さて、これからはもう少し気楽に(雑に)、あと、多少の主張をいれたことを書きたいと思います。

ただし、私の個人的日記ではないので、これを読む方にとって、(考え方や見方、生活上のことで)有益であるような内容を、と思っています。

 

今回は、上記のことです。

私の子どものころから、「給食は完食」という、なにか不文律のようなものはありました。

当時はあまり、気にもしてませんでしたが。そういうものかな、と。

 

今の私は、この、給食完食を美徳とするような見方に、断固反対しています

(別に普段学校に乗り込んでいって主張しているわけではありませんが)。

特に、クラス全体で給食を完食しよう、というのが反対です。

 

親野智可等さんも同じように反対されているので、そうした反対論がもっと広まって、給食完食のスローガンなどバカバカしい、ということになってくれればいいと思っています。

 

私よりは親野智可等さんの方が何度も繰り返し、あるいは重要な論点を書いておられるので、興味のある方はそちらをぜひどうぞ。

 

私が給食完食に反対する一番の理由は、それが子どもの健康に悪いし、

なによりそれで子どもが亡くなっているからです。

 

2012年に調布市で、当時小学校5年生だった乳製品アレルギーの女の子が、

チーズ入りチヂミをおかわりして、その後アレルギーで亡くなりました。

亡くなるまでの経緯としては、担任教諭の確認ミスとか、エピペンを打つ判断の遅れとか、いろいろな要因が重なったようです。

 

しかし、アレルギーへの対応どうこうの前に、

私が問題に思うのは、その子におかわりをさせた、ということです。

 

いや、もちろん表面上はその子がおかわりを申し出たことになっています。

しかし、これは調べれば簡単にわかることなのですが

(例えばこれ:給食と食物アレルギーを考える(上) 東京・死亡事故の母語る 「理解深め見守りを」|【西日本新聞me】 (nishinippon.co.jp) )、

実はその子は普段はおかわりしない子だったそうです。

 

その先はわかりますね?

 

その学校だかクラスだかに、「給食完食」という集団目標があったのです。

それで、チヂミは普段から給食メニューとしては人気がなく、あまっていた。

それをご丁寧にも担任の先生が、「誰か食べる人はいないか?」と教室内を歩いて回ったらしい。

その子は、クラスに貢献したい、という気持ちでおかわりを希望したそうです。

 

給食完食などというスローガンがなければ、

その子はおかわりなどしなかったと思います。

だって担任が誰かおかわり志願者を募るまで、欲しいとはいってないのですから。

 

こんなばかばかしいことで、一人の人間の命がなくなるのは、許せないと思います。

私に言わせれば、また子どもを持つ親からすれば、

極端な話、自分の子どもの命が無事であるためならば、

給食なんてどれだけでもあまらせるべきです。

そうではないですか?

 

結果的にはこの事故は、

子どもの命の危険性よりも給食完食を重視したために起きた、

という見方もできるのです。

 

私は声を大にして言いたい。

 

給食完食って、子どもの命を危険にさらしてまで頑張らなきゃいけないほど価値のあることか?

 

くり返しますが、たとえ1人の子どもの命にとっても、です。あたりまえですね?

10人亡くなったら大変だからやめましょう、じゃないんです。

こんなくだらないことで、1人でも亡くなるのは、あってはいけないはずなのです。

 

この事故に対し、2013年、調布市立学校児童死亡事故検証委員会が

調布市立学校児童死亡事故 検証結果報告書

というのを出しており、その概要版がネットでも見られます。

 

調布市立学校児童死亡事故検証結果報告書概要版 (mext.go.jp)

 

その報告はざっと見る限り、丁寧な検討がなされているとは思いました。

そして、「事故発生の要因」のところには、

「しかし,担任は食育の推進という視点から給食を完食するという目標達成のあまり,おかわりがもたらす影響について注意を怠った。」

とまでは書いてある。

 

ところが、「事故防止への提言」のところになると、

「給食指導に関する提言 担任は食物アレルギーがあり除去食対応が必要な児童がいる場合,日常から 様々な対応に心掛けるとともに,命の教育の充実や人権尊重の教育等をとおし て,児童がいじめられることがないよう,教育的指導及び配慮を行うこと。」

という具合で、給食完食という目標達成の妥当性への疑問はおろか、担任が過剰に目標達成に拘泥する姿勢への問題提起すらなされていない。

 

(考えてみれば、この担任もある意味では被害者です。よい教師だったかどうかはともかく、子どもを死なせたいとは思っていなかったはずです。それがこんなことになってしまって、その後の人生にあとをひかないわけがありません。メンタル的に、今でも先生ができているのかどうか、心配にすらなります。そして、今も先生をしているとすれば、決して給食完食を目標にはしないでしょう。)

 

ここまででもう給食完食反対は完璧(というか、命の前には給食完食側の根拠があまりに脆弱)だと思いますが、もう少し、理屈的に詰めてみます。

 

最近は食育とかフードロスとも絡めて、

「食べ物を無駄にしないために私たち(子ども)ができることは」

という感じで給食完食がスローガンになることもあるようです。

そういう内容がどこかの中高一貫校の入学試験(適性検査)で、

生徒同士の会話という形で問題文に挙げられていたようで、さすがに唖然としました。

そこまで給食完食の妥当性について疑問をもたないとは。

 

理屈上、給食を完食するのは不自然なのです。

子どもが無理して食べないとクラスで完食はできないのです。

つまり、完食は、子どもの体に負担がかかる

いいかえれば、給食は、クラス全体ではあまるのが必然なのです。

 

なぜか?

 

まず考えてみましょう。

フードロスを防ぐ一番シンプルで、個々人が取り組める方法はなにか。

 

簡単です。

自分が食べれそうな分だけ、とること。注文すること。

 

ところが、です。

給食というのは、ひとクラス単位で配られるわけです。

であれば、ひとクラス分が食べれそうな量をあらかじめ調節しておくべきです。

 

そうでなければおかしい。

 

必要量以上を割り当てておいて、「完食しないとフードロスになる」「悪いことだ」というのは責任転換

です。

食べる方が悪いのではなくて、勝手に盛り付けた方の問題

です。

 

ところが、集団というのは、どうしても急な人数の増減が生じます。

急用である人が参加できないこともあれば、飛び入りで誰か入ることもある。

そして、学校のクラスというのは、欠席で減ることはあっても、増えることはありません

急な欠席に対し、いくらなんでもその日のそのクラスの給食の割り当てを調節するのは不可能です。つまり、どうしてもクラス全体の給食量は、余剰にならざるを得ないのです。

 

加えて、給食を食べるのは子ども、ということを考慮しなければいけません。

 

大人であれば、パーティーの食事の量が全体で少な目であっても、我慢できます。

それに、パーティーなんてその時1回限りのことですし。

帰りにどこかに寄って小腹を満たすことも簡単にできます。

子どもは育ちざかりです。

食べたい子はもっと食べたいし、必要量が不足する、というのはやはり避けたい

であれば、多めに作らざるを得ないでしょう。

逆からいえば、そんなにフードロスをさけたい、給食完食させたいのであれば、

クラス全体の量を少なめにすればいいのです。

しかし、それはまずいとみんな思うはずです。

給食完食は達成できても、確実に空腹をかかえた子どもが何人か出る、という状況というのは。

だから、配膳する量は、どうしても多めになる。

そしてそれを、完食しようという。

 

今の給食完食は、過剰にならざるを得ない給食を必要以上に詰め込んで完食させる、という異常な事態にほかならないのです。なんでそれが美談のイメージなのか。

 

(ここで思いついたブラックジョークとしては、先生たちもクラスの一員として配膳してもらうのではなく、先生たちだけの給食にして、先生たちは先生たちで完食を目指す、ということをやってみたらいいと思います。どれだけ無茶なことを子どもに要求しているか、すぐにわかる。)

 

こう考えると、今の「給食完食=善」という神話は、フードロス対策や食育とはむしろ反するとさえいえると思います。

 

フードロスの基本である、必要なだけととる、という、「自分に必要な量」というのがわからなくなる。

 

自分に必要な量というのは自分で経験をつんで把握するしかありません。

それが、自分よりもクラス全体(他人)のことを気にして量を考えないといけないのだから、自分にとって必要な量を感覚的につかむのがおろそかになる。

 

食育的にも、上記したように、クラス全体としては絶対に過剰な量が配布されるのですから、クラス全体で完食すれば基本的にはカロリーオーバーの量をとることになる。望ましいはずがありません。

 

 

だいたいフードロスを気にするなら、学校で完食することにこだわらずに、自宅に持ち帰りOKにすればいいんです。

 

 

おなかいっぱいでちょっと苦しいときに「給食完食の目標のため」と無理してその場で食べるのと、とっておいて後でおなかが空いたときに食べるのと、どっちが食べ物を大事にしてるかって話です。

 

日本ではなかなか普及しませんが、いわゆる外食でのドギーバッグが良いといわれているのといっしょの理屈です。

 

親野智可等さんも強調されているのですが、子どもは体格も個人差が大きいし、その日の体調もあるし、時期によって小食だったり食べるのが遅いとかいろいろなのですから、それを一様に決まった時間内に必ず完食しろ、というのは不自然なのです。

 

「子どもだと自宅持ち帰りOKにしたとき、途中で食べたりとか食中毒とか何かと面倒」というなら、その指導をする方がよっぽど食育になります。

 

こんな簡単なことがわからず、いつまでたっても給食完食主義がまかりとおって疑問の声が小さいのが腹が立ちます。

くりかえしますが、人の命がかかわっているからです。

だから腹が立つのです。

 

それにしても、私の子どもの頃もやはり完食絶対という感じでしたが、

自分の分だけ完食すればよかったような気がします。

クラス全体の連帯責任のような傾向になっているようなのも、気になります。

 

<おしまい>