アドラーによる素晴らしい人生を送るためのヒント
マル激トーク・オン・ディマンド 第688回
ビデオニュース・ドットコムhttp://www.videonews.com
での話がダイヤモンド・オンラインに載っていた。
ダイヤモンド・オンライン
自己啓発の源流「アドラー」の教え
【第14回】 2014年7月29日
アドラー心理学が教える
幸せに生きるための3つのヒントとは?
宮台真司×神保哲生×岸見一郎 鼎談第2弾(後編)
http://diamond.jp/articles/-/56538
「幸せに生きるための3つのヒント」とは、
「普通であることの勇気」「人生の嘘」「今この瞬間を生きる」
― と、ある。
これらで思い出すのが、
昔読んだ池波正太郎氏の「武士(おとこ)の紋章」という短編。
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『武士の紋章』(池波正太郎 / 新潮文庫)
(表題作は歴史読本」昭和42年6月号掲載らしい)
織田信長の重臣・滝川一益の孫にあたる
滝川三九郎一積(かずあつ)がこの短編の主人公。
慶長八年(1603年)伯耆の国、米子十八万石の少年領主、
中村伯耆守一忠と近臣に、家老の横田内膳村詮(むらあき)が斬殺される事件があり、
これを契機に家中で血みどろの戦いとなる大騒動があった。
若殿方の仕業を不服とした横田一門とその家来衆は、
米子城内の横田家屋敷のある「内膳丸」にたてこもる。
“ 米子城は、島根半島と弓ヶ浜半島にかこまれた中海にのぞむ湊山(みなとやま)に
きずかれてい、この山の一峰が飯ノ山だ。
この飯ノ山の[内膳丸]にたてこもった者は、内膳の息子・横田主馬之助以下、
足軽なども加えて約二百といわれる。
この中に、柳生五郎左衛門宗章(むねあき)がいた。
五郎左衛門は、かの柳生石舟斎宗厳(むねよし)の四男にあたる。
いうまでもなく柳生新陰流の道統をつたえる剣士のひとりであるし、
その豪勇無双は知る人ぞ知るといわれるほどの人物であった。
ときに、柳生五郎左衛門は三十七歳。
中村家の武士たちも、この剣士に学ぶ者が多い。
その中でも滝川三九郎一積(かずあつ)は、
五郎左衛門がもっとも嘱望している若者であったが、
米子城の内外が騒ぎ立つ中に、大身の槍をかいこんだ柳生五郎左衛門が
滝川三九郎の屋敷へ駆けつけ、玄関口で三九郎と、あわただしい別れを告げた。
「三九郎殿、わしは中村家の禄を食むものでもなく、横田家の臣でもないが、
諸国をまわって武芸修行をおこなううち、亡き横田内膳殿のあつき知遇をうけ、
あまりのい心地のよさに、ついつい一年に近い月日をここに送った。
おぬしもききおよんだであろうが、いまこのとき、指をくわえて傍観もなるまい。
それに……こたび内膳殿横死については、
十八万石の太守の仕業としてはわしが胸にすえかねるふるまい。
ゆえに五郎左は、これより内膳丸へたてこもり横田一族の味方するが…
…三九郎殿はいうまでもなく本丸へ馳せつけられよう。いざ、これまで」
と、柳生五郎左衛門がにっこりとしていい放つと、滝川三九郎も、
「お言葉、かたじけなく存じまする」
叫ぶようにこたえた。
「いざ相まみゆるときは、いさぎよくな」
「心得まいてござる」
「では……」
「はい」”
二.
翌日、中村一忠の援軍要請を受けた隣国出雲・富田の堀尾吉晴勢五百三十余が
本丸方へ加わり、[内膳丸]へ武装解除を求めるが、横田派は若殿の謝罪を要求。
仲裁を試みた吉晴の三度にわたる交渉もものわかれに終わる。
“ ついに、夜に入って戦闘の火ぶたが切って落された。
鎧こそつけぬが物々しい武装に身をかためた[本丸]方七百余名が、
ひしひしと[内膳丸]を包囲するや、
「えい、おう。えい、おう!」
[内膳丸]の内で、主君の討ち手を迎えた横田方が悪びれもせず、
いっせいに鬨の声をあげる。
諸方で篝火が燃え立つ。
「それ、打ちかけよ!」
物頭の佐藤半左衛門、藤江蔵人以下百五十名が、
先ず [内膳丸] の表門と小門を打ちこわしにかかるや、
横田方から高井左吉衛門が十余名をひきいて躍り出し、
猛然と十文字槍をふるって突撃して来た。
あとは、乱戦となった。
多勢をたのみ、押し込んでくる [本丸] 方に曲輪門を破られ、
横田方は、どっと内膳屋敷内へ引き退く。
「かまわぬ、火を放て!」
というので、屋敷へも火がかかる。
柳生五郎左衛門が単身、大身の槍をつかんであらわれたのは、このときであった。
「いざ、まいられい」
屋敷門を背に槍をかまえた五郎左衛門の立派さを敵も味方も知らぬものはない。
それだけに、
「先ず、それがしが……」
殿さまの侍臣・遠山小兵衛が槍を合わせたが、たちまちに突き伏せられた。
次は今井某が槍をつける。これも股を突かれて引き下がるとき、
「ごめん」
吉田左太夫といって、中村家の臣のうちでも槍術ではきこえた勇士が進み出た。
二合、三合、烈しく突き合ったかと見る間に、
「えい!」
裂帛の声と共に、吉田の長槍は宙天にはね飛んでいた。
火の粉が舞う門前で、この決闘を敵も味方も息をのんで見まもっている。
「お相手つかまつる」
と、ここへ滝川三九郎が太刀をぬきはらって出た。
小柄ではあるが、きびしく引きしまった体躯で、
平常は [ねむり猫] とよばれている温和な顔貌もさすがに緊迫していた。
「三九郎殿か……」
柳生五郎左衛門は、三九郎が獲物は太刀と見て、槍を門扉へ立てかけ、
これも太刀を抜いてかまえる。
互いに間合いをつめ合い、二間をへだてて停止したとき、
「三九郎殿、いまこのときを忘るな」
と、五郎左衛門がいった。
「よいか、武士(もののふ)の一生は束の間のことぞ」
「はっ」
「その束の間を、いかに生くるかじゃ」
「おお」
「まいれ」
二人の体躯が地ひびきをたてて飛びちがい、
刃と刃が宙にきらめき、
「えい!」
片ひざをついた柳生五郎左衛門が、
すくいあげるように滝川三九郎の左の太股を薙ぎはらった。
転倒する三九郎へ、五郎左衛門は二の太刀を打ちこまず、
「それ、今じゃ!」
門の内へ声をかけると、塀の上に鉄砲をかまえていた二十余名が、
すさまじい一斉射撃をおこなったものである。
絶叫と悲鳴があがり、つめ寄せた [本丸] 方が、どっと後退するのへ、
「まいるぞ!」
柳生五郎左衛門は太刀をふるって長槍の柄を半分に切り断ち、
これを左手に、太刀を右にかまえつつ、
「柳生新陰の極意、とくとごらんなれ」
一気に、むらがる敵勢の中へ斬って入った。
「なるほど、柳生流とは、このようなすさまじいものであったか」
と、この夜の五郎左衛門の奮闘によって柳生の名が天下に再認識されたといわれる
ほどの働きぶりをしめしたのち、五郎左衛門はついに討死をとげたのである。
しかし横田方の奮戦の物凄さには手のつけようがなく、
たまりかねた堀尾吉晴が総攻めをかけ、これがため、
「もはやこれまで」
横田主馬之助は自殺し、横田屋敷焼亡と共に、騒乱も熄んだ。
ところで……。
「師は、わざと己の息の根をとめなんだ。
もそっと生きてみよとのお心があったからであろう、
武士の一生は束の間、とあの夜、師はおおせられたが……」
かいがいしく手当をする妻の於妙(おたえ)に、
「束の間の一生、生きてみるか」
と、笑いかけた。
五郎左衛門に斬られるつもりでいたのである。
三九郎の妻於妙は、真田昌幸のむすめで、かの真田幸村の妹にあたる。
この真田親子が、関ガ原大戦の折には西軍に組し、そのため家康から追われて、
紀州・九度山に隠棲していることは世に知らぬものはない。”
三.― では、三九郎・於妙夫婦のこれまでが、かいつまんで記される。
四.― では、三九郎は徳川家旗本として江戸へ移る場面となる。
“「妙、今度は将軍じきじきの家来になれと申す。あは、は、はは……」
「では、江戸へ……?」
「うむ。いやか?」
「いやも好きもござりませぬ。わたくしはあなたさまのあるのみにござります」
「おれは、もう何処にいて何をしても同じような心がしている。
あの夜、柳生五郎左衛門殿に、この太股を割られたときから、
ふしぎに、わがこころが楽々としてまいってな」
「それは……?」
「わが師の遺言。武士たるものの一生は束の間のことと申された、
その御こころが何とのうわかる気がしてまいった」
「何処にて何をなさろうとも、ただ滝川三九郎という男があるのみ
……このことにござりまするか?」
「いかにも」
三九郎は莞爾として妻を見やった。
「それゆえにこそ、何も思いわずらうことがのうなったのよ。
おれは何処にいてもおれのすることを為す。
そこのところを思いきわめれば束の間の一生、楽なものだ」
滝川夫婦は、かくして沈没前の中村丸から下船して、江戸表へ向った。
…(中略)…
それより十年後…。
あの大阪戦争が起こった。”
五.― 大御所・家康の旗本として大阪城攻めに参加した三九郎は、
冬の陣後の休戦時、真田河内守信吉(於妙の兄・信幸の長男)の陣内で、
真田幸村と初対面するのだが、ここでの遣り取りが、また実に良いです。
“うなずいた幸村の視線が、信吉の背後にひかえている滝川三九郎へとまった。
信吉がそれと気づき、
「叔父上、滝川三九郎殿にござります」
引き合わせるや、真田幸村の面上に、
こぼれるばかりの親愛の情をたたえた笑いが浮きあがってきた。
「そこもとが滝川一積殿か……」
「はじめて御目通りつかまつる。滝川三九郎にござります」
「おお……」
幸村の双眸は、感動にかがやいていた。
座にいることが耐えられぬように、幸村が三九郎に近づきしっか(原文傍点つき)
と両手を差しのべて、こちらの手をにぎりしめ、
「於妙がこと、くれぐれもたのみまいらせる」
と、頭をたれたものである。
自分と亡父・昌幸の徹底した徳川への反抗のために、徳川方にいる親族のすべてが
肩身のせまいおもいをしていることを、幸村はじゅうぶんにわきまえていた。
夕暮れとなり、幸村が城へもどるのを滝川三九郎が見送って出るや、
その左足を引きずって歩む義弟の姿に気づき、真田幸村が、
「三九郎殿。その左足のほまれの傷が、柳生五郎左衛門殿が名残の太刀にござるか?」
「いかにも」
「うらやましきこと。恩師がいつも、そこもとの左足に宿っておらるる」
「はい」
「では、これにて」
「ごめん下されましょう」
「三九郎殿。おそらくはふたたび、戦さがはじまろうが、
そのときこそ、そこもととは槍を合わせねばなるまい」
と、いったのは、来るべき再会戦を幸村は察知していたものであろう。
そのときこそ、三九郎と槍を合わせるというのは、
幸村が家康の本陣へ決戦をいどむつもりだ、といったわけである。
「うけたまわりました」
三九郎も、このまま徳川・豊臣の両家に平和がつづくとは考えていない。
果して、翌元和元年五月……。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本文はこのあと夏の陣~六、七と続くが、とりあえず写経はここまで。
[内膳丸]での三九郎と柳生五郎左衛門とのやりとりや、
その後の三九郎・於妙夫婦の会話などは
アドラーの「幸せに生きるためのヒント」に通じるようにも思える。
歴史小説なので、会話の部分などはおそらく作者の創作もあるだろうから、
池波正太郎氏の中にアドラー的な志向があったということかな。
「よいか、武士(もののふ)の一生は束の間のことぞ」
「その束の間を、いかに生くるかじゃ」
という柳生五郎左衛門の台詞は武士道そのものとも言えそうで、
サムライ・ジャパン!
ニッポン・万歳!!
となってしまいそうだが、
英国出身のアニー・ハズラムさん(元ルネッサンスというバンドのVo.)
も以前、同様のことを言ってたりする。
―「人生は短いから、毎日を正しく生きなくちゃと思うの」―
この「正しさ」を巡っては、また悩ましいところもありますが、
マル激の鼎談でのやりとりもヒントになるか。
“岸見 その目標は「他者貢献」なんですね。
自分のしていることが最終的にそこに向かっていることさえわかっていれば、
あまり思い煩ったり迷ったりすることはないのです。”
“宮台 社会学には「期待するから期待外れに打ちのめされる」というテーゼがあります。
「未来のために現在を犠牲にしたのに、
望んだ未来が到来しないのでバックラッシュして……」というのはよくある話。
そうならないために……と人間的に頭を使い、
「チンパンジーのように現在を生きつつ、人間的に未来を志向する」
というのがアドラーの推奨でしょう。”
※:「チンパンジーのように~」は、P7‐「今この瞬間を生きる」ことの本当の意味
で触れている
“以前、京都大学霊長類研究所の松沢哲郎教授に興味深い話を伺いました。~”
の部分からの関連。
まとめると・・・キース・リチャーズ・・・だな。
“今だ。(あなたにとって完璧な幸福とは?という質問に対し)”
これだけだと「チンパンジー的現状肯定」みたいだけど、
“もっと大きな共同体の利害を考える必要”
ということにも繋がるこういう言葉もキース・リチャーズ bot にある。
“ナショナリズムやいわゆる愛国心を排除するなんて無理な話だよ。
大切なのは、地球はひとつだって考えを広げることさ。
それが考えるべき大切なことだと思う”
アドラーの話から池波正太郎作品を回想してたら、
やっぱキース・リチャーズだよな ― となってしまった。
我が恩師(の一人)の言葉を思い出す。
“だから・・・皆一緒なのよ・・・此処(胸)にあるもんはね。”
(あの時、師が言った「皆」は特定の範囲の人達のことと思われるが、
ここは敢えて拡大解釈しておこう)
『嫌われる勇気』の冒頭には
「世界はどこまでもシンプルである」
‐とある。
ビデオニュース・ドットコム
ニュース・コメンタリー (2014年07月19日)
国会質問で見えてきた集団的自衛権論争の核心部分
ゲスト:木村草太氏(首都大学東京都市教養学部准教授)
http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/003380.php
で、
7月15日の参議院での審議からの模様を中心に議論してたので
7月14日の衆議院での北川一雄議員(公明党)
と横畠裕介(内閣法制局長官)の遣り取りも確認したいところ
ですが、
議事録ちっともUPされないので文字お越し
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&u_day=20140714
衆議院TVインターネット審議中継
開会日 : 2014年7月14日 (月)
会議名 : 予算委員会 (7時間18分)
案件:
予算の実施状況に関する件(外交・安全保障政策について)
説明・質疑者等
二階俊博(予算委員長)
●北側一雄(公明党)
答弁者等
大臣等(建制順):
安倍晋三(内閣総理大臣)
○横畠裕介(内閣法制局長官)
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●北側 一雄
我が国の防衛というのはですね
我が国の自衛隊と、
そして日米安保条約に基いて、我が国に駐留します米軍、
まぁこの2つの実力組織によってですね、我が国防衛を果たしていく。
これが基本の考えですよね。
で、今総理の仰ったですね
安全保障環境が大きく変化する中で
我が国防衛のための日米防衛協力体制を
より実効性のあるものに
また信頼性のあるものに
していくことがですね私は今一番大事なことなんだろうと
いう風に思っております。
この問題につきましては、
後で具体的に安全保障上の必要性についてですね、
ぜひ論議をさせて頂きたいと思いますので、
その中でですね、また改めて総理と議論させて頂きたいという風に思っております。
そこであの、今回のこの問題というのはですね、
安全保障上の必要性がどこにあるのか―という問題と、
もう一方で、憲法9条に関するこれまでのですね、政府解釈があります。
それとの整合性がちゃんとはかられているのか―という問題と
この2つのですね問題があるんですね。
そこで、あの、今日は内閣法制局長官来て頂いておりますので
私はその辺の整合性の問題についてですね
ぜひ憲法の番人で御座います内閣法制局長官のですね
答弁をぜひ頂きたいと思っているところで御座います。
憲法9条のもとではですね、
憲法9条のもとで一体自衛の措置っていうのは何処まで認められるんだ
―と、いうことなんですけどね、
これ憲法9条には書いてないんですね。
自衛の措置が何処まで出来るんだって書いてないんです。
1項で戦争の放棄、
2項で戦力の不保持
―を定めております。
自衛の措置が何処まで出来るかって、
何も書いていないわけで御座います。
この9条のもとで自衛のための武力の行使が
どのような要件のもとで許されるのか―と、いうことをですね、
この憲法9条解釈について緻密な論議をしてきたのは正しくこの場なんですね。
この国会と、そして政府側とのですね、
永年の間の遣り取りの中でですね
この9条の解釈というのはつくられて参りました。
最高裁判所も残念ながらこの問題については直接判断をしておりません。
ま、よく出されます昭和34年の「砂川判決」なんですけども、
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※「砂川判決」
最高裁判例 http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=55816&hanreiKbn=02
事件番号 昭和34(あ)710
事件名 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う
刑事特別法違反
裁判年月日昭和34年12月16日
法廷名 最高裁判所大法廷
裁判種別 判決
結果 破棄差戻し
判例集等巻・号・頁
刑集 第13巻13号3225頁
裁判要旨
一 刑訴規則第二五四条の跳躍上告事件において、審判を迅速に終結せしめる必要上、
被告人の選任すべき弁護人の数を制限したところ、
その後公判期日および答弁書の提出期日がきまりかつ弁護人が公判期日に弁論をする
弁護人の数を自主的に〇人以内に制限する旨申出たため、
審理を迅速に終結せしめる見込がついたときは、
刑訴第三五条但書の特別の事情はなくなつたものと認めることができる。
二 憲法第九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、
日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、
深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、
前文および第九八条第二項の国際協調の精神と相まつて、
わが憲法の特色である平和主義を具体化したものである。
三 憲法第九条第二項が戦力の不保持を規定したのは、
わが国がいわゆる戦力を保持し、
自らその主体となつて、これに指揮権、管理権を行使することにより、
同条第一項において永久に放棄することを定めた
いわゆる侵略戦争を引き起すことのないようにするためである。
四 憲法第九条はわが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない。
五 わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために
必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であつて、
憲法は何らこれを禁止するものではない。
六 憲法は、右自衛のための措置を、
国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事措置等に限定していないのであつて、
わが国の平和と安全を維持するためにふさわしい方式または手段である限り、
国際情勢の実情に則し適当と認められる以上、
他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではない。
七 わが国が主体となつて指揮権、管理権を行使し得ない外国軍隊は
たとえそれがわが国に駐留するとしても憲法第九条第二項の「戦力」には該当しない。
八 安保条約の如き、
主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、
違憲であるか否の法的判断は、
純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査に原則としてなじまない性質のものであり、
それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、
裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。
九 安保条約(またはこれに基く政府の行為)が違憲であるか否かが、
本件のように(行政協定に伴う刑事特別法第二条が違憲であるか)
前提問題となつている場合においても、
これに対する司法裁判所の審査権は前項と同様である。
一0 安保条約(およびこれに基くアメリカ合衆国軍隊の駐留)は、
憲法第九条、第九八条第二項および前文の趣旨に反して違憲無効であることが
一見極めて明白であるとは認められない。
一一 行政協定は特に国会の承認を経ていないが違憲無効とは認められない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「砂川判決」で言っておりますのは、
“自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために
必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有のこと”
―と、まぁ少しは触れてるんですが、
何処まで許されるのか―という肝心なことについてはですね、言ってないんですね。
この永年のですね数多くの政府の答弁、
この第一委員会でされたと思うんですね、政府の答弁があります。
当時の総理、当時の内閣法制局長官、外務大臣、防衛大臣、等々がですね、
ず~と答弁をしてきているわけでございますけども、
この中で極めて論理的に答弁をしている最初の政府見解というのが、
先程も話題に出ておりました
1972年―昭和42年10月に参議院決算委員会に提出された
内閣法制局作成の
「集団的自衛権と憲法との関係」という、ま、資料で御座います。
もう40年以上前に国会に提出されたもので御座います。
え~、委員の皆様には御手元にですね、この「'72年見解」について配っておりますが、
ま、2枚のですね非常に簡潔な資料で御座いまして、
これあの、2枚なんですが、
3つの段落、そして6つの文から構成をされております。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「'72年見解」 ・・(3つの段落と6つの文 ― は、おそらく下記のような区分)
[1972年]第69回国会 昭和47年10月14日 参議院・決算委員会提出資料
(第1段落)
“国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、
すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、
自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、
実力をもって阻止することが正当化されるという地位を
有しているものとされており、
国際連合憲章第51条、日本国との平和条約第5条(C)、
日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文
並びに日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言3第2段の規定は、
この国際法の原則を宣明したものと思われる。
そして、わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、
主権国家である以上、当然といわなければならない。
(第2段落)
ところで、政府は、従来から一貰して、
わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、
国権の発動としてこれを行使することは、
憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されない
との立場に立っているが、これは次のような考え方に基くものである。
(第3段落)
憲法は、第9条において、
同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、
前文において「全世界の国民が....平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、 また、第13条において「生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
......国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることから、
わが国がみずからの存立を全うし
国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、
自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために
必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。
しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、
右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、
それは、あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が
根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、
国民のこれらの擁利を守るための止むを得ない措置として、
はじめて容認されるものであるから、
その措置は、右の事態を排除するためとられるべき
必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。
そうだとすれば、わが憲法の下で武カ行使を行うことが許されるのは、
わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、
したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする
いわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第一段落の冒頭ではですね
「いわゆる集団的自衛権とは何か」ってことについて
記述をしておるのでありまして、
冒頭言っておりますのは
“国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、
すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、
自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、
実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有している”
―と、まぁ、集団的自衛権のですね定義を、まず冒頭でしておりまして、
そして第3段落―ここが一番ポイントなんですが、
その末尾のところで、結論を書いておりまして、
その結論というのは
“いわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。”
―こう言っているわけで御座います。
この'72年見解のですね、ポイントは第3段落のところにあると思います。
第3段落は3つの文から構成されているんですが
パネルで少し用意をさせて頂きました。
このですね、’72年見解のポイントをですね
まず、長官にですねお話をして頂きたいと思います。
○横畠内閣法制局長官
この昭和47年の政府見解は憲法弟9条のもとにおいて
例外的に許容される武力行使についての考え方を詳細に述べたものであり、
その後の政府の説明もここで示された考え方に基くもので御座います。
そこでこの昭和47年の政府見解でございますけれども、
お示しのパネルの通りでございまして、
まず一つ目として、
“憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、
いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において
「全世界の国民が......平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、
また、第13条において「生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
......国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることから、
わが国がみずからの存立を全うし
国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、
自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために
必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。”
―としております。
この部分は、御指摘のありました砂川事件の最高裁判決の
“わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために
必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使として、
当然のことと言わなければならない。”
という判事と軌を一にするものであります。
次に2番目でございますが、
“しかしながら”と、言いまして、
“だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、
右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、
それは、あくまでも外国の武力攻撃によって
国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が根底からくつがえされるという
急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの擁利を守るための止むを得ない措置として、
はじめて容認されるものであるから、その措置は、
右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。”
として、このような極限的なものに限って、例外的に
自衛のための武力の行使は許される―という基本となる論理を示しております。
3つ目でございますが、
その上で結論として
“そうだとすれば、わが憲法の下で武カ行使を行うことが許されるのは、
わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、
したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする
いわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
―として、先の基本論理に当て嵌まる極限的な場合としては
わが国に対する武力攻撃が発生した場合に限られる
という見解が述べられているもの―と、理解されます。
●北側 一雄
数ある政府見解、9条に関する政府見解の中のですね、
この47年見解はベースになるものだという風に私は理解をしておりますが、
問題はですね、問題は、当然我々国会に居る者はこれまでの政府見解というものを
尊重しなければなりません。
で、具体的に、これまでの政府見解のベースになっております
今、長官からお話頂いた'72年見解と、整合性をですね、
図っていかないといけないという風に思うわけでございます。
そこであの、今回の閣議決定の中のですね、
自衛権行使の3要件、新しい3要件について、
閣議決定の中には記されております。
憲法9条の下で許容される自衛の措置として、
(パネルの)左側の方が従来、いえ現在の3要件でございます。
そして右の方が今回の閣議決定で示された新しい3要件であるわけでございます。
どこが違うのかということをまず、あの、説明したいと思うんですが、
第一要件のところが従来は
①我が国に対する急迫不正の侵害があること
だけだったんですが、今回、新しい3要件では、
この赤い字でございますけども、それだけに限らず、
①…我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、
これにより我が国の存立が脅かされ、
国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される
明白な危険がある場合
というのが第一要件に新たに入ってまいりました。
で、更に第2要件も少し違っておりましてですね、
第2要件は従来は
②これを排除するために他の適当な手段がないこと
としか言ってなかったんですが、間にですね、
②我が国の存立を全うし、国民を守るために
他に適当な手段がないとき
という風にですね入っておるわけです。
第3要件は同じでございます。
この先程、説明して頂いたこれまでの政府見解のベースであります
'72年見解と、この新しい3要件、閣議決定で決められた新しい3要件との間に
論理的な整合性がちゃんとあるのか、確保されているのか、
それについて、長官の御答弁を御願いしたいと思います。
○横畠内閣法制局長官
今般の閣議決定は
憲法弟9条の下でも、例外的に自衛のための武力の行使が許される場合がある
という昭和47年の政府見解の基本論理を維持し、
その考え方を前提として、
これに当てはまる極限的な場合は
我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られる
としてきたこれまでの認識を改め
“我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、
これにより我が国の存立が脅かされ、
国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合”
もこれに当る―としたものであり、
その限りにおいて、ま、結論の一部が変わるものでございますが、
昭和47年の政府見解の基本論理と整合するものである
と考えております。
●北側 一雄
この新しい3要件というのはですね、
総理、まぁ今回の閣議決定の中の
9条の下で許される自衛の措置の中のですね
一番肝要な部分がこの新3要件になるわけでございます。
これは当然のこととしてですね、
これはあの、
我が国が例外的に憲法9条の下で武力の行使が許される―
その要件を定めているわけでございますので、
今後検討されてくるですね、
法案、法整備の中で、きっちりこの新3要件というのは、
条項、条文の中に書き込まれるものだと、
私は認識をしております。
長官、如何ですか?
○横畠内閣法制局長官
今般の閣議決定を受けて具体的にどのような法整備を行うかについては
内閣官房を中心に検討が開始されたところであると承知しております。
具体的な法整備の検討はこれからで御座いますが、
新3要件は、御指摘の通り、
憲法上許容される武力の行使の要件そのもので御座いますので、
実際の自衛隊の行動の法的根拠となる自衛隊法等の中に、
その趣旨を過不足なく規定すべきものと考えております。
●北側 一雄
それでは、もう少しちょっとあの各論の話をさせて貰いたいんですが、
この新3要件でですね、
一つポイントのところは、
“他国に対する武力攻撃が発生し、
これにより―”
ま、このあとですね
“我が国の存立が脅かされ、
国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合”
―と、ここを定めてるわけで、
単に“密接な他国が武力攻撃があった”というだけじゃ駄目なんですね。
これによって
“我が国の存立が脅かされ、
国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合”
―でなければ、自衛の措置は許されないわけで御座います。
え~、そこでね、ここがまぁ非常に大事なとこだと思うんですが、
この「根底から覆される」と、
「国民のこれらの権利(国民の生命、自由及び幸福追求の権利〉が根底から覆される」
とはどんな状況を言うのか、
また、
「明白な危険がある」と言ってます。
これはあの、防衛法制の中にはこの「明白な危険」というのが
6箇所で使われてるんですけれども
この「明白な危険がある」っていう言葉がですね、
どういう事態を指してるのか、
どんな要素からそれが判断されるのか、
そこをね長官にぜひ、これはきっちり答弁して頂かなければいけないと思ってます。
あの~よくね、要件が曖昧で、
“時の政府が恣意的に判断するのではないか”―と、
ま、そういう御批判もあるわけでありまして、
ここは長官、しっかり明確な答弁を、ぜひ御願いしたいと思います。
○横畠内閣法制局長官
先程も御答えした通り、
新3要件は昭和47年の政府見解における基本論理を維持し、
その考え方を前提としたものであり、御指摘の
“他国に対する武力攻撃が発生し、
これにより我が国の存立が脅かされ、
国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある”
という部分は、
昭和47年の政府見解の
“外国の武力攻撃によって
国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が
根底からくつがえされるという急迫、不正の事態”
―に対応するものでございます。
これまで我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみが、
昭和47年の政府見解に言う
“外国の武力攻撃によって
国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が
根底からくつがえされるという急迫、不正の事態”
に当ると解して来た―ということを踏まえると、
第1要件の
“我が国の存立が脅かされ、
国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある”
とは、
他国に対する武力攻撃が発生した場合において、そのままでは、
即ち、
その状況の下、国家としての、まさに究極の手段である武力を
用いた対処をしなければ国民に
我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な、深刻、重大な被害が及ぶことが
明らかな状況である
―ということを言うものと解され・・・ます。
いかなる事態がこれに該当するかは
個別具体的な状況に即して判断すべきものであり、
あらかじめ定型的、類型的に推測することは困難でありますが、
何れにせよ、この要件に該当するかどうかについては
実際に他国に対する武力攻撃が発生した場合において、
事態の個別具体的な状況に即して
主に、
攻撃国の意思、能力、事態の発生場所、その規模、態様、推移などの要素
を総合的に考慮し、
我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、
国民が被ることとなる犠牲の深刻性、重大性などから、
客観的、合理的に判断することになります。
なお、「明白な危険」というのは、
その危険が明白であること、
即ち
単なる主観的な判断や推測等ではなく、
客観的かつ合理的に疑いなく認められるものである
ということ―と、解されます。
●北側 一雄
今の御答弁ですね、非常に大事な御答弁になると思います。
今ね長官、口頭で喋られたんでなかなかですね、
サっと意味を理解するのは難しいかもしれないですが、
今仰ったのはですね、
我が国が武力攻撃を受けた場合と同様の―「同様の」―
深刻、重大な被害が及ぶことが明らか―と仰ってるんですね、
また、
我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、
国民が被ることとなる犠牲の深刻性、重大性などを
客観的に判断していくんだという風に仰って、
今の御答弁は、
政府の恣意的な判断が入る余地は無いってことですね?
そいうことで理解をしたいと思っております。
次にですね、この第2要件なんですねぇ、
この第2要件も新たにこの
“我が国の存立を全うし、国民を守るために”っていう言葉が入りました。
これは何故その、今の3要件と比べて、
このような要件が入ったのかと、
これは私、重い意味があると思ってるんですね、
同じ閣議決定でですね、この中で、
こういうところが御座います。
“この「武力の行使」には、
他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、
憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、
すなわち、
我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容される(ものである)”
―と、これは何を言っているかというと、
専ら他国の防衛を目的とした自衛の措置は出来ませんよ―と、
あくまで、あくまで自国の防衛のためのですね、
そういう目的を持った自衛措置に限られますよ、
それもやむを得ない時に限られますよ―っていうことをですね、
言ってる要件だと私は理解しますが、
長官、如何でしょうか?
○横畠内閣法制局長官
第2要件におきましては、
この度第一要件で、
他国に対する武力攻撃を契機とするものが加わったことから、
これまでの、単に
“これを排除するために他の適当な手段がないこと”
としていたのを改め、
“これを排除し、
我が国の存立を全うし、国民を守るために
他に適当な手段がないこと”
―とし、
他国に対する武力攻撃の発生を契機とする武力の行使についても
あくまでも我が国を防衛する為のやむを得ない自衛の措置に限られ、
当該他国に対する武力攻撃の排除、それ自体を目的とするものではない。
ということを明らかにしているものと、考えております。
●北側 一雄
他国に対する武力攻撃の排除、それ自体を目的とするものは入らないんだ―と。
という御答弁でございました。
そうしたことは許されない―と、いう御答弁でございました。
次にですね、この新しい3要件というのは
先程の47年見解―'72年見解ございますね、
この'72年見解はですね、「集団的自衛権」て言葉が4回使われてましてねぇ、
そのうち3回までは「いわゆる集団的自衛権」って言ってるんですね。
で、もう1回が「右の集団的自衛権」って言ってまして、
すべて、あの、形容詞が付いてんです。
「いわゆる集団的自衛権」、
この3つのですね、先程の新しい3要件は、
47年見解に言っている
「いわゆる集団的自衛権」の行使を認めたものかどうか、
ここは、如何ですか?長官。
○横畠内閣法制局長官
昭和47年見解における「いわゆる集団的自衛権」は
まさにその集団的自衛権全般を指しているもの―と考えます。
その意味で丸ごとの集団的自衛権を認めたものではない
という点においては、今回も変わっておりません。
今般の閣議決定は、国際法上、集団的自衛権の行使が認められる場合の全てについて
その行使を認めるものではなく
新3要件の下、あくまでも、
我が国の存立を全うし国民を守るため、
即ち我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として
一部限定された場合において、
他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とする
武力の行使を認めるに留まるものでございます。
このような、我が国を防衛するための
やむを得ない自衛の措置としての武力の行使は
閣議決定に御座います通り、
国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合がある―ということで御座います。
しかしながら、それ以外の自国防衛と重ならない他国防衛のために
武力を行使することが出来る権利として
ま、観念される
ま、ちょっと「いわゆる」というのが先程の
'72年見解とぴったり同じであるかどうかは・・・アレですが、
そのように観念される「いわゆる集団的自衛権」の行使を認めるものでは御座いません。
●北側 一雄
先程、高村副総裁も仰っておられましたが
国連憲章51条にいうですね
集団的自衛権、フルサイズの集団的自衛権の行使を認めたものではありません。
で、そういう他国防衛のみを目的とした
そのような自衛の措置をとることは
これはですね
憲法9条から禁止をされているわけで御座いまして、
それは今も変わりは無いということと理解をしております。
更に今回の閣議決定の中でですね、こういうところがあるんですね、
この昭和47年見解―'72年見解をずーっと示した後にですね、
“この基本的な論理は憲法9条の下では、
今後とも維持されなければならない。”
「この基本的な論理」―1972年の基本的な論理というものは
憲法9条のもとでは、今後とも維持されなければならない。
と言う風に言っておるわけで御座います。
私は今回の閣議決定は
憲法の解釈の一部の見直しでは御座いますが、
そもそもこの憲法9条のですね、規範、まぁ歯止めと言っていいかもしれない、
憲法9条の規範は維持されてるんですかね、
この新しい3要件の下で
今回の閣議決定というのは
憲法9条のこれまでの規範というものを維持しているのかどうか、
また、先程申し上げた、閣議決定でですね、
“この基本的な論理は憲法9条のもとでは、
今後とも維持されなければならない。”
と言ってる通りですね、憲法9条のもとで例外的に許される
自衛の措置の限界というものをですね、
今回明らかにしたもので御座いまして、
「いわゆる集団的自衛権」の行使を容認することは
これは、解釈では出来ない、
憲法の改正でしか出来ない―という風に言ってる部分だと思いますけども、
長官如何ですか?
○横畠内閣法制局長官
今般の閣議決定は平和主義を具体化した規定で御座います憲法弟9条の下でも
「極限的な場合に限っては、例外的に自衛のための武力の行使が許される」
という、先程御紹介も御座いました、
昭和47年の政府見解の基本論理を維持し、
その考え方を前提としたもので御座います。
その意味でこれまでの憲法第9条を巡る議論と整合する
合理的な解釈の範囲内のものであり、
憲法の基本原則である平和主義を些かも変更するものではない
―と考えております。
その意味で昭和47年の政府見解の基本論理を維持し
今回の閣議決定に到ったわけで御座いますけれども
そこで示されました新3要件を超える―
ま、それに該当しないような武力の行使につきましては
現行の憲法第9条の解釈によっては
これを行使するということを認めることは困難であると考えておりまして、
そこに及ぶ場合には憲法改正が必要であろう
―と考えております。
●北側 一雄
憲法解釈の話でなかなかなかですね
TV御覧になられてる国民の皆様が分かり難いところもあったと思いますが、
今日の長官の御答弁は、今後ですね
法整備をしていくに当りまして私は、
基本となる答弁をして頂いてるわけで御座いまして、
非常に重要な意味を持っているという風に思っております。
そこで、あの、総理――――――(以下後日)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考リンク
憲法第9 条と集団的自衛権 - 国立国会図書館
主 要 記 事 の 要 旨. レファレンス 2011.11. 2. 憲法第 9 条と集団的自衛権. ―国会 答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る―. 鈴 木 尊 紘.
www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/pdf/073002.pdf
ニュース・コメンタリー (2014年07月19日)
国会質問で見えてきた集団的自衛権論争の核心部分
ゲスト:木村草太氏(首都大学東京都市教養学部准教授)
http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/003380.php
で、
7月15日の参議院での審議からの模様を中心に議論してたので
7月14日の衆議院での北川一雄議員(公明党)
と横畠裕介(内閣法制局長官)の遣り取りも確認したいところ
ですが、
議事録ちっともUPされないので文字お越し
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&u_day=20140714
衆議院TVインターネット審議中継
開会日 : 2014年7月14日 (月)
会議名 : 予算委員会 (7時間18分)
案件:
予算の実施状況に関する件(外交・安全保障政策について)
説明・質疑者等
二階俊博(予算委員長)
●北側一雄(公明党)
答弁者等
大臣等(建制順):
安倍晋三(内閣総理大臣)
○横畠裕介(内閣法制局長官)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●北側 一雄
我が国の防衛というのはですね
我が国の自衛隊と、
そして日米安保条約に基いて、我が国に駐留します米軍、
まぁこの2つの実力組織によってですね、我が国防衛を果たしていく。
これが基本の考えですよね。
で、今総理の仰ったですね
安全保障環境が大きく変化する中で
我が国防衛のための日米防衛協力体制を
より実効性のあるものに
また信頼性のあるものに
していくことがですね私は今一番大事なことなんだろうと
いう風に思っております。
この問題につきましては、
後で具体的に安全保障上の必要性についてですね、
ぜひ論議をさせて頂きたいと思いますので、
その中でですね、また改めて総理と議論させて頂きたいという風に思っております。
そこであの、今回のこの問題というのはですね、
安全保障上の必要性がどこにあるのか―という問題と、
もう一方で、憲法9条に関するこれまでのですね、政府解釈があります。
それとの整合性がちゃんとはかられているのか―という問題と
この2つのですね問題があるんですね。
そこで、あの、今日は内閣法制局長官来て頂いておりますので
私はその辺の整合性の問題についてですね
ぜひ憲法の番人で御座います内閣法制局長官のですね
答弁をぜひ頂きたいと思っているところで御座います。
憲法9条のもとではですね、
憲法9条のもとで一体自衛の措置っていうのは何処まで認められるんだ
―と、いうことなんですけどね、
これ憲法9条には書いてないんですね。
自衛の措置が何処まで出来るんだって書いてないんです。
1項で戦争の放棄、
2項で戦力の不保持
―を定めております。
自衛の措置が何処まで出来るかって、
何も書いていないわけで御座います。
この9条のもとで自衛のための武力の行使が
どのような要件のもとで許されるのか―と、いうことをですね、
この憲法9条解釈について緻密な論議をしてきたのは正しくこの場なんですね。
この国会と、そして政府側とのですね、
永年の間の遣り取りの中でですね
この9条の解釈というのはつくられて参りました。
最高裁判所も残念ながらこの問題については直接判断をしておりません。
ま、よく出されます昭和34年の「砂川判決」なんですけども、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※「砂川判決」
最高裁判例 http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=55816&hanreiKbn=02
事件番号 昭和34(あ)710
事件名 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う
刑事特別法違反
裁判年月日昭和34年12月16日
法廷名 最高裁判所大法廷
裁判種別 判決
結果 破棄差戻し
判例集等巻・号・頁
刑集 第13巻13号3225頁
裁判要旨
一 刑訴規則第二五四条の跳躍上告事件において、審判を迅速に終結せしめる必要上、
被告人の選任すべき弁護人の数を制限したところ、
その後公判期日および答弁書の提出期日がきまりかつ弁護人が公判期日に弁論をする
弁護人の数を自主的に〇人以内に制限する旨申出たため、
審理を迅速に終結せしめる見込がついたときは、
刑訴第三五条但書の特別の事情はなくなつたものと認めることができる。
二 憲法第九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、
日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、
深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、
前文および第九八条第二項の国際協調の精神と相まつて、
わが憲法の特色である平和主義を具体化したものである。
三 憲法第九条第二項が戦力の不保持を規定したのは、
わが国がいわゆる戦力を保持し、
自らその主体となつて、これに指揮権、管理権を行使することにより、
同条第一項において永久に放棄することを定めた
いわゆる侵略戦争を引き起すことのないようにするためである。
四 憲法第九条はわが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない。
五 わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために
必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であつて、
憲法は何らこれを禁止するものではない。
六 憲法は、右自衛のための措置を、
国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事措置等に限定していないのであつて、
わが国の平和と安全を維持するためにふさわしい方式または手段である限り、
国際情勢の実情に則し適当と認められる以上、
他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではない。
七 わが国が主体となつて指揮権、管理権を行使し得ない外国軍隊は
たとえそれがわが国に駐留するとしても憲法第九条第二項の「戦力」には該当しない。
八 安保条約の如き、
主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、
違憲であるか否の法的判断は、
純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査に原則としてなじまない性質のものであり、
それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、
裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。
九 安保条約(またはこれに基く政府の行為)が違憲であるか否かが、
本件のように(行政協定に伴う刑事特別法第二条が違憲であるか)
前提問題となつている場合においても、
これに対する司法裁判所の審査権は前項と同様である。
一0 安保条約(およびこれに基くアメリカ合衆国軍隊の駐留)は、
憲法第九条、第九八条第二項および前文の趣旨に反して違憲無効であることが
一見極めて明白であるとは認められない。
一一 行政協定は特に国会の承認を経ていないが違憲無効とは認められない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「砂川判決」で言っておりますのは、
“自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために
必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有のこと”
―と、まぁ少しは触れてるんですが、
何処まで許されるのか―という肝心なことについてはですね、言ってないんですね。
この永年のですね数多くの政府の答弁、
この第一委員会でされたと思うんですね、政府の答弁があります。
当時の総理、当時の内閣法制局長官、外務大臣、防衛大臣、等々がですね、
ず~と答弁をしてきているわけでございますけども、
この中で極めて論理的に答弁をしている最初の政府見解というのが、
先程も話題に出ておりました
1972年―昭和42年10月に参議院決算委員会に提出された
内閣法制局作成の
「集団的自衛権と憲法との関係」という、ま、資料で御座います。
もう40年以上前に国会に提出されたもので御座います。
え~、委員の皆様には御手元にですね、この「'72年見解」について配っておりますが、
ま、2枚のですね非常に簡潔な資料で御座いまして、
これあの、2枚なんですが、
3つの段落、そして6つの文から構成をされております。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「'72年見解」 ・・(3つの段落と6つの文 ― は、おそらく下記のような区分)
[1972年]第69回国会 昭和47年10月14日 参議院・決算委員会提出資料
(第1段落)
“国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、
すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、
自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、
実力をもって阻止することが正当化されるという地位を
有しているものとされており、
国際連合憲章第51条、日本国との平和条約第5条(C)、
日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約前文
並びに日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言3第2段の規定は、
この国際法の原則を宣明したものと思われる。
そして、わが国が、国際法上右の集団的自衛権を有していることは、
主権国家である以上、当然といわなければならない。
(第2段落)
ところで、政府は、従来から一貰して、
わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、
国権の発動としてこれを行使することは、
憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであって許されない
との立場に立っているが、これは次のような考え方に基くものである。
(第3段落)
憲法は、第9条において、
同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、
前文において「全世界の国民が....平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、 また、第13条において「生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
......国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることから、
わが国がみずからの存立を全うし
国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、
自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために
必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。
しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、
右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、
それは、あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が
根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、
国民のこれらの擁利を守るための止むを得ない措置として、
はじめて容認されるものであるから、
その措置は、右の事態を排除するためとられるべき
必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。
そうだとすれば、わが憲法の下で武カ行使を行うことが許されるのは、
わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、
したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする
いわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第一段落の冒頭ではですね
「いわゆる集団的自衛権とは何か」ってことについて
記述をしておるのでありまして、
冒頭言っておりますのは
“国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、
すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、
自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、
実力をもって阻止することが正当化されるという地位を有している”
―と、まぁ、集団的自衛権のですね定義を、まず冒頭でしておりまして、
そして第3段落―ここが一番ポイントなんですが、
その末尾のところで、結論を書いておりまして、
その結論というのは
“いわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。”
―こう言っているわけで御座います。
この'72年見解のですね、ポイントは第3段落のところにあると思います。
第3段落は3つの文から構成されているんですが
パネルで少し用意をさせて頂きました。
このですね、’72年見解のポイントをですね
まず、長官にですねお話をして頂きたいと思います。
○横畠内閣法制局長官
この昭和47年の政府見解は憲法弟9条のもとにおいて
例外的に許容される武力行使についての考え方を詳細に述べたものであり、
その後の政府の説明もここで示された考え方に基くもので御座います。
そこでこの昭和47年の政府見解でございますけれども、
お示しのパネルの通りでございまして、
まず一つ目として、
“憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、
いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において
「全世界の国民が......平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、
また、第13条において「生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
......国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることから、
わが国がみずからの存立を全うし
国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、
自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために
必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。”
―としております。
この部分は、御指摘のありました砂川事件の最高裁判決の
“わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために
必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使として、
当然のことと言わなければならない。”
という判事と軌を一にするものであります。
次に2番目でございますが、
“しかしながら”と、言いまして、
“だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、
右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、
それは、あくまでも外国の武力攻撃によって
国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が根底からくつがえされるという
急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの擁利を守るための止むを得ない措置として、
はじめて容認されるものであるから、その措置は、
右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。”
として、このような極限的なものに限って、例外的に
自衛のための武力の行使は許される―という基本となる論理を示しております。
3つ目でございますが、
その上で結論として
“そうだとすれば、わが憲法の下で武カ行使を行うことが許されるのは、
わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、
したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする
いわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
―として、先の基本論理に当て嵌まる極限的な場合としては
わが国に対する武力攻撃が発生した場合に限られる
という見解が述べられているもの―と、理解されます。
●北側 一雄
数ある政府見解、9条に関する政府見解の中のですね、
この47年見解はベースになるものだという風に私は理解をしておりますが、
問題はですね、問題は、当然我々国会に居る者はこれまでの政府見解というものを
尊重しなければなりません。
で、具体的に、これまでの政府見解のベースになっております
今、長官からお話頂いた'72年見解と、整合性をですね、
図っていかないといけないという風に思うわけでございます。
そこであの、今回の閣議決定の中のですね、
自衛権行使の3要件、新しい3要件について、
閣議決定の中には記されております。
憲法9条の下で許容される自衛の措置として、
(パネルの)左側の方が従来、いえ現在の3要件でございます。
そして右の方が今回の閣議決定で示された新しい3要件であるわけでございます。
どこが違うのかということをまず、あの、説明したいと思うんですが、
第一要件のところが従来は
①我が国に対する急迫不正の侵害があること
だけだったんですが、今回、新しい3要件では、
この赤い字でございますけども、それだけに限らず、
①…我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、
これにより我が国の存立が脅かされ、
国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される
明白な危険がある場合
というのが第一要件に新たに入ってまいりました。
で、更に第2要件も少し違っておりましてですね、
第2要件は従来は
②これを排除するために他の適当な手段がないこと
としか言ってなかったんですが、間にですね、
②我が国の存立を全うし、国民を守るために
他に適当な手段がないとき
という風にですね入っておるわけです。
第3要件は同じでございます。
この先程、説明して頂いたこれまでの政府見解のベースであります
'72年見解と、この新しい3要件、閣議決定で決められた新しい3要件との間に
論理的な整合性がちゃんとあるのか、確保されているのか、
それについて、長官の御答弁を御願いしたいと思います。
○横畠内閣法制局長官
今般の閣議決定は
憲法弟9条の下でも、例外的に自衛のための武力の行使が許される場合がある
という昭和47年の政府見解の基本論理を維持し、
その考え方を前提として、
これに当てはまる極限的な場合は
我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られる
としてきたこれまでの認識を改め
“我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、
これにより我が国の存立が脅かされ、
国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合”
もこれに当る―としたものであり、
その限りにおいて、ま、結論の一部が変わるものでございますが、
昭和47年の政府見解の基本論理と整合するものである
と考えております。
●北側 一雄
この新しい3要件というのはですね、
総理、まぁ今回の閣議決定の中の
9条の下で許される自衛の措置の中のですね
一番肝要な部分がこの新3要件になるわけでございます。
これは当然のこととしてですね、
これはあの、
我が国が例外的に憲法9条の下で武力の行使が許される―
その要件を定めているわけでございますので、
今後検討されてくるですね、
法案、法整備の中で、きっちりこの新3要件というのは、
条項、条文の中に書き込まれるものだと、
私は認識をしております。
長官、如何ですか?
○横畠内閣法制局長官
今般の閣議決定を受けて具体的にどのような法整備を行うかについては
内閣官房を中心に検討が開始されたところであると承知しております。
具体的な法整備の検討はこれからで御座いますが、
新3要件は、御指摘の通り、
憲法上許容される武力の行使の要件そのもので御座いますので、
実際の自衛隊の行動の法的根拠となる自衛隊法等の中に、
その趣旨を過不足なく規定すべきものと考えております。
●北側 一雄
それでは、もう少しちょっとあの各論の話をさせて貰いたいんですが、
この新3要件でですね、
一つポイントのところは、
“他国に対する武力攻撃が発生し、
これにより―”
ま、このあとですね
“我が国の存立が脅かされ、
国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合”
―と、ここを定めてるわけで、
単に“密接な他国が武力攻撃があった”というだけじゃ駄目なんですね。
これによって
“我が国の存立が脅かされ、
国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合”
―でなければ、自衛の措置は許されないわけで御座います。
え~、そこでね、ここがまぁ非常に大事なとこだと思うんですが、
この「根底から覆される」と、
「国民のこれらの権利(国民の生命、自由及び幸福追求の権利〉が根底から覆される」
とはどんな状況を言うのか、
また、
「明白な危険がある」と言ってます。
これはあの、防衛法制の中にはこの「明白な危険」というのが
6箇所で使われてるんですけれども
この「明白な危険がある」っていう言葉がですね、
どういう事態を指してるのか、
どんな要素からそれが判断されるのか、
そこをね長官にぜひ、これはきっちり答弁して頂かなければいけないと思ってます。
あの~よくね、要件が曖昧で、
“時の政府が恣意的に判断するのではないか”―と、
ま、そういう御批判もあるわけでありまして、
ここは長官、しっかり明確な答弁を、ぜひ御願いしたいと思います。
○横畠内閣法制局長官
先程も御答えした通り、
新3要件は昭和47年の政府見解における基本論理を維持し、
その考え方を前提としたものであり、御指摘の
“他国に対する武力攻撃が発生し、
これにより我が国の存立が脅かされ、
国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある”
という部分は、
昭和47年の政府見解の
“外国の武力攻撃によって
国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が
根底からくつがえされるという急迫、不正の事態”
―に対応するものでございます。
これまで我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみが、
昭和47年の政府見解に言う
“外国の武力攻撃によって
国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が
根底からくつがえされるという急迫、不正の事態”
に当ると解して来た―ということを踏まえると、
第1要件の
“我が国の存立が脅かされ、
国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある”
とは、
他国に対する武力攻撃が発生した場合において、そのままでは、
即ち、
その状況の下、国家としての、まさに究極の手段である武力を
用いた対処をしなければ国民に
我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な、深刻、重大な被害が及ぶことが
明らかな状況である
―ということを言うものと解され・・・ます。
いかなる事態がこれに該当するかは
個別具体的な状況に即して判断すべきものであり、
あらかじめ定型的、類型的に推測することは困難でありますが、
何れにせよ、この要件に該当するかどうかについては
実際に他国に対する武力攻撃が発生した場合において、
事態の個別具体的な状況に即して
主に、
攻撃国の意思、能力、事態の発生場所、その規模、態様、推移などの要素
を総合的に考慮し、
我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、
国民が被ることとなる犠牲の深刻性、重大性などから、
客観的、合理的に判断することになります。
なお、「明白な危険」というのは、
その危険が明白であること、
即ち
単なる主観的な判断や推測等ではなく、
客観的かつ合理的に疑いなく認められるものである
ということ―と、解されます。
●北側 一雄
今の御答弁ですね、非常に大事な御答弁になると思います。
今ね長官、口頭で喋られたんでなかなかですね、
サっと意味を理解するのは難しいかもしれないですが、
今仰ったのはですね、
我が国が武力攻撃を受けた場合と同様の―「同様の」―
深刻、重大な被害が及ぶことが明らか―と仰ってるんですね、
また、
我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、
国民が被ることとなる犠牲の深刻性、重大性などを
客観的に判断していくんだという風に仰って、
今の御答弁は、
政府の恣意的な判断が入る余地は無いってことですね?
そいうことで理解をしたいと思っております。
次にですね、この第2要件なんですねぇ、
この第2要件も新たにこの
“我が国の存立を全うし、国民を守るために”っていう言葉が入りました。
これは何故その、今の3要件と比べて、
このような要件が入ったのかと、
これは私、重い意味があると思ってるんですね、
同じ閣議決定でですね、この中で、
こういうところが御座います。
“この「武力の行使」には、
他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、
憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、
すなわち、
我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容される(ものである)”
―と、これは何を言っているかというと、
専ら他国の防衛を目的とした自衛の措置は出来ませんよ―と、
あくまで、あくまで自国の防衛のためのですね、
そういう目的を持った自衛措置に限られますよ、
それもやむを得ない時に限られますよ―っていうことをですね、
言ってる要件だと私は理解しますが、
長官、如何でしょうか?
○横畠内閣法制局長官
第2要件におきましては、
この度第一要件で、
他国に対する武力攻撃を契機とするものが加わったことから、
これまでの、単に
“これを排除するために他の適当な手段がないこと”
としていたのを改め、
“これを排除し、
我が国の存立を全うし、国民を守るために
他に適当な手段がないこと”
―とし、
他国に対する武力攻撃の発生を契機とする武力の行使についても
あくまでも我が国を防衛する為のやむを得ない自衛の措置に限られ、
当該他国に対する武力攻撃の排除、それ自体を目的とするものではない。
ということを明らかにしているものと、考えております。
●北側 一雄
他国に対する武力攻撃の排除、それ自体を目的とするものは入らないんだ―と。
という御答弁でございました。
そうしたことは許されない―と、いう御答弁でございました。
次にですね、この新しい3要件というのは
先程の47年見解―'72年見解ございますね、
この'72年見解はですね、「集団的自衛権」て言葉が4回使われてましてねぇ、
そのうち3回までは「いわゆる集団的自衛権」って言ってるんですね。
で、もう1回が「右の集団的自衛権」って言ってまして、
すべて、あの、形容詞が付いてんです。
「いわゆる集団的自衛権」、
この3つのですね、先程の新しい3要件は、
47年見解に言っている
「いわゆる集団的自衛権」の行使を認めたものかどうか、
ここは、如何ですか?長官。
○横畠内閣法制局長官
昭和47年見解における「いわゆる集団的自衛権」は
まさにその集団的自衛権全般を指しているもの―と考えます。
その意味で丸ごとの集団的自衛権を認めたものではない
という点においては、今回も変わっておりません。
今般の閣議決定は、国際法上、集団的自衛権の行使が認められる場合の全てについて
その行使を認めるものではなく
新3要件の下、あくまでも、
我が国の存立を全うし国民を守るため、
即ち我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として
一部限定された場合において、
他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とする
武力の行使を認めるに留まるものでございます。
このような、我が国を防衛するための
やむを得ない自衛の措置としての武力の行使は
閣議決定に御座います通り、
国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合がある―ということで御座います。
しかしながら、それ以外の自国防衛と重ならない他国防衛のために
武力を行使することが出来る権利として
ま、観念される
ま、ちょっと「いわゆる」というのが先程の
'72年見解とぴったり同じであるかどうかは・・・アレですが、
そのように観念される「いわゆる集団的自衛権」の行使を認めるものでは御座いません。
●北側 一雄
先程、高村副総裁も仰っておられましたが
国連憲章51条にいうですね
集団的自衛権、フルサイズの集団的自衛権の行使を認めたものではありません。
で、そういう他国防衛のみを目的とした
そのような自衛の措置をとることは
これはですね
憲法9条から禁止をされているわけで御座いまして、
それは今も変わりは無いということと理解をしております。
更に今回の閣議決定の中でですね、こういうところがあるんですね、
この昭和47年見解―'72年見解をずーっと示した後にですね、
“この基本的な論理は憲法9条の下では、
今後とも維持されなければならない。”
「この基本的な論理」―1972年の基本的な論理というものは
憲法9条のもとでは、今後とも維持されなければならない。
と言う風に言っておるわけで御座います。
私は今回の閣議決定は
憲法の解釈の一部の見直しでは御座いますが、
そもそもこの憲法9条のですね、規範、まぁ歯止めと言っていいかもしれない、
憲法9条の規範は維持されてるんですかね、
この新しい3要件の下で
今回の閣議決定というのは
憲法9条のこれまでの規範というものを維持しているのかどうか、
また、先程申し上げた、閣議決定でですね、
“この基本的な論理は憲法9条のもとでは、
今後とも維持されなければならない。”
と言ってる通りですね、憲法9条のもとで例外的に許される
自衛の措置の限界というものをですね、
今回明らかにしたもので御座いまして、
「いわゆる集団的自衛権」の行使を容認することは
これは、解釈では出来ない、
憲法の改正でしか出来ない―という風に言ってる部分だと思いますけども、
長官如何ですか?
○横畠内閣法制局長官
今般の閣議決定は平和主義を具体化した規定で御座います憲法弟9条の下でも
「極限的な場合に限っては、例外的に自衛のための武力の行使が許される」
という、先程御紹介も御座いました、
昭和47年の政府見解の基本論理を維持し、
その考え方を前提としたもので御座います。
その意味でこれまでの憲法第9条を巡る議論と整合する
合理的な解釈の範囲内のものであり、
憲法の基本原則である平和主義を些かも変更するものではない
―と考えております。
その意味で昭和47年の政府見解の基本論理を維持し
今回の閣議決定に到ったわけで御座いますけれども
そこで示されました新3要件を超える―
ま、それに該当しないような武力の行使につきましては
現行の憲法第9条の解釈によっては
これを行使するということを認めることは困難であると考えておりまして、
そこに及ぶ場合には憲法改正が必要であろう
―と考えております。
●北側 一雄
憲法解釈の話でなかなかなかですね
TV御覧になられてる国民の皆様が分かり難いところもあったと思いますが、
今日の長官の御答弁は、今後ですね
法整備をしていくに当りまして私は、
基本となる答弁をして頂いてるわけで御座いまして、
非常に重要な意味を持っているという風に思っております。
そこで、あの、総理――――――(以下後日)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考リンク
憲法第9 条と集団的自衛権 - 国立国会図書館
主 要 記 事 の 要 旨. レファレンス 2011.11. 2. 憲法第 9 条と集団的自衛権. ―国会 答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る―. 鈴 木 尊 紘.
www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/pdf/073002.pdf
2014年サッカー・ワールドカップ ブラジル大会。
日本は1次リーグ 2敗1分け という結果となりました。
敗戦語のツイートとその補足等を残しておきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
サッカーまでも「永続敗戦」にしてはいけない。今大会の敗戦をしっかり受け止めることから―ですね。 RT:@SoccerKingJP 【論評】ブラジルW杯敗退にセルジオ越後氏「この敗戦はチャンス。日本代表とは何かを今一度考えよ」 http://ln.is/www.soccer-king.jp/n/Nluoy … …
W杯出場が目標だった時代から(枠拡大もあり)W杯でどこまで戦えるかになり、ドイツ大会後オシム氏を監督に迎え「日本サッカーの日本化、日本サッカーのグローバル化」というテーマに取り組んでここまで来た。そして今大会で現在位置を確認させられた。厳しい現実ではあるが歩みを止めることはない。
W杯②:結果だけを取るなら前回同様の堅守重視で行く手もあっただろうが、この4年間(と、その前から)追求してきた自分達のサッカーで挑もうという試みでの結果である。出せた面出せなかった面も含め、世界の中の日本の現在位置は此処なのだということを受け止めて、また進んでいくということ。
※補足:“結果だけを取るなら前回同様の堅守重視で~”― について、
前回(2010年南アフリカ大会)に向けても「日本のサッカー」を追及していたのだが、
大会直前のイングランド戦、コートジボアール戦等の内容から、
“このままでは惨敗する可能性も高い”との危機感が選手の間でも起こり、
選手側から岡田監督にスタイルの変更を申し出て、監督も受け入れた。
― と、記憶している。
その前の'06年ドイツ大会での1次リーグ敗退による諸々のダメージがあり、
'10年大会では、どうしても結果が必要だった。
― というのが私も一ファンとして思っていたことである。
(今回は結果は度外視したというわけでは勿論ありません)
W杯③:また進んでいく為にも必須なのは、これまでキチンとやって来たとは思えない厳格な検証―セルジオ氏の指摘する強化体制全般を対象にしたもの。サッカーに限らず日本では何ごとにつけ客観的な検証が行われたケースというのが余り無いように思える。
W杯④:これもオシム氏の言葉だが「日本人は仕事を批判されるのに慣れていない」という習性のせいもあるか。これも「行為と人格を混同してしまう」傾向ゆえか。“あのプレイは良くなかった”“こういう運営は良くない”と指摘されると“駄目な選手”“駄目な運営者”と受け止めてしまうのかも。
W杯⑤:何れにしろ’80年代に岡野俊一郎が常々言ってた「近代サッカーに必要なの3つのスピード―走るスピード、ボールのスピード、判断のスピード」という課題は今も変わってないし、それらの緩急、質の組み合わせと個々のフィジカル面の特性を加味してゲームで如何に活かせるか―なのだろう。
W杯⑥:⑤の補足ー岡野さん呼び捨てにしちゃったので訂正。
岡野俊一郎⇒岡野俊一郎氏。岡野氏の話では「学生を指導してて思うのは、指示は本当に良く守るんだけど、じゃぁ自分達で練習メニュー考えてみてーと言うと生徒は戸惑ってしまう」みたいな事を昔言ってたの思い出す。
W杯⑦:トルシエ監督は先生タイプと言われるように当時の日本選手の気質に合ってたんだろう。逆に選手の自主性を重視したジーコ監督のスタイルには選手達は少し戸惑う面もあったとか。その後オシム氏~岡ちゃん~ザック氏と続く中で、選手達の意識はそういう面では確実に成長してる―と勝手に思ってる
W杯:あと、これも前回大会時オシム氏が言ってたが、日本サッカーの強化のベースになるのはJリーグ。あ、Jリーグ沢山観るぞと意気込んでた矢先に3.11の事故があって、サッカーは大事だけど原発事故も大変だよ―となって、現在に到るなのだな。Jリーグの理念を念頭に置いての強化が理想的だが。
同感です。じっさまが指摘してる問題意識も共感できる。“この敗戦が「いい経験」になるかどうかは、今後の努力次第”RT:【オシム分析3】「日本らしいサッカー」の方向性は間違っていない ― スポニチ Sponichi Annex サッカー http://ln.is/www.sponichi.co.jp/s/nND68 …
※「日本らしいサッカー」を巡ってては、いろんな方がいろんな所で言及していると思うが、
'98年のW杯初出場時の岡田監督は加茂監督更迭によるピンチヒッターということもあり、
「日本らしいサッカー」ということを前面に出せる状況ではなかっただろうと思うが、
その後の、トルシエ氏(02年日韓大会) ~ ジーコ氏(ドイツ大会)と外国人監督が続く中で、
“欧州出身の監督の時は組織的に、南米出身の監督の時は個人技重視"
( ↑ とても乱暴な言い方ですが、トルシエ氏~ジーコ氏の頃の印象はこうだった)
- と監督の出自に左右されるような代表チームってどうなの?
「日本らしいサッカー」というものを表現した上で、
プラスαとして監督の指向や戦術のトレンドなりが加味されるべきじゃないのか?
― というような声が高まったのだよな。
で、 Jリーグでの実績のあるオシム氏に― となっって、
「日本サッカーの日本化とグローバル化」という方針が表明されたのでした。
※「○○らしいサッカー」について印象的なのは、
'82年スペイン大会でのセレソン(ブラジル代表)ですね。
引き分けでも決勝トーナメント進出出来る状況でイタリアと対戦した際、
2対2の同点となっても
「攻めなくて何がセレソンか!」(by 主将のソクラテス選手)
― と、両サイドバックも相変わらずガンガンオーバーラップを続け、
正にイタリア ― な鋭いカウンターに会い消耗したのかミスからのコーナーキックで
ロッシに決勝点を決められまさかの二次リーグ敗退。
でもこの大会でのブラジル代表の戦い振りは世界中の多くのサッカーファンを魅了し、
代表選手帰国の際にもブラジル国民は賞賛したという。
そのブラジルも永らく優勝から遠ざかると結果を求める声が大きくなり、
(勿論選手も優勝を渇望しただろう)
'94年アメリカ大会では「らしくないサッカー」で見事優勝している。
今回のブラジル大会でもオランダ代表が
「伝統の4-3-3」ではなく
「あのオランダが5バックぅ!?」
という布陣でスペインに圧勝、
その後も順調に勝ち進んでいる。
― と書くと「○○らしいサッカー」よりも「勝つための現実的なサッカー」で行くのが正解
となるかというと、おそらく結果一辺倒にもならないだろうと思えるところが、
人々が、そして勿論選手が、スポーツに何を求めるか - なのだろう。
(W杯のビジネス化傾向の高まりは気になるけど)
これも「目的論」と「それを持続可能にする循環」との兼ね合いになるか。
日本は1次リーグ 2敗1分け という結果となりました。
敗戦語のツイートとその補足等を残しておきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
サッカーまでも「永続敗戦」にしてはいけない。今大会の敗戦をしっかり受け止めることから―ですね。 RT:@SoccerKingJP 【論評】ブラジルW杯敗退にセルジオ越後氏「この敗戦はチャンス。日本代表とは何かを今一度考えよ」 http://ln.is/www.soccer-king.jp/n/Nluoy … …
W杯出場が目標だった時代から(枠拡大もあり)W杯でどこまで戦えるかになり、ドイツ大会後オシム氏を監督に迎え「日本サッカーの日本化、日本サッカーのグローバル化」というテーマに取り組んでここまで来た。そして今大会で現在位置を確認させられた。厳しい現実ではあるが歩みを止めることはない。
W杯②:結果だけを取るなら前回同様の堅守重視で行く手もあっただろうが、この4年間(と、その前から)追求してきた自分達のサッカーで挑もうという試みでの結果である。出せた面出せなかった面も含め、世界の中の日本の現在位置は此処なのだということを受け止めて、また進んでいくということ。
※補足:“結果だけを取るなら前回同様の堅守重視で~”― について、
前回(2010年南アフリカ大会)に向けても「日本のサッカー」を追及していたのだが、
大会直前のイングランド戦、コートジボアール戦等の内容から、
“このままでは惨敗する可能性も高い”との危機感が選手の間でも起こり、
選手側から岡田監督にスタイルの変更を申し出て、監督も受け入れた。
― と、記憶している。
その前の'06年ドイツ大会での1次リーグ敗退による諸々のダメージがあり、
'10年大会では、どうしても結果が必要だった。
― というのが私も一ファンとして思っていたことである。
(今回は結果は度外視したというわけでは勿論ありません)
W杯③:また進んでいく為にも必須なのは、これまでキチンとやって来たとは思えない厳格な検証―セルジオ氏の指摘する強化体制全般を対象にしたもの。サッカーに限らず日本では何ごとにつけ客観的な検証が行われたケースというのが余り無いように思える。
W杯④:これもオシム氏の言葉だが「日本人は仕事を批判されるのに慣れていない」という習性のせいもあるか。これも「行為と人格を混同してしまう」傾向ゆえか。“あのプレイは良くなかった”“こういう運営は良くない”と指摘されると“駄目な選手”“駄目な運営者”と受け止めてしまうのかも。
W杯⑤:何れにしろ’80年代に岡野俊一郎が常々言ってた「近代サッカーに必要なの3つのスピード―走るスピード、ボールのスピード、判断のスピード」という課題は今も変わってないし、それらの緩急、質の組み合わせと個々のフィジカル面の特性を加味してゲームで如何に活かせるか―なのだろう。
W杯⑥:⑤の補足ー岡野さん呼び捨てにしちゃったので訂正。
岡野俊一郎⇒岡野俊一郎氏。岡野氏の話では「学生を指導してて思うのは、指示は本当に良く守るんだけど、じゃぁ自分達で練習メニュー考えてみてーと言うと生徒は戸惑ってしまう」みたいな事を昔言ってたの思い出す。
W杯⑦:トルシエ監督は先生タイプと言われるように当時の日本選手の気質に合ってたんだろう。逆に選手の自主性を重視したジーコ監督のスタイルには選手達は少し戸惑う面もあったとか。その後オシム氏~岡ちゃん~ザック氏と続く中で、選手達の意識はそういう面では確実に成長してる―と勝手に思ってる
W杯:あと、これも前回大会時オシム氏が言ってたが、日本サッカーの強化のベースになるのはJリーグ。あ、Jリーグ沢山観るぞと意気込んでた矢先に3.11の事故があって、サッカーは大事だけど原発事故も大変だよ―となって、現在に到るなのだな。Jリーグの理念を念頭に置いての強化が理想的だが。
同感です。じっさまが指摘してる問題意識も共感できる。“この敗戦が「いい経験」になるかどうかは、今後の努力次第”RT:【オシム分析3】「日本らしいサッカー」の方向性は間違っていない ― スポニチ Sponichi Annex サッカー http://ln.is/www.sponichi.co.jp/s/nND68 …
※「日本らしいサッカー」を巡ってては、いろんな方がいろんな所で言及していると思うが、
'98年のW杯初出場時の岡田監督は加茂監督更迭によるピンチヒッターということもあり、
「日本らしいサッカー」ということを前面に出せる状況ではなかっただろうと思うが、
その後の、トルシエ氏(02年日韓大会) ~ ジーコ氏(ドイツ大会)と外国人監督が続く中で、
“欧州出身の監督の時は組織的に、南米出身の監督の時は個人技重視"
( ↑ とても乱暴な言い方ですが、トルシエ氏~ジーコ氏の頃の印象はこうだった)
- と監督の出自に左右されるような代表チームってどうなの?
「日本らしいサッカー」というものを表現した上で、
プラスαとして監督の指向や戦術のトレンドなりが加味されるべきじゃないのか?
― というような声が高まったのだよな。
で、 Jリーグでの実績のあるオシム氏に― となっって、
「日本サッカーの日本化とグローバル化」という方針が表明されたのでした。
※「○○らしいサッカー」について印象的なのは、
'82年スペイン大会でのセレソン(ブラジル代表)ですね。
引き分けでも決勝トーナメント進出出来る状況でイタリアと対戦した際、
2対2の同点となっても
「攻めなくて何がセレソンか!」(by 主将のソクラテス選手)
― と、両サイドバックも相変わらずガンガンオーバーラップを続け、
正にイタリア ― な鋭いカウンターに会い消耗したのかミスからのコーナーキックで
ロッシに決勝点を決められまさかの二次リーグ敗退。
でもこの大会でのブラジル代表の戦い振りは世界中の多くのサッカーファンを魅了し、
代表選手帰国の際にもブラジル国民は賞賛したという。
そのブラジルも永らく優勝から遠ざかると結果を求める声が大きくなり、
(勿論選手も優勝を渇望しただろう)
'94年アメリカ大会では「らしくないサッカー」で見事優勝している。
今回のブラジル大会でもオランダ代表が
「伝統の4-3-3」ではなく
「あのオランダが5バックぅ!?」
という布陣でスペインに圧勝、
その後も順調に勝ち進んでいる。
― と書くと「○○らしいサッカー」よりも「勝つための現実的なサッカー」で行くのが正解
となるかというと、おそらく結果一辺倒にもならないだろうと思えるところが、
人々が、そして勿論選手が、スポーツに何を求めるか - なのだろう。
(W杯のビジネス化傾向の高まりは気になるけど)
これも「目的論」と「それを持続可能にする循環」との兼ね合いになるか。
