『本を読むことは、愛の器を広げることにはならない』
と、ある教育担当者がいっていて唖然とした。

まさか、
『余計な事を勉強するな!』
とでもいいたいのだろうか。

別のある人から私に、
「余計な知識を入れすぎている」
といわれた事がある。

納得する点としては、
私は『普段の生活には直接関係しない、社会的教養(歴史や文化)や経済学』の本ををよく読んでいるので、
「読むことより、仕事ややらないといけないことに取り組め」
という事。

納得していない点としては、
「私に学問の自由はないんですか?」
という事。

私は学問の自由を手放さないし、よい人間関係をつくる事と同じくらいに勉強することは大切だと思っている。

勉強する事はよい人間関係をつくる事に役立つし、きちんと正当な学問を勉強する事で「何が適切で、何が間違っているか」がわかると思っているのだが、
この考えは、間違っているのだろうか?

あと、余談だが
聖書からの教訓で、
『カナンの地の人々が作っていた文化に、イスラエル民族が染まった為に彼らは堕落した』
だから、
「現代の私たちも、現実社会の文化に染まらないようにしましょう」
というものがある。

この考えって、原理主義的な極端な捉え方をすると
『現実世界を否定して革命を起こし、新世界を築こう♪』
という、まるで共産主義の
『革命でお金持ちと権力者をみな打ち倒して、新世界を築こう♪』と似たような考えにならないか?

もちろん、
『現実世界のよくない文化に、染まらないようにしましょう!』
なら理解できる。

教義や宗教的教訓は、原理主義的に厳密に捉えると反社会行動につながる可能性が高いので、
(反社会的行動の分かりやすい例としては、共産主義組織が行った殺人・暴力革命未遂事件・プロパガンダの流布による大衆煽動など)
現実社会と整合性を取りつつ、実践するのがいいのではないかと思っている。

以上、最近の出来事に対する私の疑問と考えでした。