読解力は役に立つか?
「読解力とは何か」という項目で、(学校で言われる)読解力は受験用語に過ぎないからテストの点だけ考えるなら、読解力という言葉に惑わされず、試験テクニックを身につけると考えた方がいいと書きました。
ところが最近、図書館でたまたま「中学生のための読解力を伸ばす魔法の本棚」という本を見ました。10年ほど前の本で、このような本はたくさんあると思いますので、たまたま目に入っただけで、特にこの本がどうということはないのですが。
面白かったのはその中で読解例として、「走れメロス」の読解がしてあったのですね。どういう読解かというと、メロスが短剣をもっていたのは彼が牧人だったからとか、満天の星空はメロスの一点のくもりもない決意を表現しているとか。
「いや、そうとは限らんだろ」と思うところもある一方で、ああなるほど、と感心もするわけです。自分だったらそこまで深くはとらえず、ストーリーだけ追ってしまうだろうな、と。
これは確かに読解といえば読解といえる。深く読んでいるといえる。こうした読み方ができない場合と比べてると、より「読解力がある」といえるのかもしれない。こういう読解力は、本当に役にたたないのか? 役にたたないとしても、自分は確かに感心した。では、意味があるのではないか?
と自問しました。私と同じことを感じる方もいるかと思い、この項目を作ったわけです。
まず、こうした類の読解力は、単純に書かれた内容を理解するという以上の、一種の解釈の要素があると思います。少し読解力としては「高級」なものになると思います。「読解力とはなにか」の最初の方で、坪田信貴さんの定義を書きました。あれです。試験では、そこまでは求められない力です。「読解力」といってもいいですが、「解釈力」といってもよいです。
さて、こうした読解ですが、私の考えを先に書けば、
「アウトプットできるなら役にたつ」
という結論になりました。
どういうことか?
説明するよりも例を挙げてみます。そのほうがわかりやすいと思うから。
どういう例かというと、私自身が「読解できた・した」という例です。
といっても、小説ではなく、ドラマ・映像です。
こうした読解・解釈は、小説でなくてもできるのです。要は、ストーリーを単に流すのではない、もっともらしい解説ができるかどうかです。
ただ、少し例としては古いですが。
例① Around40~注文の多い女たち~
もう10年以上前のドラマです。天海祐希さんが主演されました。たまたま見ていました。そこで、第1回目に印象的なシーンがあります。天海さん演じる40手前で独身の主人公が、「私このまま結婚せずに一生過ごすの?」と自分の生き方に疑問をもちつつ、趣味の温泉旅行に一人で行く。それで、帰りの電車に乗り遅れるのです。「待って~!」と電車に向かって必死に走るのだけれども、無情にも電車は駅を出発してしまう。去っていく電車を見てもう追いつけないと悟った主人公は、その場に座り込んで号泣するのです。
このシーンを読解するなら、電車は彼女の今の人生を象徴しているわけです。「結婚に間に合わない・(いわゆる)普通の幸せに乗り遅れてしまった」ということを表現して、だから主人公の号泣は単に電車に乗りそこなった悲しみではないわけです。
例② 青天を衝け
これは今年のドラマ。最初のころ、こういうシーンがありました。父の代理で代官所に行った渋沢栄一が、威張るだけの代官から五百両の御用金の準備を命じられ、納得がいかないまま差し出すのですが、土下座をしながらも自身の主張を述べるあたり。このとき、天気は激しい雨が降っているわけです。わかりやすいですね。この雨は、怒りなのかなんと表現すべきかわかりませんが、やはり栄一の、穏やかならぬ心のうちを表現している、と解釈するのが自然でしょう。あるいは当時の無慈悲・理不尽な社会状況が雨に形を変えて栄一の体を打っている、とも解釈できます。史実としては実際はのどかな春の日だったかもしれないけれど、ドラマでそういう風景をみせることで、緊迫した感じが伝わってくるわけです。
例③ 映画「アナと雪の女王」
大ヒット映画ですね。好きな方もいると思います。
これのどこが感動的か。私の解釈では、これが姉妹の話だからです。普通は恋人同士の話になりがち。恋人が相手のために身を投げ出すとか、恋愛の力ですね。恋愛は、どうしても使い古された部分があるし、背後に性がからむ。キスシーンとかで終わるとか。この映画は、姉妹の愛です。そこが、なんとなくだけど、恋愛よりも純粋な愛を感じさせる。
正確にはこれは読解ではありません。純粋な解釈に近い。でも、読解と同じ作業をしていると考えていいと思います。
いかがでしょうか? 「そんな読解なら自分にもできるよ」という方もいれば、「自分はこう解釈したけど」という方もいらっしゃると思います。ただ、「そういう解釈の仕方があるのか」と少しは感心した方は、3つも読んだら飽きてくるのではないでしょうか。「だからなに?」と。
結局、こうした読解・解釈って、ウンチクといっしょではないでしょうか。最初は「へえ~」「そうなんだ~」と感心もするし、得をした気にもなる。実際、ウンチクという知識が増えるのは悪いことではない。それと同じで、新しい解釈を知ることで、新しい見方・視野を得ることに、一種の新鮮さを感じるのだと思います。
けれど、ウンチクばかり話している人と話をしていて、おもしろいでしょうか?
会話というのは会話そのものを楽しむものであって、知識や視野を広げることばかりに傾いていたら、会話の楽しさって、減っていくと思うのです。
アナと雪の女王を出しましたが、私のように解釈できる人とアナ雪の話をしたいですか? それよりも、「いいよね、あれ!」「あのシーンが好き!」とか一緒になって盛り上がったり主題歌を歌ったりしたほうが、楽しくないですか?
「ウンチクといっしょ」と書いて、まさにそうだと思いました。単なる知識のままでは、何の意味もない。ちょっと会話に花を添える程度です。それ以上の役にたつとすれば、その知識を実際に使う場がないといけない。単なる知識ではなくて、「こういうことがあるから、こうしたほうがいい」と生活に反映されないといけない。
例えば、「桃の皮は、最初に包丁でぐるっと切って半分にしたあとで手でむくと、きれいにむける」とか、「魚の内臓は口から割りばしをつっこんでぐるぐる回すときれいにとれる」とか。こういう知識を私は知っていますが、実際は桃を買うことも釣りをすることも、そもそも料理をほとんどしないので、まったく役にたっておりません。そんな話を、料理をしない人にしても無駄です。でも料理をする人に教えてあげたら、それは役にたつと思います。
読解も同じです。アナ雪(小説でもなんでもいいですが)の読解をして、私がもし映画とかドラマとか劇とか、そういう「クリエイティブな」仕事に関わっていたら、作品作りのとき、提案できるでしょう。「アナ雪の魅力は姉妹愛にあると思うので、次の作品はそれを参考にして兄弟の話とか、あるいは同性同士の友情の話にしたらどうだろうか」とか。
つまりそれは、アウトプットということです。誰かに伝えて、そこから何かを生み出すことができれば読解は役にたつと思います。ただ解釈しているだけなら下手をすると「うざい」となるだけです。
ここから先は読まなくてもいいのですが、「げんしけん」というマンガがあります。いわゆる大学の漫研的なサークルの話なのですが、その1巻に、このようなシーンがあります。そのサークルの部員たちがマンガについてああだこうだ「批評(=解釈)」をしている。そこに彼氏がそのサークル部員なので仕方なくつきあってそこにいる女の子(気が強い)がいて、退屈そうにしているわけです。とそこに、新しく入部希望の女の子が見学に来るのですが、その子がアメリカからの帰国子女という設定。そしたら、その気の強い女の子が急に元気になって英語で話し始めるわけです。帰国子女の子が「わーすごいですね、完璧に通じます」と英語で言い、気の強い方は「気にしないで。こいつら自分が頭いいと思ってるだけだから」と、そこにいてマンガの批評をしていた部員たちを馬鹿にする。その背後で部員たちは、なんとも気まずそうな顔をしているわけです。
何がいいたいかというと、まさに解釈(読解)の無力さを象徴しているなあ、と(これも読解ですが)。えらそうに作品の批評をしても(批評の中身のうまい下手はあるにせよ)、結局英語(英語でなくてもいいのですが)という実学の前ではかすんでしまうわけです。読解がよほどに上手であれば、それだけで聞く価値はあるのかもしれません。そういうことを職業にする人を、評論家というわけです。でも一般人は、その域までは達しないと考えた方がいいでしょう。
<まとめ>
・高度な読解力は解釈力とイコールである
・そうした読解力は、ウンチクと同じである
・ウンチクが新しい知識を増やすのに対し、読解力は視野の面で、新しい視野・考え方を提供する可能性がある
・ウンチクと同じということならば、ウンチクと同様、それが実生活に役立つ生かされることになって初めて役に立つ。ただ会話しているだけなら、ちょっとしたスパイスにはなるが、そればかりだと聞いている方はうんざりするだろう
・つまり読解が役に立つのであれば、アウトプットすることが必要
さて、私のこのブログも、結局は「読解力とはなにか」とかを自分の考えで解釈しているわけで、そういう意味では読解力だらけではあります。そういう意味では、うざいかもしれません(ごめんなさい)。
ただ、自分で今まであれこれ考えてきて、ある程度の結論に達したとき、昔からもやもやしていた「読解力」とか「小説問題」とかいった言葉の意味がすっきりしました。私と同じように、そうしたもやもやをずっと引きずってきた人がいるのではないか。そういう人に、「こう考えたらすっきりしませんか?」と思ったのです。これは「すっきりしてもらえる」という意味で、人の役に立つかもしれない。ということで、このブログは私なりのアウトプットなのです。
<一応終了>