無 無サスピション 有 サスピション による複雑性の獲得
無→絶対均衡 有→相対均衡 に関してのチェックを続ければ
無を表現すれば
無 絶対均衡 無サスピション 絶対正解 と理解できて
無とはサスピションのないことで
無サスピションとは 対称 非優劣 ということが考えられて
それは自然成立する 絶対安定 絶対均衡 絶対正解 で
絶対安定 絶対均衡 絶対正解 は 何も起きないこと 無 で
有を表現すれば
有 相対均衡 サスピション 相対正解→絶対不正解 と理解できて
有とはサスピションで
有 サスピション とは 非対称 優劣 ということが考えられて
有でのサスピションからの 非対称 による 優劣 差異 からの
コンセプト オールマイティ による
表現→時空間 概念→言語 が構成されて
無 正解 に対して 有 不正解 だが
不正解という定義に起因して 自在性 非対称 による
優劣 差異 差別 が 成立 構成 されて
優劣 差異 差別 からの 規則性 正解性 方向性 が
設計での基準線に該当するコンテンツを構成する結果がもたらされて
無サスピション→無 の正解 に対する サスピション→有 の不正解
サスピション 全否定 の 不正解性 無方向性 から
不可知 懐疑 までをインクルードした
オールマイティ 全知全能 というコンセプトが
質量リミットまでにの到達感のある
オールマイティに関する コンセプト コンテンツ が構成されて
懐疑のない状態が無 懐疑のある状態が有 で
これに関する引例としてファイティングというワードを用いて
オールマイティのコンセプトに対して
オールマイティだがファイティングのためのオールマイティではない
という コンセプト コンテンツ の
対称 非優劣 ではない 非対称 優劣 が成立して
この成立により サスピションからのオールマイティ の
コンセプトも成立して
それは 懐疑からの全知全能 不可知のある全知全能 ということで
全知全能であればそれも可能 ということで
さらに 有からの オールマイティ 全知全能 に関する
サスピションのコンセプトの付帯による複雑性の所有の引例として
絶対非暴力主義が天国行きの絶対条件にならないのは
絶対非暴力主義が天国行きのケースでもドラマツルギーは成立して
絶対非暴力主義がセクシャリティにマイナス ということはないが
ここでは絶対非暴力主義の正解性がネックになっていて
サスピションの所有する不正解意識に対する不備が成立されて
質量リミットにまでの到達感が構成されないことが理解されて
対称 非優劣 無差異 であれば 何もかもやっていい が成立して
であれば先程のファイティングのためのオールマイティも成立するが
非対称 優劣 差異 により 何もかもやってはよくない が成立して
何もかもやってはよくない という 非対称 優劣 差異 からの
オールマイティ コンセプト が 成立 構成 されて
それはサスピションというオーバーコーティングまでを構成させて
何もかもやってはよくない という オールマイティ コンセプト からの
非我→地獄行きの人間 の要素が完全にオミットされた中での
不正解 正解 が混濁した中の 非対称 差異 優劣 差別 による
セクシャリティの快楽であれば何もかもやっていい という
善悪 タブー の侵犯 好悪の倒錯 の
極化のサクセスフルセクシャリティが
パラダイスにおいて構成されることが理解されて
そして非生命体は ナルサスピション→懐疑しないこと に起因した
善悪の超越のIDが構成されて
人間以外の生命体→上位生命体 は サスピションの否定
→意識下の主導 からの善悪の啓蒙のIDが構成されて
人間→天国行きの 自我 他我 は
意識下での心性物理に起因したオールマイティの肯定からの
意識上でのサスピションのコンペティションを行なって
サスピション 警戒心 猜疑心 はレベルネットを構成して
人間は本来自他の過失を絶対に見逃さないことが理解されて
その理解にぶれがないのが 自我 他我→天国行きの人間
と理解されて
さらにここでもう一度理解を確実にすれば
有と関連したオールマイティのコンセプトは
ただの全知全能 とは違って
サスピションのコンセプトの付帯した複雑性のための
不可知をもインクルードした 全知全能 オールマイティ ということで
こういう理解は普段からの人間の言動の
シンクロ インフォームドコンセント ストライド スパン を構成して
これらからかけ離れた はさみ虫 鶴 の人相 NGT
仏教の漫然 などは不勉強ということで
もはや 管理 隔離 淘汰 対象 と理解される
近況
次のブログは随時~4日後の予定です