人間以外の高貴な精神 | qantasqwert00x0yz0のブログ

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人間以外の高貴な精神



昨日上野動物園に行ってきて平日なのにパンダ見物で
待ち時間1.5時間レベルで混雑していて
パンダを観終わり鳥類を観ていると

小学高学の女子子供集団が近くに来ていて
聞いただけで人間性がわかる きたない 言語 音韻 を

何度もだしていて
こういう子供は鳥類のルックスにクレームをつけたくなるようで
ショートサーキット どうせ負け惜しみ いういわない とか
動物は人間より下 という自分の都合の世界観の人間性が

理解できて


EUとか中国人も少なくなく見物に来ていて
これは あっという間にその人間性に気づく
これが日本人 と思うに決まっていて


こういうところでも問題のある人間が不快を量産していて
戦後の上野の子供浮浪者のショッツまでが思い出されて
学校にも 動物園にも 来てはいけない人物像 がイメージされて


そしてこういうときにインターナショナルで

スポーツ芸能がしゃべってくるが
スポーツ芸能など 自分は違う というのであれば
いわれる側 にポジションにしなければ論理矛盾が成立して
いう側 にポジションしているので どこも違わない ということで
この連中の 正論騙り の難易のないミスディレクションは
もうこの時代通用しないで


以前に多摩動物園に行ったときには見うけられなかった
見物人に背を向けていたり同じ場所を往来する動物がいて
こういう動物のリアクションも

日本人の 無宗教 無哲学 からきていて
もちろん処世術のための 宗教 哲学 ではない ということで


そして 日本語 助詞 からのバリエーションとは
未然形 仮定形 連用形 という構造だけではなく
口語の構成上の細部の分類までを行なって
猜疑心から構成される自意識の 質量 個人差 を構成していき
標準化のコンセプトで日本は世界をリードオフするスタンスで

というとき
わかるような大卒TVタレントが アンチテーゼ とかいってきて
レベルアジャストすれば反面教師であって

アンチテーゼのレベルにはなく

何がアンチテーゼだよ と誰もが思って
それが標準的なワールドワイドの反応で


夕方暗くなってから 象 を見ると
絶対不条理 キリスト教倫理 が思い出されて
人間以外 動物 のクリアな知性が重層理解されて


かば を見ているとカップルの1人が 吉田拓郎に似ている といって
自分は であれば鴻上尚史に似ている と思って
人間とは年齢とともに かば が清潔好きに見えて好きになるようで
かば は清潔好き と明確に見えて
かば と 馬場 は違う と明確に判断できて
上野では こびとかば までいて


キリン クアッガ と見て
キリン とはキリンの見やすいポジションにスタンスすると
馬鹿だけではない 馬鹿以外がいる と認知して


もう閉館時間のアナウンスがあって眼前のイソップ橋を歩いていくと
サンサーンス 動物の謝肉祭 の音楽が流れて
弱肉強食 ということか こういうことに終始するとは人間ではない
と考えながらイソップ橋を渡り終えていると


動物たちが ご入場ありがとうございました のように

最敬礼しているような看板が見つかって
日本人とは 弱肉強食 動物は人間より下 の意味で

この看板を作っているが
そして 無学 無宗教 無哲学 ということの
非人間 ただの調子合わせ のきたなさに

いつまでも気づこうとしないで
ちょっと面白い とかで徒党を組みにかかって
じゃあ何で学習しない? ということに回答がなく
それが全て ということに気づこうとしないで
学習している人間とはこういうことに気づいていて
だから危機感とともに学習していて


人間以外の 無償 利他 の善の宇宙とは
心性物理の領域の ハード ソフト コンディションで

世界が構成されて
人間のような 自分以外 他 という対象認知のない
子供向けTVプログラムの着ぐるみの語りの あれ? という

対象認知のない
ドライな 知的サティスファイ 精神的ラグジュアリー の
連続した完全の宇宙を理解する感動の世界が構成されている

と類推されて
善悪の 超越 啓蒙 のステータスの人間以外の知性体の 
ロボティズム ストイック や ライフライン サバイバル
コーディネートされた中の精神的ラグジュアリーの
イニシアティブ ネガティブ ロスト にならない
ポジティブ ファウンド の宇宙のサクセスストーリーが構成されて
殺生など ネガティブ ロスト のダウトフィクションは
人間の猜疑心による精神感応で絶対不条理の宇宙でだけ
知覚 構成 される と理解されて


彼ら→人間以外 の 無償 利他 の精神のエナジーにより
絶対不条理 キリスト教倫理 天国 が構成されて
客観性主導のメタファとしての 事物 セクシャリティ を

理解しているので
地獄行きの人間とは違う天国行きの人間 ということで
彼らの精神のエナジーと地獄行きの人間は全く無縁で
地獄行きの人間とは 意味存在ではなく

ただ生まれてきたのが間違い で


彼らの完全 自分の不完全 
彼らの ポジティブ ファウンド の善良の完全高貴のスピリット
自分とは彼らに 許容 救助 されながら
邪悪な快楽嗜好 が勝利して を肯定して
彼らを食材にする罪悪を肯定して侵しながら永遠の時間を

オルガナイズして
彼らによる最初のタイミングの 無償 利他 の宇宙 の次の
絶対不条理 キリスト教倫理 の 有償 利己 の宇宙 に存在して
堕獄危機の恒常所有とは であればそうなるはず で
そこまでは救済してもらえないで
人間以外→完全 の中の猜疑心のからのロジックの行方は
丸損をしたくない だから食材にする という卑小な人間性
まさか堕獄は自決している可能性からの
堕菊ではなく堕獄不安の中の堕獄されるためのセクシャリティに

集中する強迫観念に囚われていくことが理解される


そして以上の中でのセクシャリティに関する抑制が
人間の本来負うべき リスク レスポンス
アメニティ イコーリティ に関する であることが理解されて
以上をキャパシティにして1対多のパラダイスは構成されることが
理解される




近況


次のブログは随時~4日後の予定です