」
(妙に嬉しそうだな。まあ、女っけ少ないからな、この御殿)
家康「言っておくけど甘やかす必要は無いよ。くれぐれも外には出さないで」
家康は女中にくぎを刺した後、綾子の手荷物を返した。
家康「アンタの世話は御殿の女中に達に任せてある」
「御殿から出さえしなければ、後は好きにしていい」
「── それじゃ」
返事を待たずに自室へ歩き出すと、背中から綾子の声が追いかけてきた。
「あの! これから、よろしくお願いします...!」
(だから・・・・・・『よろしく』なんて、言われる筋合いないんだよ)
憂うつが、不意に苛立ちへと変わる。
足を止め、家康は首だけ綾子の方へ向けた。
家康「...勘違いしないでくれる?」
「アンタとなれ合う気、ないから」
「え・・・・・・?」
家康「俺は自分の御殿にアンタを住まわせて、側近にアンタを見張らせるだけ」
「アンタ自信と関わり合いになるつもりは一切ない」
「次に顔を合わせるのは、アンタを信長様の元へ返す時だ」
「っ・・・・・・」
冷やかに言い放った言葉を真に受け、綾子の顔が少し青ざめる。
微かに胸が疼くけれど、自分自身の感情の揺れを、無視する。
(可哀想、なんて思わない。その証拠に、)
(俺は、あんたが今ちょっと傷ついた顔してても、全然気にならない)
家康「どうせアンタは、自分の力じゃ逃げられない、せいぜい籠の鳥りなってよ」
家康は今度こそ背を向け、その場を去った。
・・・・・・・
(はあ、どっと疲れた・・・・・・)
自室の襖をきっちり閉じて、文机の前に腰を下ろす。
(あの子と話してると、妙にいらいらする)
綾子が広間に呼び出される直前に、信長と交わした会話が脳裏に蘇った。
━━━━────・・・・
家康「──綾子を俺の御殿に置いて護衛しろ、ですか」
信長「ああ、貴様の報告によれば、綾子を襲った賊は、綾子の名と立場を知っていた」
「俺のそばに留め置けば、また狙われることもあるだろう」
「綾子をおれから遠ざけ、あの女に関する情報が外部に漏れんように遮断する」
(それで、犯人と、その目的をあぶり出そうってことか)
(理屈は分かる。必要性もわかる。でも・・・・・・)
家康「だからって、なんで俺があの女を預からなきゃならないんです」
「世話好きの秀吉さん辺りに任せた方がよっぽど・・・」
信長「いいや、貴様が適任だ」
(え・・・・・・?)
信長「綾子にしてみれば今の状況は、不本意に捕らえられている境遇、といったところだろう」
「そんな人間の心理を一番理解できるのは、貴様だ、家康」
(っ・・・・・・)
信長「アレがまた、見張りの目をかいくぐり逃げださんとも限らん。だが・・・」
「貴様なら適切な扱いを心得ているだろう」
家康「・・・・・・そんな理由で、俺ですか」
苦々しい過去がよみがえり、腹の底でどす黒い感情が渦巻く。
(この人にぶつけるべきじゃない。信長様がただ利害しか考えてないのは、わかってる)
家康「まあ、確かに俺は、『不本意に捕らえられている境遇』なら、誰よりも詳しいですけど・・・」
「なんでそこまで、あの女にこだわるんですか。馬鹿そうで弱そうなのに」
「俺ならさっさと放り出します」
信長「言ったはずだ。俺は、綾子が気に入っている」
「本能寺で綾子は、身一つで俺を敵の手から助け出した。褒美目当てでもなく、無償でな」
「無欲なのか無鉄砲なのか、ただの阿保か、わからんが・・・・・・」
「面白い女だ。手離し難い」
家康「・・・・・・酔狂、としか思えませんね」
・・・・────━━━━
(あの時の感想を覆す気はない。俺なら、放りだす)
(放り出せないなら・・・・・・せいぜい、関わらないでおく)
自分に言い聞かせながら、綾子を凶刀からかばった雨の日の記憶がよみがえる。
━━━━────・・・・
「家康さん、どうしてここに.....っ?」
家康「アンタを連れ帰るのが、今夜の俺の仕事だ」
「不本意だけど── アンタの命は俺が預かる」
「死にたくなかったらじっとしてなよ」
・・・・────━━━━
恐怖で見惹かれた瞳が、くっきりと脳裏に焼き付いている。
一瞬、幼いころの自分が、重なって見えた。
(・・・・・・・・・・・・だから、何)
震える誰かを温めるために、優しく差し伸べる手など、持ち合わせてはいない。
(そうでもいい相手に構って、わき見してる余裕、俺にはない)
(いずれ事件が解決すれば、あの子は御殿をでていく)
(それまで出来る限り関わらないようにするだけだ)
ようやく心が静まり、家康は目を通さなければならない書簡に手を伸ばした。
その一方で、綾子が助けられたことに心から感謝し、
家康に恩返ししようと決心していることなど、思いもせずに。
・・・・・・・
──翌日の早朝。
家康「・・・・・・・・・・・・?」
廊下へ出た家康は、奇妙な光景を見て足を止めた。
(あれは・・・・・・)
家康「.....なんで廊下に這いつくばってんの、アンタ」
「あっ」
雑巾を手にしゃがんでいた綾子は、『しまった』という顔をしたあと、
「な、なんでもないです!」
慌てて顔を背けて、雑巾がけをしながら奥へと走り去った。
家康「.....何あれ」
(座敷童かと思った・・・・・・)
通りかかった女中に事情を問いただすと、微笑ましい顔で彼女が答えた。
女中「私たちのお手伝いを買って出て下さったんですよ。どうすても、と仰って聞かなくて…」
家康「手伝い...?」
(なんでそんな余計なことを・・・・・・)
はあ、とため息をついて、家康はピカピカに身ががれた廊下を辿り、歩き出した。
(できるだけ関わりたくないけど、やめさせないと)
(あの調子でうろちょろされたら、目障りでしょうがない)
・・・・・・・
綾子の姿はすぐに見つかった。
廊下の行き止まりで、綾子は床磨きを続けていた。
家康「ねえ、ちょっと」
「わ・・・・・・っ」
振り向いた綾子は、慌てて手に持っていた雑巾を背中に隠し、立ち上がる。
(それで隠してるつもりなの・・・・・・?)
「お、おはようございます」
家康「聞いたよ。何のつもりで掃除なんかしてるの」
「っ・・・・・・これは、ですね.....」
「少しでも、恩返ししようと思って.....」
家康「は?」
「家康さんには、命を助けてもらったので」
家康「── 呆れた」
(自分を見張ることになった相手に、恩返しなんて、聞いたことないよ)
(やっぱり本物のバカかもな、この子)
家康「俺は、アンタの見張りだってこと、わかってる?」
「向う見ずに逃げだそうとしてくせに、諦めがいいんだね」
「.....っ違います。その方が良いと思ったから、私の意思で逃げるのをやめたんです」
家康「え...?」
「一人で逃げ出しても行く場所もないし、逃げ切る力もないし」
「私が逃げたら迷惑を掛けちゃう人がいる。だから── ここで、頑張って暮らします」
(・・・・・・何だよ、それ)
(自分の境遇を、受け入れるとでも言いたいの)
「もう、逃げませんから」
けなげに顔を上げる綾子に、妙に心を揺らされる。
家康「.....そう」
(俺は──こんな風に腹を決めたりできなかった)
(受け入れたら、即座に食い荒らされただろう。国も、誇りも)
(・・・・・・境遇が似てるって言ったって、この子と俺じゃ天と地ほども違うんだな)
安心したような、さらに疎ましさが増したような、落ち着かない心地になる。
そんな感情を振り払うように、背を向けて歩き出す。
「あの! 邪魔にならない用意しますから、手伝い、続けていいですか?」
(まだ言うの)
苛立ちが募り、振り返る。
家康「── 別に、好きにしなよ」
「ついでに言っとくと、俺自身は、アンタが逃げないって決めたこともどうでもいい」
「え・・・・・・?」
家康「勝手にすれば。どのみち俺は.....」
「弱い奴には、興味ないから」
(そうだ、興味なんかない。なのに・・・・・・妙に落ち着かない気分にさせられる)
(だから、アンタにはこれ以上、関わらない)